マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『方丈記』・・・ゆく河の流れは絶えずして・・・『方丈庵』 そして 『聖アガタおとめ殉教者 記念日』・・・『イエスは、人々の飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。』

2021-02-06 20:22:14 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
2月6日。土曜日。晴れ。

土曜日の楽しみは、
我が家が購買する新聞の
『コラム』:『なつかしい一冊』です。

今日の『一冊』は、鴨長明の『方丈記』です。

今日のコラム筆者・辛酸なめ子氏の『なつかしい一冊』です。


      鴨長明の家・・・    『方丈庵』
 
      鴨長明は、この世の経験を重ねて後、山中の『庵』に移住。

      自然の中で、庵に住んで、当時の世間を書き記しつつ、
  あらゆるものが変化する世の中をいかに生きるかという『人生論』を書きました。
     その『人生論』:『方丈記』を書いた『庵』は、『四畳半』の広さでした。


     『ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。
流れに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて久しく留まりたる例しなし。』

        『方丈記の書き出し』で、移り行くもののはかなさ、を語る鴨長明です。


       働き方改革法 と コロナウイルス感染予防策として、
         政府は、 「新しい日常」 の奨励を語ります。
 そこで・・・
         地方移住の話などもテレビで観ますが、
      私も、『方丈庵』で書かれた『方丈記』を読み返して、
   コロナ禍の中での 『新たな生き方』 を思索してみることにいたしましょう。

    今日は、 『なつかしい一冊・方丈記』で・・・
     それを学んだ高校時代も懐かしく思い出し、
  早速アマゾンに『方丈記』を注文。 本の到着が楽しみです。 感謝!感謝!


そして。

今日は2月6日。年間第四土曜日。

          『聖アガタおとめ殉教者 記念日』
 
             『シチリアのアガタ』            フランシスコ・エ・スルバラン作

        アガタは、シチリア島のカタニアの貴族の家に生まれた。
教養もあり、大変美しかったアガタは、島の知事から結婚を申しこまれたが拒否したため怒りをかい、
         キリスト教徒であった彼女は法廷に引き出された。

         当時はローマ皇帝によるキリスト教弾圧が激しく、
     信仰を捨てさせるためアガタは乳房を切り取られるという拷問を受けた。
    衰弱しきってもなお祈り続ける彼女のところに聖ペトロが現われて励まし、
           奇跡的に傷が治ったといわれる。
 決して信仰を捨てない彼女はついに炭火と焼けつく石の上を引きずられ、牢獄の中で息を引き取った。

      アガタに対する崇敬は、すでに古くから教会で行われた。 
         『アガタ』 は 『よいもの』 の意味である。

  後に、大聖グレゴリオは聖女をたたえ、彼女を記念してローマに聖堂を建てた。


『アガタ』は、私の長女の『洗礼名』です。
私たち夫婦が属する教会で『要理』を教えておられたカテキスタ様が
私の娘の代母になってくださり、娘に授けてくださった『洗礼名』です。
今日は母親の私は、
我が娘が、『聖アガタ』に倣って・・・
その生涯を通して、祈りをもっていかなる困難をも乗り越え、『よいもの』 であり続けますようにと祈りました。


『今日の入祭唱』

   『キリストを信じ、キリストの愛のために命をささげた殉教者は、
        キリストとともに終わりなく喜び歌う。』



『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、 使徒たちはイエスのところに集まって来て、
        自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。


イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」 と言われた。
       出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。

そこで、  一同は舟に乗って、 自分たちだけで人里離れた所へ行った。
ところが、  多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、
      すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。

      イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、
 
飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。』

            マルコ福音書 6章30-34節


        イエスから『福音宣教』に遣わされた弟子たちは、
   宣教から帰ったときに、その成果を喜び、イエスに喜んで報告したようです。
    更に、
   イエスが亡くなった後は・・・
   使徒として、『キリストの言葉』 を伝える 『使命』 を全うしていかれたのです。



