マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

交響曲『第九』・・・『歓喜の歌』・・・『天上の喜び』 そして 『聖家族 祝日』・・・『両親は、イエスが学者たちの真ん中におられるのを見つけた』。

2021-12-26 16:00:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
12月26日。日曜日。曇り。

寒い一日。
雪がちらつきました。

年末と言えば
聞こえてきます。
聞いてきました。

            『歓喜の歌』
  
                          於:兵庫県立芸術文化センター

          ベートーベンの『交響曲第九番』
    
   合唱団150人(コロナのため通年の約半分)が『歓喜の歌』を力強く歌い上げました。
        1824年に音楽の都ウィーンで初演されて以来、
     『人類共通の芸術』と称されるほど親しまれてきた『お宝』です。
      

        コロナ禍のため、演奏会が2年ぶりに開かれました。
     クラリネットを吹かれた私の友人が、閉幕後にメールをくれました。

    『久しぶりの第九で、合唱とソリストの音の渦の中で、酔いしれてしまい、
         コロナのことなどすっかり忘れてしまいました。
         来年こそは良い年になるように祈りましょう。』

      
                      私の座席は全員が臨める最前列でした。

           二年ぶりの今年の演奏でした。
         聴くだけではなく、歌う方、演奏する方なども含め、
        今まで以上に、多くの人の人生に潤いを与えてくれました。


演奏が始まる前に・・・
指揮者の『挨拶』の中で、
『第九』の『4つの楽章』
各章の解説がありました。
指揮者・井村氏の個人意見でしょうか。


    『第九』の4つの楽章にベートーベンが込めた『意味』
  
    
     『第九』がウィーンで初演されたのは1824年5月7日。
       当時54歳になっていたベートーヴェンは、
        ずいぶん前から難聴に苦しんでおり、
     「第九」の作曲時はほとんど耳が聞こえていなかった。
      そんな『絶望』のどん底から這い上がって作曲した
       ベートーヴェン56歳没前の、最後の交響曲です。
      
    第1楽章:神の『天地創造』
    第2楽章:神が『人間創造』、人を立てます。
    第3楽章:『自然界』、山、川、等、純潔の世界を賛美する。
    第4楽章:Ⅰ章~3章全体を否定しつつ、『新しい社会』への期待。
          創造でもなく、『歓喜』、『喜び』である。
         天上にある『楽園』、『死後の天上の喜び』がある。

     ベートーヴェンが私たちに遺した重要な『メッセージ』です。


       「歓喜の歌」が後に続く、第4楽章の始まり。
       バリトン・ソリストが力強く歌いました。

      「私たちの音楽はこれなのだ、さあ歌おう」
     「勝利に突き進む英雄のごとく、自らの道を行け」
   「抱擁と接吻を全世界に」「すべての人々は兄弟になるのだ」


     私は、今日の『第九』からも学びました。
       友愛や勇気にも共感すれば、
     新しい年にもきっといいことがあるはずです! 
             感謝!感謝!


そして。

今日は12月26日。主の降誕第二日。

        『聖家族 祝日』
    

  『恵み豊かな神よ、
  あなたは、聖家族を模範として与えてくださいました。
  わたしたちが聖家族にならい、愛のきずなに結ばれて、
  あなたの家の永遠の喜びにあずかることができますように。』
           『今日の集会祈願』

『今日の福音 イエスの御言葉』

   『イエスの両親は過越祭には 毎年エルサレムへ旅をした。
       イエスが十二歳になったときも、
       両親は祭りの慣習に従って都に上った。

      祭りの期間が終わって帰路についたとき、
     少年イエスはエルサレムに残っておられたが、
       両親はそれに気づかなかった。

  イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、
     それから、親類や知人の間を捜し回ったが、
   見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。

   三日の後、
     イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、
    話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
    

   聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。

     両親はイエスを見て驚き、が言った。
     「なぜこんなことをしてくれたのです。
  御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」

  すると、イエスは言われた。
      「どうしてわたしを捜したのですか。
  わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、
        知らなかったのですか。」
  しかし、
     両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。
  それから、
     イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、
       両親に仕えてお暮らしになった。
     母はこれらのことをすべて心に納めていた。

  イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。 』
                 ルカによる福音書 2章41-52節


     十二歳のイエスは、
     神の家である神殿で、『御父・神との関係』
         を、両親に示します。


  ナザレの『聖家族』
  年三回の、ユダヤ人の義務としての、『エルサレムへの上京』を果たしていました。
  イエス12歳のエルサレムへの上京の折・・・
   ※イエスは、祭りが終わった後も、一人で、エルサレムに残られました。
   ※両親は、見失ったイエスを三日間捜し、エルサレムの神殿の中で探し当てました。
   ※母マリアは、お父さんもわたしも心配して捜していたのです。』と言い、
   ※イエスは、わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、
        知らなかったのですか。』と答えます。


    イエスは、12歳になった時に、『自分の道』を歩き始めました。
  子供達は、12歳・中学生の頃から、『自分の道』を歩き始めるということです。
      それは、親の考え方とは違うことがあります。
      互いに理解し合えないときも、多々あります。


    私たちも、
    子どもの教育において、聖家族に倣い、
    親子で、互いに許し合い、助け合い、忍び合い、学び合いたいですね。
       祈りましょう。
    


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『神よ、わたしたちの心を開き、
   あなたの子が語られることに心を向けさせてください。』
      典礼聖歌 270番51    アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
寒い師走となっています。
くれぐれもご自愛下さり、今年残り6日間を有意義にお過ごし下さい。 お元気で!