     沢山の人が、 『イエスの言葉』 を聞きたくて、 集まってくるのです。
   
      イエスは、どんな時も、信仰を求める人にお話しをなさいました。


わたしたちも、
キリストなしでは、
『飼い主の羊』のように、道に迷ってしまいます。
いつも聖書の『イエス・キリストの言葉』から離れないで、
キリストから教えられ、キリストに導かれていたいものですね。
   

『今日の祈願』

   『信じる者の希望である神よ、
       あなたは聖アガタに、純潔と殉教の冠をお授けになりました。
 わたしたちもすべての悪の力に打ち勝ち、あなたの国に入ることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日から週末です。皆様が自粛生活の中でも、ホッと一息なさいますように。

52年前に考えたこと・・・『考えるヒント』 そして 『イエスは12人を任命し、使徒と名付け、ご自分のそばに置かれた。』

2021-01-22 14:00:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
1月22日。金曜日。一日中霧雨。

今までに、沢山読んで、沢山処分してきた本です。
それでも
好きで、長年処分ができなかった本もあります。
    『My 秘蔵本』

自粛生活でSTAY HOMEの続く毎日。
長年持ち続けた『秘蔵本』を読み返しています。


  52年前(1969年)に購入した・・・   『考えるヒント』
 
         昭和39年5月(小林62歳)   初版発行  著者:小林秀雄
         昭和44年6月(1969年)     新宿・紀伊國屋で私は購入
                            (私は購入日を必ず記録するのです)

     57年前に発行された『考えるヒント』は 『古典』 とはいえませんよね。

  52年前の若い私が読んだ時に、何を感じたのか自分の気持ちは全く覚えていません。
     ただ52年前の若い私には、きっと大きな影響が与えられたことでしょう。

  52年たった今、年を重ねた私が、 『考えるヒント』の中の『随筆』:『樅の木』 を読み返す時、
自宅にただ一本立つ樹齢何百年という 『樅の木』 への小林の際立つ愛情、を感じることができます。

      私は、年を重ね、現役から離れた今、
      物事を客観的に見ることができるようになり、
        小林秀雄の気持ちが、自分の気持ちと重ねて読めるのが、面白いのです。



そして。

今日は1月22日。年間第二金曜日。 

『今日の入祭唱』

   『主はわたしの光、わたしの救い、 わたしは誰を恐れよう。
  主はわたしの命の砦、 わたしは誰の前におののくことがあろう。』

              詩編 27章1節


『今日の福音 イエスの御言葉』


       『そのとき、  イエスが山に登って、
  これと思う人々を呼び寄せられると、 彼らはそばに集まって来た。
そこで、  十二人を任命し、使徒と名付けられた。

       彼らを自分のそばに置くため、
 また、派遣して宣教させ、 悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。


       こうして十二人を任命された。
 
       シモンにはペトロという名を付けられた。
 ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、
      すなわち、「雷の子ら」という名を付けられた。
アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、
  それに、イスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。』

         マルコ福音書 3章13-19節


      イエスは、自分と一緒に生活する 『12人の使徒』 を選びました。
         その選びは、『不思議な選び』 でした。
       彼らは、使徒にふさわしいと思われる人ばかりではなく、
   罪人と言われていた徴税人のマタイも、イエスを裏切るユダも、選ばれたのです。

          イエスと12人は、共に住み、互いに親しくなり、
       イエスと親しくなり、『新しい民』 となっていったのです。


    『福音』は、
      まずは、イエスご自身が、言葉と行いによって、述べ伝えました。
       その後、
      イエスに指名された12人の使徒を中心に、
      『新しい民』によってできた『キリスト者の共同体』によって、述べ伝えられたのです。