録画ビデオ鑑賞Day・・・『咲べくもおもはであるを石蕗花』 そして 『東や西から大勢の人が来て、 天の国で宴会の席に着く。』

2021-11-29 14:02:50 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
11月29日。月曜日。快晴。


今日は、
月曜日、『録画ビデオ鑑賞Day』です。

窓から庭を眺めると・・・

   初冬花・・・     『石蕗花 つわぶき』
 

       『咲べくもおもはであるを石蕗花』 蕪村

   
         咲こう、咲かなければならない、
        そんな風に強く思うこともないまま、
      ごく自然に咲いてそこにあるなあ、石蕗の花が。 蕪村


     花の少ない冬の庭を楽しませてくれる・・・鮮やかな『黄色の花』
     花壇を一年中美しく彩ってくれる・・・濃緑の葉の『常緑多年草』
            自然に咲く姿が、
        芭蕉が詠むように、素朴で、かわいく、美しい。


そんな『つわぶき』を眺め、
時々は目を休めながら・・・

       私は、今日は、『録画ビデオ鑑賞Day』です。

       私は、高校生時代からの『ラジオ党』です。
       テレビは、自分の大切な時間と思考が奪われるようで、好きでないのです。
         テレビの前に座って見るのは、
         スポーツ観戦とニュースです。
         スポーツとニュースは速報が命ですからね。

   それでも
   私にも、ドキュメンタリーやドラマやアガサ・クリスティーや100分de名著やシルクロードや他にも、
   好きなテレビ番組があります。
    それらを録画しておいて、
    所用がない限り月曜日と決めている、『録画鑑賞Day』に見るのです♡♡
     好きな『番組』のみを見るので、長時間鑑賞も気になりません。


高校時代、
勉強中の夜中に、
ラジオの『リクエスト曲番組』を聞いていました。
自分に『プレゼント曲』をリクエストして、
勉強のモチベーションを上げたりしていましたね。
懐かしい『ラジオ』の思い出です♡♡


          今日は、歴史探訪からドラマまで、
        6本立て『録画鑑賞Day』になりそうです。  
                感謝!感謝!


そして。

今日は11月29日。待降節第一月曜日。

『今日の入祭唱』

 『諸国の民よ、主の言葉を聞け。 遠くの島々に告げ知らせて言え。
 「雄々しくあれ、恐れるな。神は来て、あなたたちを救われる。」』 
      エレミヤ書 31章10節 & イザヤ書 35章4節 


『今日の福音 イエスの御言葉』

  『そのとき、イエスがカファルナウムに入られると、
     一人の百人隊長が近づいて来て懇願し、
     
    
「主よ、わたしの僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます」
                      と言った。

そこでイエスは、
   「わたしが行って、いやしてあげよう」 と言われた。
すると、百人隊長は答えた。
   「主よ、
  わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。
      ただ、ひと言おっしゃってください。
      そうすれば、わたしの僕はいやされます。

       わたしも権威の下にある者ですが、
        わたしの下には兵隊がおり、
       一人に『行け』と言えば行きますし、
       他の一人に『来い』と言えば来ます。
       また、
    部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」

   イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。
        「はっきり言っておく。
  イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。
     言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、
   天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。」』
                 マタイによる福音書 8章5-11節


      今日のイエス様は、
      百人隊長の、部下である僕の病気を思う願いをかなえて、
          その僕の病気を癒やします。

    百人隊長は、
    ユダヤ人ではなく、異邦人でした。
    異邦人だから、ユダヤ人のイエスを自分の家に迎える資格はない
          と、律法を知っていました。
    その上、イエスが家まで来なくても、イエスの『一言』で、僕は癒やされる、
          と、イエスを信じていました。

    イエスは、
    百人隊長の『言葉』を聞いて驚き、感心しました。
    『イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない』 と。

ところが、

    当時のユダヤ人の中には、
    自分たちだけが、アブラハムの子孫として、救われ、
          異邦人は救われない、と考える人がいました。

      
      イエスは、『新しい考え方』を持ってきたのです。
       『救いの保証』は、
         ユダヤ人であること、律法を守ること、ではなく、
            『信仰』が必要である。
            との『新しい考え』でした。


       『新しい考え』は、
        ※キリストを信じることによって救われる。
        ※信仰を持つ者は、すべての者がキリストの兄弟です。
      そして、
      キリストの兄弟皆で、
     天の国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着くのです。
                  との考え方です。


       私たちも、すべての人が、
       イエスに信頼して、皆で、天国の宴会の席に着きましょう!


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『神よ、御顔の光を輝かせ、わたしたちを救うために来てください。』
        詩編 80章4節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
毎日を楽しく、穏やかにお過ごしください。  お元気で! 

『100分de名著』・・・『老人と海』 そして 『今の時代には、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。』

2021-10-11 11:32:40 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
10月11日。月曜日。曇り。

私の住まいのあたりでは、
雷注意報が出ています。

  
         今年も、変わらずに、咲き出しました。
        
  こちらは、
     長年変わらずに、欠かさず、私が見ているテレビ番組です。
           『100分de名著』
         今月の本は、私の座右の名著の
            『老人と海』
     

  講師のアメリカ文化研究者は語ります。
  『老人と海』は、※『大いなる自然との対峙』※である。

      ※自然と対話する老人
       生き物を人間と同格の仲間として話しかける。
      ※大事なことは口に出さない老人
       口にすると相手に負けることを知っているので黙る。
      ※捕獲物・カジキに尊敬の念を持って話しをする。
       ほとんど仲間のような、針をとおして、我と魚が一体化する関係になる。

    『老人と海』を読むと・・・
      現代の社会で生きている我々が無視していること、
      それを無視することは普通じゃないと感じさせてくれる。
                   ・・・とも、講師は語る。


        
          見過ごしがちな、自然と自然の営み。

   なるほどね。
   聖書と同様に、『老人と海』を、何回繰り返し手にとって読み返したことでしょう。
   『老人と海』を、自分なりに自己解説しながら読み続けてきた私は、
   今回、指南役の先生の解説で、読み解かれていくのが素晴しいのです。


   『100分de名著』は、
    正に講義を受けているような、
    考え方が広まっていくのが面白くて、楽しみです。


       今日も、『読書の秋』を満喫する私です。
                感謝!感謝!



そして。

今日は10月11日。年間第二十八月曜日。

『今日の入祭唱』

   『災いの日、主はわたしの支えとなり、
 わたしを広い所に導き出し、助けとなり、喜び迎えてくださる。』
         詩編 18章19&20節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、群衆の数がますます増えてきたので、
         
       イエスは話し始められた。

     「今の時代の者たちはよこしまだ。
しるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。

  つまり、
   ヨナがニネベの人々に対してしるしとなったように、
           

    人の子も今の時代の者たちに対してしるしとなる。


       ※南の国の女王は、
                          裁きの時、
       今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、
       彼らを罪に定めるであろう。

       この女王はソロモンの知恵を聞くために、
         地の果てから来たからである。

       ここに、ソロモンにまさるものがある。


       ※また、ニネベの人々は
                          裁きの時、
       今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、
       彼らを罪に定めるであろう。

                   ニネベの人々は、
                        ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。

        ここに、ヨナにまさるものがある。」』
                  ルカによる福音書 11章29-32節


    今日のイエス様は、
   人々は、神を信じるための『しるし』を欲しがるが、
     『イエス自身が、天からのしるし』 
       であると人々に語ります。


 旧約時代。

   ※ニネベの人々は、
    神にニネベの地に派遣されたヨナの『改心を勧める話』を聞くだけで、
       『しるし』を見なくても、
      ヨナの『勧め』に応えて、改心をし、神を信じました。
  又。
   ※南の国の女王は、
    神が与えられたソロモンの『知恵』を聞くために、遠くからソロモンを訪ねました。
       『しるし』を見なくても、
      ソロモンの『知恵』を聞いて、改心をし、神を信じました。


        ニネベの人々も、南の国の女王も、
        異邦人でしたが、
        『しるし』を見なくても、
        ヨナやソロモンの話を聞くだけで、神を信じたのです。

そして。

  新約の時代。イエスの時代。

    ※ユダヤ人たちは、
      信仰を持っているはずです。
      イエスのなさっている言動を見れば、
      そこに、十分な『しるし』を見るはずです。
      そこで、反省をし、改心をし、神を信じるはずです。

   ところが、
   ユダヤ人たちは、もっと大きな『しるし』を見せて欲しいと願うのです。 
   イエス様は、『しるし』が信仰を与えるものではないので、願いには応えません。
        

      イエス様は、人間の自由を尊重して、
      ご自分がなさる『言動』をもって、改心をしてほしいのです。


      人は、イエスの生活において、神の働きを見ることができ、
      イエスが神から遣わされた方だと認めるのです。信じるのです。

 
『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『あの日、荒れ野のメリバやマサでしたように、心を頑なにしてはならない。』
         詩編 95章8節         アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
秋深し。STAY HOMEでは、読書の秋、芸術の秋、が楽しいですね。
美しいものに触れながら、自己を高めていきたいものです。 お元気で!

正義と至福が接吻・・・『バベットの晩餐会』 そして 『良い土地に落ちた種とは、御言葉をよく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。』

2021-09-18 11:49:49 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
9月18日。土曜日。曇り。のち晴れたり小雨。

友人が勧めてくれた映画。

      『バベットの晩餐会』
 
              奇跡の天才シェフ・バベットさん

  皆様! 皆様は宝くじで『120万円』当たったら、何にお使いになりますか?

    バベットは『1万フラン 』(100万or120万円? )が当りました♡♡
       彼女は、御自分の『腕』を使って、
   『大事なこの時を捧げよう、力の限り神に仕えるために。』 と、
       大切な12人のための『晩餐会』開催費用に、
         全額を使うと決めるのです。 

 
  
             最高級品ワインの味を確かめるバベットさん

     フランス一のシェフとして腕をふるっていたバベットさんです。
     それでも、
     人生には何が起こるか分からない。
     突然に、愛する家族も全てを失ったバベットさんは
     パリからユトランドの片田舎 に亡命したのです。

   亡命したバベットさんを迎え入れてくれたのは、牧師の娘の老姉妹でした。

   初めて出会って以来十数年後。
   バベットさんは、その老姉妹のために、『晩餐会』を開くと決めたとき、
        失ったものを嘆くのではなく、
       再び、持てる『腕』を生かすのです。
             パラリンピックの生みの親のグットマン博士 の『言葉』でしたね。 
      
   結果は・・・
         『晩餐会』が開かれ、
        その『極上の料理』が、
     晩餐会出席者の12人のかたくなな心を溶かしていくのです。

    招待者の将軍に、
    『正義と至福が接吻を交わすのだ』
     又、
    『この美しい世界では全てが可能だ』 と、言わしめるのです。

  
     『晩餐会』の成功に、ホッとして初めて座るバベットさん


          『バベットの晩餐会』で、
        最高においしいバベットさんの作る食事が、
      皆に、『人生の本当の幸せ』に気づかせるのです。

             見事に、
                              『正義と至福が接吻を交わすのだ』
         『この美しい世界では全てが可能だ』 
       『信仰』と『至福の時間』が接吻するのです。
         両者が溶け合うのです。融合するのです。


    友人お勧めの『バベットの晩餐会』を見終わった私は、
    素敵な『バベットの晩餐会』に魅了されて、
      コロナ禍の収束の暁には、
     「我が家でも晩餐会の再開を一番に!」と思い、
         又、高価な食事でなくとも、
  食事を共にすることは大いなる喜びにつながるものだと確信し、
      コロナ禍の早い収束を祈った次第です。
             感謝!感謝!


そして。

今日は9月18日。年間第二十四土曜日。

『今日の入祭唱』

     『主よ、神は僅かに劣るものとして人を造り、
      なお、栄光と威光を冠としていただかせ、
御手によって造られたものをすべて治めるように、その足もとに置かれました。』 
          詩編 8章6&7節


『今日の福音 イエスの御言葉』

     『そのとき、大勢の群衆が集まり、
     方々の町から人々がそばに来たので、
   
    イエスはたとえを用いてお話しになった。

   「種を蒔く人が※種蒔き※に出て行った。
      蒔いている間に、

 ※ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。
 ※ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。
 ※ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。
 また、
       ※ほかの種は良い土地に落ち、
      
       生え出て、百倍の実を結んだ。」


      イエスはこのように話して、
    「聞く耳のある者は聞きなさい」 と大声で言われた。

      
  弟子たちは、このたとえはどんな意味かと尋ねた。
  イエスは言われた。
   「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、
     他の人々にはたとえを用いて話すのだ。
    それは、
   『彼らが見ても見えず、聞いても理解できない』
                  ようになるためである。


       のたとえの意味はこうである。
        種は神の言葉である。

  ※道端のものとは、
    御言葉を聞くが、
    信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、
     その心から御言葉を奪い去る人たちである。