私たちキリスト者も、
ふさわしい者ではなかったのですが
神の恵みにより、選ばれたのです。
12人の使徒たち同様に、
福音を伝え、お人を幸せにする、
『使徒職』が与えられたのです。
聖書の『イエスの御言葉』を読みながら
いつもイエス様と共にいて、イエス様と親しくなり、
イエス様から力を頂き、
少しでも『使徒職』が果たせるといいですね。


『今日の祈願』

  『いつくしみ深い父よ、
 御ひとり子の豊かなたまもので満たされ、
   いつもそのいのちにに生きることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は、明日からの土曜日と日曜日はお休みですか?
STAY HOMEで思い出の品々をひっくり返してみるのもいいですね。
大寒の真っ最中で寒さの続く毎日、どうぞご自愛ください。

一緒にもだえて、哀しんで、力になりたいという強い気持ち・・・『もだえ神』 そして 『神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。』

2021-01-12 14:38:39 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
1月12日。火曜日。明け方小雪のち曇り。

昨日・月曜日の新聞のコラム:『余録』
『この苦しいコロナの今、
全ての人を救えるわけではない。
それでも力を尽くし、
回復を祈らずにはいられない。
そんな医療従事者の方々こそ、
一緒にもだえて、哀しんで、力になりたいという強い気持ちの
・・・『もだえ神』なのです。』


     『余録』の紹介本・・・  『苦海、浄土、日本』
 
   法政大総長・田中裕子氏の近著   『もだえ神』 について記している。

       昨朝の『余録』で知り、早速アマゾンに注文、今昼には届いて、早速の読書中です。


        ”あの『苦海浄土 ・石牟礼 道子』ならどう書いただろう” 
            と自己に問いかけながら書き進める田中氏です。
 ”私はコロナ禍の一年間で、何を考えたのだろう” と自己に問い直しながら読み進む私です。


           『悶える(もだえる)ということは、
   相手のことを想像したり、相手の立場に立ったりすると、相手が乗り移ってくる。
          頭で想像するだけでなく、乗り移ってくる。
      瞬間的に悶えている。 考えてそうするわけではないのです。
        考えて、じゃなくて。 そう体が動いてしまう。』

           ということ。 と知る私です。

私が存じ上げている
『悶える方』は『イエス様』です。

イエス様は、苦しむ人がいると、 ともかく走り寄り、

      その方たちの苦しみが『我が苦しみ』となり、悶える御方なのです。
          『苦しむ人と共にいる』。正に、『もだえ神』 なのです。


同様に。

   イエス様は、ご自分の死を覚悟したときに、『苦しみ悶え』ました。

 『イエスは、『最後の晩餐』の後、いつものように弟子たちとオリーブ山に行かれた。
   それから、祈るために、ペテロとゼベダイの子ふたりとを伴われたが、
         そのとき、悲しみもだえ始められた。
そして、彼らに言われた。
「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしとともに目をさましていなさい。」
それから、イエスは少し進んで行って、
        うつ伏せになり、祈って言われた。
   
          『ゲッセマネの祈り』 

   「父よ。できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。
      しかし、わたしの願いどおりでなく、御心のままに。」』

            マタイ福音書 26章36-39節

イエスの苦悩・悶え。
  その死は、『彼が指し貫かれたのは人類の背きと咎のためであった』  
                                   イザヤ書53章5節
         『愛のための死』 であったにもかかわらず、
     きわめて残酷で、惨めで、一番みすぼらしい十字架上での死でした。
周囲の人々から誤解され、嘲られ、唾を吐きかけられ、ののしられながら死んでいくことは、
        普通の人間であれば耐えられないものです。
 イエスの『苦悩』は、そうした死を受け入れるための『孤独の悶え』であったことでしょう。


コロナ禍のもとで働く医療従事者の苦悩・悶え。   
十字架から降りることはなさらず、『救いの御業』 を成し遂げて下さいましたイエス様と同様に、
    病人さんたちの苦しみが、『ご自分の苦しみ』になり、
 悶えながら、『医療現場』にとどまってくださる、医療従事者の皆様方の『もだえ神』なのです。


      今日も、私にできることは、『祈り』 だけです。
        心を込めてお祈りさせていただきます。

  『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』

    『いつくしみ深い神よ、 新型コロナウイルスの感染拡大によって、
          今、大きな困難の中にある世界を顧みてください。

           病に苦しむ人に必要な医療が施され、
感染の終息に向けて取り組むすべての人、 医療従事者、病者に寄り添う人の健康が守られますように。

   亡くなった人が永遠のみ国に迎え入れられ、尽きることのない安らぎに満たされますように。
      不安と混乱に直面しているすべての人に、 支援の手が差し伸べられますように。

  希望の源である神よ、
     わたしたちが感染拡大を防ぐための犠牲を惜しまず、世界のすべての人と助け合って、
         この危機を乗り越えることができるようお導きください。』

            日本カトリック司教協議会より


そして。

今日は1月12日。年間第一火曜日。

『今日の入祭唱』


     『主に感謝をささげ、 御名をたたえよ。
 主は恵み深く、慈しみはとこしえに、主の真実は代々に及ぶ。』

        詩編 100章4&5節


『今日の拝領唱 イエスの御言葉』


   『神は霊である。
  だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。』

           ヨハネ福音書 4章24節


     『霊』は、
   人間に生命を与え、人間の心を変化させる。
キリストの昇天後、教会を助け、これを形成し、又 信者はこれによって信仰が深められる。

            『聖書辞典』より


  イエスは、御昇天後、生前に約束した通りに、
    『弁護者』である『真理の霊』 を弟子たちに送られたのです。 ヨハネ福音書 16章7節
      共同体・教会を生かす『聖霊』のうちに御父もイエスも共にいるのです。


私たちも、
心のうちに宿る霊と真理をもって
神を礼拝したいものですね。
それは互いに愛し合うことで、実を結ぶのでしょうね。


『今日の集会祈願』
 
  『全てを一つに集めてくださる父よ、
 信じる人々が、あなたにふさわしい礼拝をささげることができるのは
         あなたの恵みによるものです。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
緊急事態宣言が、一都三県に続いて、大阪、兵庫、京都、愛知、岐阜、そして新たに福岡と栃木も加わるようです。
「ランチリスク低くない、外食ランチも自粛を」と西村氏。
最も大事なことは不要不急の外出をやめることのようです。
国民一団となって、緊急事態宣言をしっかりと受け止めてまいりましょう。

『シンドラーのリスト』・・・『一つの生命を救う者が世界を救える』 そして 『アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図』

2020-12-17 13:00:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
12月17日。木曜日。曇。

3時間15分の大作映画を観ました。
     『シンドラーのリスト』


第二次世界大戦時。
ドイツによるユダヤ人の組織的大量虐殺(ホロコースト)が
東欧のドイツ占領地で進む中
ドイツ人実業家オスカー・シンドラーが
ポーランド系ユダヤ人1100人の命を救った実話 です。


  映画の最終で・・・
    
          『今夜、真夜中に戦争は終結する。War is over。』
 
               『最後の別れの挨拶』
      1100人のユダヤ人とドイツの軍人たちの前で挨拶をするオスカー・シンドラー


       『明日から、君らは生き別れの家族を探す、その多くは見つかるまい。
        6年間に及ぶ惨事。世界が犠牲者を悼んでいる。我々は生き残った。
        私に感謝する者もいるだろう。自らに感謝せよ。Thank yourself。
            死の前で勇気を見せた仲間に感謝を・・・。』


私は『最後の挨拶』を聞きながら
胸がいっぱいになり
胸に手を当て、涙せずにはいれませんでした。
思わず、映画を観ながら・・・
『最後の挨拶』をメモせずにはいれませんでした。