  ※石地のものとは、
    御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、
    根がないので、しばらくは信じても、
     試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである。

 そして、
  ※茨の中に落ちたのは、
    御言葉を聞くが、
    途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、
    実が熟するまでに至らない人たちである。


        ※良い土地に落ちたのは、  
        立派な善い心で御言葉を聞き、
     よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。」』
              ルカによる福音書 8章4-15節


   今日のイエス様は、弟子たちと大勢の群衆に向かって、
     『種を蒔く人』 の 『たとえ話』 をします。


     イエスは、沢山の人に、『福音宣教』をします。
     しかし、
   話しを聞く人は多いのですが、信じる人は少ないのです。
   そこで、
 イエス様は、『たとえ』をもって、話しを聞く者の『心構え』を話されるのです。


     種蒔くお百姓さんは、
     蒔いた種が駄目になることがあっても、失望しません。
     ある種は、立派に育ち、何倍も増えることを知っているからです。
     イエス様も、
     種蒔くお百姓さんと同様に、
     聞いて信じない人が多くとも、失望はなさいません。
     信じる人もいるのですから。

では・・・

  イエスの話を聞く人は多いのに、
  なぜ?信じる人は、少ないのでしょう?

  ※ある人は、心が堅くて、
    『言葉』を聴いても、それを心に受け入れることができません。
  ※ある人は、多くのことに興味を感じていて、
    『御言葉』を聴いて、しばらくの間は興味を持ちますが、
    『悔い改め』の話しを聴くと、それに答える勇気はないのです。


      いつの時代の『福音宣教』でも同じです。
         信じる人は少ないのです。

       『福音宣教』は『種蒔き』です。
      お百姓さん や イエス様のように、
    多くの実をつける種もあり、信じる人も出るのです。
      それはすばらしい『結果』、『実り』です。
    それを感謝することで十分なのではないでしょうか。

    そこで私は考えました。

        『種蒔き』も『福音宣教』も、
    一生懸命に、『種蒔き』をすることが、一番大事なのです。
    一生懸命に、『神の御言葉』を聴かせることが、一番大事なのです。
    どこで、いつ、どれだけ、成功するかは、神様にお任せです♡♡♡

 バベットさんも、何も考えずに、自分の『腕』を信じて、『晩餐』を開いたのです。
   すると、結果は、
   列席者皆さんの『頑なな心』がとけ、皆が愛し合うようになったのです!


『今日の拝領祈願』

    『いつくしみ深い父よ、感謝のうちに祈ります。
 キリストに結ばれたわたしたちが、日々キリストに似る者となり、
    その命に永遠にあずかることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
宝くじで100万円当る! 考えるだけで嬉しくなりますよね。
当った時の使い道を想像致しましょう。楽しい下準備です!  お元気で!

青春とは心の様相・・・『青春の詩』 そして 『ものの見えない案内人、あなたたちは不幸だ。』

2021-08-23 14:58:41 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
8月23日。月曜日。曇り。

          『青春の詩』 
  
                         我が息子・青春真っ只中
詩人・サミュエル・ウルの『青春の詩』

  『青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。 
   年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いる。
 
       苦悶や、疑惑、不安、恐怖、失望、
     こういうものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、
       精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
 
       人は信念と共に若く  疑惑と共に老ゆる。
       人は自信と共に若く  恐怖と共に老ゆる。
       人は希望と共に若く  失望と共に老ゆる。』
           サミュエル・ウル原作の一部


     『若さのもと』は、『信念、自信、希望』
        その通りかもしれない。

      では、
       信念、自信、希望の『三本柱』を
        どのように身につけるのか?


年を重ねた私に※見えてきたもの※がある。    
   
      答は ※『成熟』※ です。

   ※一つ所に満足してじっとしてしまうことなく、始終励む人。
 ※一つの考えに固執することなく、他者との関係で、自分の考え方を修正できる人。
    つまりは、 理想を追い求めて、いつも謙虚でいられる人。 
    そんな人こそ、  成熟した人です。

 ※人は成熟するにつれて、信念、自信、希望の『三本柱』、が身についていくのです。


  『年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いる。』
 
      今日も、本を読みながら・・・『詩』をメモしました。
         『生涯青春』でいたいものですね。


そして。

今日は8月23日。年間第二十一月曜日。

『今日の入祭唱』

     『主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。
     主を畏れる人には、何も欠けることがない。
    主に求める人には良いものの欠けることない。』
         詩編 34章10ー11節


『今日の福音 イエスの御言葉』

     『そのとき、イエスは言われた。
  
   「律法学者たちとファリサイ派の人々、 あなたたち偽善者は不幸だ。
  
         人々の前で天の国を閉ざすからだ。
     自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。

    律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。

      改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、
           改宗者ができると、
       自分より倍も悪い地獄の子にしてしまうからだ。


       ものの見えない案内人、あなたたちは不幸だ。

       あなたたちは、
       『神殿にかけて誓えば、その誓いは無効である。
    だが、神殿の黄金にかけて誓えば、それは果たさねばならない』 
                             と言う。

         愚かで、ものの見えない者たち、
      黄金と、黄金を清める神殿と、どちらが尊いか。
      また、
      『祭壇にかけて誓えば、その誓いは無効である。
    その上の供え物にかけて誓えば、それは果たさねばならない』 と言う。

         ものの見えない者たち、
      供え物と、供え物を清くする祭壇と、どちらが尊いか。

 祭壇にかけて誓う者は、祭壇とその上のすべてのものにかけて誓うのだ。
 神殿にかけて誓う者は、神殿とその中に住んでおられる方にかけて誓うのだ。
 天にかけて誓う者は、神の玉座とそれに座っておられる方にかけて誓うのだ。」』
        マタイによる福音書 23章13-22節



今日のイエス様は・・・
      エルサレムの指導者たちを※非難※するのです
  律法学者たちやファリサイ派の指導者たちが『神の教え』を曲げて教えてきたことを、
      悲しむのです。 理想を求めて苦悩なさるのです。


 ファリサイ派の人々は、
 熱心な人が多く、自分が人より熱心だと思って、一般の人を軽蔑することがありました。
 『律法』の細かい規則まで守ることを大切にして、守らない人を罪人と見なしました。
 『律法』は神からもらったものであると大切にしながら・・・
   神から派遣されて、『神の言葉』を話しておられるイエスを信じませんでした。
 イエスにおいて、『神の働き:救い』を見ることができませんでした。
 神を求める人を導くどころか、彼ら自身が『妨げ』となりました。


    新約の時代になって、
    ファリサイ派の人々は、ユダヤ教の指導者となりました。
    彼らは、イエスを信じる人たちを、ユダヤ教から排斥しました。
    そんな
    ファリサイ派の人に対するイエスの『言葉』は、厳しいものでした。
    それは、
    イエスは、決して、ファリサイ派の人たちを見捨てるようなことではなく、
    改心して、心を新たにして、外側だけでなく内側も綺麗にしなさい、
        と、呼び掛けたのです。


  私たちはどうでしょうか?
    熱心のあまり、『規則より愛が大切』、だと忘れていませんか?
    わたしたちは『愛であるキリスト』に、お人を導く案内人ですか?

    わたしたちひとり一人にも、『悔い改め』が必要なのです。
    

『今日の拝領祈願』

 いつくしみ深い父よ、
 わたしたちが、まことの信仰に成長することができますように。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
年を重ねても、理想を求めて、青春人でいたいものです。
今日も良いことがありますように。 お元気で!

『蝉の合唱』・・・夏景色・・・『空海の風景』 そして 『毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなる。』

2021-07-27 05:30:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
7月27日。火曜日。快晴。

 朝早くから・・・
 
                          蝉一匹 確認できますか?

 雲一つない快晴の青空に・・・ 『短い命を楽しむ蝉』 ・・・声たかだかに鳴いています。

     蝉は、土の中での幼虫期間は5~6年ほど。
     そして成虫になってからの、地上での寿命は『1週間』 といいますよね。
     1カ月くらい生きることもあるとか。

          夏の大空のもとでの短い命 はかない命
          ♡♡声高らかに、満喫してください♡♡

 
     私が自分に課した『夏休みの挑戦』は『司馬遼太郎作品の読破』です。
             何冊読めるだろうか?
         只今はまだ一冊目。 『空海の風景 上』です。
   
         あくまで「小説」であるという司馬遼太郎だが、
     司馬氏の本に、「歴史」の学びの楽しみを覚える、 歴史好きの私です。

         空海幼少期から恵果阿闍梨と出会うまでが上巻。
       幼少期以前の、空海の先祖佐伯氏の話まで遡って、始まります。
         私の一番の興味の対象は、『空海と最澄の対比』です。


       なかなか難しい本であるからこそ『夏休みの挑戦』です。
         今日も、挑戦後の『達成感』を味わうために、
    オリンピック選手たちの『挑戦後の達成感』を想像しながら、読書です。
                        感謝!感謝!


     
   今日も、すべてのオリンピック選手の健康が守られ、実力を発揮出来ますように!
             ひたすらお祈り申し上げます。


そして。

今日は7月27日。年間第十七火曜日。

『今日の入祭唱』

  『あなたの御言葉は、わたしの道の光。
     わたしの歩みを照らす灯。』

       詩編 119章10節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。
 
       すると、弟子たちがそばに寄って来て、
     「畑の毒麦のたとえを説明してください」 と言った。

         イエスはお答えになった。
       「良い種を蒔く者は人の子、 畑は世界、
     良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。
          毒麦を蒔いた敵は悪魔、
    刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。

     だから、
        毒麦が集められて火で焼かれるように、
        世の終わりにもそうなるのだ。



          人の子は天使たちを遣わし、
  つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、
       燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。
      彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。
 
          『最後の審判』    ミケランジェロ作品

     そのとき、
     正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。


         耳のある者は聞きなさい。」』
         マタイによる福音書 13章36-43節


       今日は、『毒麦のたとえ話』 です。
お百姓さんが、畑に、『良い種』を畑に蒔いたのですが、その中から『毒麦』も現われたのです。
神は、全世界を、導くのですが、世界中には『良い人』もおれば、『悪い人』も現われるのです。

       
     神様は、忍耐深く、『悪い人』の改心を待ち続けてくださるのです。
     人間は、一人残らず『悪い人』で、改心を必要とする者なのです。
        神の忍耐深さに感謝をするのです。
     人間は、神の忍耐深さに支えられて、『この世の命』を終えるのですが・・・
        全員が『世の終わり・最後の審判』の時を迎えるのです。


     『世の終わりの時』に、
     『つまずきとなる者すべてと不法を行う者』は、
       毒麦が集められて火で焼かれるように、そのようになるのです。
     『正しい人々はその父の国で太陽のように輝く』のです。


私たちも、
神が私たちに忍耐深い御方であるように、
お人に忍耐深く、お人と互いに許し合いながら、
『正しい人』となるように、精進致しましょう。
まずは、神の『愛・忍耐』を知ることから始まりですね。
祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『種は神のことば、蒔く人はキリスト。キリストを見いだす人は永遠に生きる。』
                         アレルヤ、アレルヤ。

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
東京は朝から小雨だそうですね。気温が、オリンピック開会以来、少し低いそうです。
ホッとしますね。オリンピックの選手の健康が守られますように! 実力を発揮出来ますように!

夏休み・・・読書三昧 そして 『イエスは、御自分のことを言いふらさないようにと戒められた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。』

2021-07-17 10:41:19 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
7月17日。土曜日。晴れ。

今日から夏休みです。

 
    大空に・・・ 『サルスベリ』 ・・・咲き出しました。 盛夏到来です。


 昨日で、『聖書100週間・聖書通読会』の今期の最終日を迎え、夏休みに入りました。
 『聖書100週間』は、予習のための勉強にかかる時間が半端ではない。 
 毎日、『聖書』が頭から離れることがない。『聖書』が後ろから声をかけてくるのです。


 昨日の最終クラス。
 皆さんが、一ヶ月半の夏休みの過ごし方を、 嬉しそうに語っておられました♡♡
  「これで聖書以外の好きな本を沢山読めます」 
 本好きな仲間たち全員が、異口同音に語られたことは「読書」でした。
 
 私も、お仲間の皆さんと同じで、読書三昧の夏休みと致しましょう。楽しみです♡♡
 まとまった時間に恵まれる夏休み・・・10冊も続く『大作』を再読してみましょうかしら?
 それとも、沢山の作者の本を読んで、自分の心の体力強化?を計りましょうかしら?


      窓越しに見えるサルスベリが目に優しく、
      泣き出したの鳴き声が耳に優しく、
      冷房の効いた部屋で読書三昧です。
      今日から夏休みの始まりです。感謝!感謝!


そして。

今日は7月17日。年間第十五土曜日。

『今日の入祭唱』
 
   『主はわたしの光、わたしの救い、わたしは誰を恐れよう。
  主はわたしの命の砦、わたしは誰の前におののくことがあろう。』

       詩編 27章1節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、ファリサイ派の人々は出て行き、
   
    どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。


   イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。
      大勢の群衆が従った。
 
     イエスは皆の病気をいやして、
   御自分のことを言いふらさないようにと戒められた。


  それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
      (イザヤ書42章1-4節『主の僕の召命』

   「見よ、わたしの選んだ僕。 わたしの心に適った愛する者。
   この僕にわたしの霊を授ける。 彼は異邦人に正義を知らせる。
     彼は争わず、叫ばず、 その声を聞く者は大通りにはいない。
         正義を勝利に導くまで、
     彼は傷ついた葦を折らず、 くすぶる灯心を消さない。
       異邦人は彼の名に望みをかける。」』

         マタイによる福音 12章14-21節


ファリサイ派の人たちは、
イエスの働きに反対して、又 イエスの教えは律法に反しているとして、
イエスを殺そうと考えていました。
イエスは、
ファリサイ派の人たちの考えを知っておられましたが、
ファリサイ派の人たちと争うことなく、
ご自分に与えられている『使命』を最後まで果たすことを大切になさいました。
『弱い人を助け、倒れそうな人を力づける』ことが『救い主の使命』と考えました。
   イエスこそが、旧約聖書のイザヤ書の『主の僕の召命』なのです。


      イエス様は、
      イザヤが預言した『主の僕』の通りに・・・
       地上に正義をもたらしたのです。
   御自分の使命を、外部的輝きではなく、柔和のうちに示されたのです。
         外部的輝きのない
         
               『十字架上の死』
   イエスの生前には、イエスは異邦人に話をする機会が少なかったのですが、
    イエスの復活後には、
 イエスの『使命』を引き継いだ弟子たちが、異邦人にイエスの話をし、癒やされたのです。


私たちも、
イエスの仕事を続けることは、私たちの使命なのです。
今の世の中にも、
飢えている人たちや、何かを求めている人たちが、
沢山いらっしゃいます。
愛を証しする人、信仰を証しする人、が求められています。
私たちも、弱い人、希望のない人、の隣人になることができますように
祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
『神はキリストによって世を御自分と和解させ、和解のことばをわたしたちにゆだねられた。』
    コリントの信徒への手紙Ⅱ 5章19節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
ますますSTAY HOMEの自粛生活を求められる週末です。
皆様の家の中の楽しみはなんでしょうか? 素敵な週末をお過ごしください。  

『沖縄慰霊の日』・・・歴史教師との出会いが生徒たちの人生を変える・・・『奇跡の教室』 そして 『あなたがたは、その実で彼らを見分ける。すべて良い木は良い実を結ぶ。』

2021-06-23 10:31:37 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
6月23日。火曜日。晴れ。

今日は『沖縄慰霊の日』
76年前の今日、
3ヶ月にわたった沖縄戦の戦闘が終結した日です。
沖縄の人々が味わった絶望や痛みに思いを寄せる日です。

一人一人が『歴史』と向き合うことが、
世界を良い方向に変えていくのでしょう。
昨日は映画:『奇跡の教室』を観ました。


       ある歴史教師との出会いが、生徒たちの人生を変える・・・
 
       『映画』:『奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ』

    学ぶことこそが未来を変えるエネルギーになりえる・・・。
    本物を知る教育が人生を変えるエネルギーになる・・・。
    それは、
    歴史を知ることがいかに思春期の人生をひっくり返す作用があることか・・・。


   高校の一クラス生徒たちが、『アウスシュビッツ収容所』の歴史を知ることで、
        今の自分たちを変え、
      将来の自分たちの人生に大きく影響していくのです。


孫娘との約束が私にはあります。
孫娘は、父母に連れられて、あちこちの外国の旅を経験しています。
そんな孫娘の、自らの希望で、行きたいところがあります。
それは『負の世界遺産』:『アウスシュビッツ収容所』です。

                 ヨーロッパの高校の修学旅行生たち
今は中二の孫娘にとって、一年半後の、高校生『自主旅行計画』です。
私は高校入学祝いに連れて行くと、孫娘に約束しています。


     昨夜の映画で、私も再び、「アウスシュビッツ収容所」の歴史
         映画の中の高校生たちと共に、学び直しました。
    
      アウスシュビッツ収容所の隣にある、『ビルケナウ捕虜収容所』

    場所はポーランドの古都クラフクの西にある街オシフィエンチム
    当時ポーランドは人種差別も比較的少なくユダヤ人にとって住みやすく、
    200万人ものユダヤ人がいたそうです。

    ヨーロッパの各地から、
    ユダヤ人、政治犯、ロマ人(ジプシー)、病気の弱者、の沢山の人たちが、
    「アウスシュビッツ収容所」へ運ばれてきました。
     『収容所』から、労働力にならない女、子ども、病人さんたちは、   
        さらに、『ビルケナウ捕虜収容所』に送られます。
  
        そこで百数十万人以上の命が奪われました。

   映画「シンドラーのリスト」で、夏にこの貨車でギュウギュウ詰めで、
   運ばれてきた汗だくのユダヤ人にお水をホースでかけていたシーンが、
   私の脳裏に蘇えりました。


        今日は、戦後生まれの私ですが、
          『映画』を見ることで、
    戦争の惨事の意味を問い直し、私の将来へ教育とする、ことに致します。
    『歴史』に『映画』に、そして『本』に教育される私です。感謝!感謝!

私も、孫たち、若い人たちを、アンヌ女性教師のように、可能性を信じて、共に歩んでいきたいものです。
       できる範囲で、『歴史の事実』を語り継ぎたいものだと、
       気持ちを新たにした『沖縄慰霊の日』の今日でした。合掌。
                      


そして。

今日は6月23日。年間第十二水曜日。

『今日の入祭唱』

   『あなたの御言葉は、私の道の光、私の歩みを照らす灯。』
        詩編 119章105節


『今日の福音 イエスの御言葉』

      『そのとき、イエスは   弟子たちに言われた。
 

         「偽預言者を警戒しなさい。
   彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、
         その内側は貪欲な狼である。

       あなたがたは、その実で彼らを見分ける。
    茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。
    
     すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
        良い木が悪い実を結ぶことはなく、
      また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。


    良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。
     このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」』
       マタイによる福音書 7章15-20節


   旧約時代。  『預言者』は、『神の言葉』 を告げる人でした。
イエスの時代。 『神の言葉』を話す人と自称する『ファリサイ人』を『偽預言者』である、
           ファリサイ人は、神の言葉ではなく、自分の言葉を話している、
                 と、イエスはおっしゃっるのです。

  『偽預言者』は、『言葉』と『行い』は、往々にして自分の誇示のためでした。
        誰もが、偽善者になる危険性を持っています。
       自分の行動は、 神のためですか? 自分のためですか?
        常に反省しながら、行う事が大切ですね。


         『真の預言者』は、イエス様です。
      その『御言葉』は、『神のこと』を話されました。
      その『行い』は、神に導くことを目指されました。
      その『目的』は、人々が『本当の信仰』を持つことでした。 
         イエス様は、常に、『神様』のためでした。


私たちも、
その生活が、イエスに倣うものでしょうか?
自己顕示から出る生活でしょうか?
いつも反省し、学びながら、穏やかな日々を送りたいものです。
力を祈りましょう。

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『わたしのうちにつながっていなさい。そうすれば、わたしもあなたがたのうちにいる。
      わたしにつながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。』

        ヨハネによる福音書 15章4-5節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
『沖縄慰霊の日』の今日、又 懐かしい人々の『慰霊の日』には、
先人たちに思いを馳せ、感謝し、偲び、先人たちから学び直したいものです。お大事に!

100分de名著・・・『生の短さについて』 そして 『わたしについて書いてある事柄はすべて実現する。』・・・『イエスの復活』・・・『あなたがたはこれらのことの証人となる。』

2021-04-08 10:00:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
4月8日。木曜日。晴れ。


NHKテレビ:『100分de名著』
大好きで、録画して、後ほどにゆっくり見ます。
前もって、月毎に読まれる『名著』を購入
予習をしておきます。 楽しさが倍になる。



             『生の短さについて』
        
      『生は浪費すれば短いが、 活用すれば十分に長い』

      2020年ほどの前も、今も、人の考えることは同じだと、
                改めて思い知る。


ところが・・・
先月は 月一冊ではなく 毎週一冊ずつで、
月四冊の『名著』を読みこなした先月の番組。
予習が間に合わなくて・・・
復習となってしまった一冊です。



                  『温故知新』
古典はそのままでは死物だが、 今を生きる者が温めて、 生きたものになっていく。

   
       作者の・・・    『ルキウス・アンナエウス・セネガ』
       
                               プラド美術館

                 お顔が、いと良い。

          生誕:紀元前1年頃  ~ 没:65年 4月
 ユリウス・クラウディウス朝時代(紀元前27年 - 紀元後68年)のローマ帝国の 政治家、哲学者、詩人。
第5代ローマ皇帝ネロの、 幼少期の家庭教師としても知られ、 又  治世初期にはブレーンとして支えた。
ストア派哲学者としても著名で、 多くの悲劇・著作を記し、 ラテン文学の白銀期を代表する人物と位置付けられる。


      セネガの66年の『集大成本』が、 現在を生きる私に問いかけてくる。


             私は、古典と哲学が好き。
    好きが高じて、60歳になって、大学哲学科の聴講生になった。
        若者と熟年者の学びの喜び、の違いを知った。
         人格の形成の喜び と 人格の熟成の喜び
             の違いだろうか。

     今日も、私は、 『100分de名著』に強制されて? 本を読み続けます。
                 感謝!感謝!
       

そして。

今日は4月8日。復活の木曜日。

『今日の入祭唱』

   『神よ、 死の国から救われた人々は、 聖なる御名をたたえて歌う。
     知恵が、口のきけない者の口を開き、 幼児にも語らせた。』

          知恵の書 10章20-21節


『今日の福音 イエスの御言葉』


   『そのとき、 エルサレムに戻った(エマオの道の)二人の弟子は、
 
  道で起こったことや、
  パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。

こういうことを話していると、
         イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、
 
      「あなたがたに平和があるように」  と言われた。
     彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。


そこで、イエスは言われた。
 「なぜ、うろたえているのか。 どうして心に疑いを起こすのか。
  
           わたしの手や足を見なさい。
       まさしくわたしだ。 触ってよく見なさい。


亡霊には肉も骨もないが、 あなたがたに見えるとおり、 わたしにはそれがある。」
      こう言って、イエスは手と足をお見せになった。


彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、
    イエスは、
     「ここに何か食べ物があるか」 と言われた。
  
      そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、
    イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。

イエスは言われた。
「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、
          必ずすべて実現する。

 
       『律法と預言書について話すイエス・キリスト』

これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」


   そしてイエスは、 
    聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、 言われた。

      「次のように書いてある。
  『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。
   また、
罪の赦しを得させる悔い改めが、 その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』
 と。

エルサレムから始めて、 あなたがたはこれらのことの証人となる。」』
         ルカ福音書 24章35-48節


  復活したイエス様は、 色々の方法で、 弟子たちの信仰 を確かにしていかれます。


最初に、

 墓から復活した朝、 
        婦人に現われ、
 
  話しかけました。頼み事をしました。

次に、

   復活の朝、婦人と出会った後に、
    イエスの死に絶望してエマオへ帰る二人の弟子に現われ、 
   
       共に歩き共に食事をして、 信仰を確信させました。

更に、
復活の夜、

エマオから走り戻った二人の弟子の証言を聞く11人の弟子たちに現われ、
       聖痕のついた手足を見せ、 魚を食べて、 
     
           聖書の言葉を説明なさり、
      復活後も 『生きているイエス』 を確信させました。


『信仰』とは、 イエスが今も生きておられ、いつも一緒にいてくださる、 事実を信じることです。
復活後にご自身を現されたイエス様は、 生前に弟子たちと共にいたイエス様、 そのものです。



    弟子たちは、
     イエス様から『信仰』を確かにされて、
      『イエスの復活の証人』 となり、 『事実』を人に伝える、 『使命』を受けたのです。


私たちも、
お姿は見えなくても
一緒にいてくださるイエス様を
信じることができるようになりたいものですね。
お祈りいたしましょう。


『今日の拝領唱』

   『あなたがたは、 選ばれた民、聖なる国民、 神のものとなった民です。
 それは、あなたがたを暗闇から光に招き入れてくださった方を、広く伝えるためなのです。』

         ペトロの手紙Ⅰ 2章9節
            

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日が明日へとつながり、 明日が永遠へとつながる。ワクワクしますね。 お元気で!

28年の時を経て私のもとに届いた・・・『方丈記』 そして 『主よ、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。』

2021-02-11 10:00:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
2月11日。木曜日。晴れ。

先週の土曜日に私はブログに書きました。 
土曜日の楽しみは、
我が家が購買する新聞の
『コラム』:『なつかしい一冊』です。と。

先週の『一冊』は、鴨長明の『方丈記』で、
 コロナ禍で本屋に行くのもはばかり、
早速にアマゾンに『方丈記』を発注しました。

 嬉しいことに、昨日到着しました。
  
                     『方丈記』
            
           中古本ですが、新品同様の美しい本が届きました。


私は本を買うとすぐに・・・
必ず、書き込みます。

                『第1ページ』

          購入年・月・日曜日 そして 購入時年齢

          又読み返すときに、『書き込み』 を見ると・・・
     前に読んだ頃がよみがえってきて、胸キュンと、とても楽しいのです。


今日
『方丈記』を読み進めていくうちに・・・
 驚きました。

                   『最終ページ』
            
             『書き込みメモ』が残っていました。

                    『1993・H5・10・27(水) 
                  於 東京駅八重洲ブックセンター
                     〇〇◎男(56才)』


 私のもとに届いた『方丈記』は、
    28年前の1993年、今は84才で当時56才の、〇〇◎男様がお買いになった『方丈記』です。

     28年前といえば・・・
     私は〇〇才の『家住期』真っ最中の、楽しく、充実した日々でした。
     『東京駅八重洲ブックセンター』も良く知っています。

         お人の『書き込み』でも・・・
     『私の28年前の日々』 と 『八重洲ブックセンタ-』 がよみがえってきて、
        懐かしさがこみ上げてくる『〇〇◎男様のメモ』でした。


更に。
私は『新聞記事』に啓発されて購入する本には・・・


     切り取って、本に貼りつけるのです・・・  『新聞記事』

              『見開きページ』

     『新聞記事』には、
       『新聞記事掲載日』 と 『本の購入場所と値段』 を『メモ』します。


  『〇〇◎男様』
   私と同じようなことをなさる方がいるものですね。
   どんなお方かしら? 読んで何をお感じになったのかしら? なぜ手放したのかしら?
     49才で出家・63才で没の鴨長明の人生を、自分の人生と重ねて考えてみたいと
       お考えになった56才になった〇〇◎男氏だったのでしょうか?

          ちょっと・・・お会いしてみたいような、
       お会いする日が来るかもしれないなんて思ったりもしました。
 

      今日は、建国記念日の祭日、労働を忘れて、読書三昧でした。
      内容は納得しつつも、その語句は難解で一筋縄にはいかない。
      でも、
      『〇〇◎男様のメモ』で、二倍も楽しい読書でした。 感謝!感謝!


そして。

今日は2月11日。年間第五木曜日。

『今日の入祭唱』

  『主は平和を宣言されます。
御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に、彼らが愚かなふるまいに戻らないように。』

              詩編 85章9節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは  ティルスの地方に行かれた。
 ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、
      人々に気づかれてしまった。

汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、
      すぐにイエスのことを聞きつけ、 来てその足もとにひれ伏した。
 
       女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであったが、
          娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。

イエスは言われた。
     「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。
     子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」  


ところが、女は答えて言った。
 「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」

そこで、イエスは言われた。
    「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。
     悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」


女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。』
         マルコ福音書 7章24-30節


   イエス様は、
   生前は、ご自分で、ユダヤ人が多く住む地も、異邦人の地も、どこへも行かれ、
     『神の言葉』を伝え、病人を癒やして、悪霊を追い出されました。
 そして。
   御昇天後は、弟子たちに、ご自分の『仕事・使命』を任せられました。


     イエス様は、 ユダヤ人も異邦人も、区別なく、
       『神の恵み』をお与えになりました。


      ただ、
       『神様の計画』は、
 先にユダヤ人に『信仰』を与え、そのユダヤ人が責任を持って異邦人に『信仰』を伝えることでした。

      そして、
  イエス様の『恵みの条件』 は 『信仰』 でした。


   イエス様は、誰の差別なく、その人に『信仰』を認めると、すぐに助けてくださいます。
   今日も、イエス様は、
汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ異邦人の母の願いを、お断りになるような様子を見せましたが、
     母の諦めない様子から、母の『深い信仰』を認められ・・・
       母親の幼い娘さんの病を治されたのです。

     
    『神の恵み』は、世界中の全ての人に与えられるのです。


わたしたちも、
神から、先に『信仰』の恵みを頂きました。
『恵み』と同時に『使命』も頂いたのです。
神様は全ての人を愛しておられるという『福音』を
皆様に伝えるのです。
聖霊に力を頂きながら、実行できるといいですね。
       

『今日の祈願』

  『いのちの源である神よ、
    主のうちに結ばれたわたしたちが、
       平和と一致のために働くことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日も明日も明後日も、自粛生活を続けながら・・・
コロナウイルスの終息を祈ってまいりましょう。