      『シンドラーのリストを作成するシンドラーとユダヤ人会計士イザック・シュターン』
   

       ナチス党の党員でもあるドイツ人実業家オスカー・シンドラーは
戦争を利用してひと儲けすることを目論み、潰れた工場を買い取って、ホーロー容器工場を開設。
       有能なユダヤ人会計士イザック・シュターンに工場の経営を任せ、
         「安価な労働力」としてゲットーのユダヤ人を雇い入れ、
     また持ち前の社交性でSSの将校に取り入って自らの事業を拡大させていきます。

 しかし。

やがて冷酷なSS将校ゲート少尉がクラクフ・プワシュフ強制収容所の所長としてクラクフに赴任して来る。
    少尉ゲートとその部下のSS隊員達は、ゲットーや収容所でユダヤ人を次々と殺戮していく。
    会計士シュターン初め、シンドラーの工場で働くユダヤ人たちにも危機が迫る中、
       金儲けにしか関心がなかったシンドラーの心境に変化が生じていく。
            そして・・・
            彼はある『リスト』の作成を決意する。

          もうけた大金すべてをゲート少尉に賄賂として差し出し、
        1100人のユダヤ人を、工場の『労働力』として雇うという名目で
             『1100人の命』を救う『決意』をします。
         『シンドラーのリスト・1100人のリスト』を作成するのです。


『最後の別れの挨拶』は続きました。


           『私はナチの党員で、弾薬の製造業者だ。
            強制労役で利益を得た。私は犯罪人だ。

             君らは自由。 私は追われる身だ。
     零時5分まで君らと共にいて、その後逃亡する私を許してもらいたい。

      亡くなった君らの同胞をしのび、3分間の黙想を捧げよう。』



『最後の挨拶』を終えて・・・
逃亡の身となったシンドラーは、
一つづつのスーツケースを持ち
妻たちと4人で旅立ちます。


   『抱き合い最後の別れをするシンドラーとユダヤ人会計士イザック・シュターン』
 

  シンドラーーは泣き崩れます。
      『もっと救い出せた。もう少し努力をすれば・・・。
       車を売れば、10人を救えただろうに・・・。
       金のバッチを売れば、もう二人、いやもう一人救えた・・・。
       もっと努力すれば、もう一人救えたのに、救えなかった。』

  シンドラーの片腕として働いた会計士シュターンも泣き崩れます。
      『彼らから新しい世代が育ちます。
        もっと大勢を・・・? こんなに救って?』
 と言って
          手作りした『指輪』 をシンドラーに贈ります。     
     『指輪』には『ユダヤの聖書の言葉』が刻まれていました。

      『一つの生命を救う者が世界を救える』


     なぜ? 人間はなぜ、 正反対の『生と死の道』、 を選ぶことになるのだろうか?
           
               『答』は自分で決めるしかない。
            『自由』が与えられた人間は、自分の『選択』の報い、
                 が、与えられると神様は言われる。
             『自由』には『責任』が伴う事だけは確かであろう。
                



シンドラーは、
ナチ党員として裁かれることなく
その後は、新事業を始めます。
後に。
1961年に彼が救ったユダヤ人たちにイスラエルに招待されて以来・・・
年の半分を彼が隠居生活をしているフランクフルトで過ごし、
他の半分をエルサレム在住の、彼が救ったユダヤ人たちの下で過ごすという
    『二重生活』が、13年間、
1974年(66歳)にドイツのヒルデスハイムで亡くなるまで続けられました。
彼の墓は彼自身の希望により、エルサレムのローマ・カトリックの教会墓地にある。
シンドラーが助けた方たちの子孫は6000人以上だそうです。
 『一つの生命を救う者が世界を救くった。』 のです。
    『彼らから新しい世代が育った。』 のです。

そして。
『シンドラーのリスト』の映画監督・スティーヴン・スピルバーグは
『この映画を、犠牲になった600万人のユダヤの方々に捧げます。』
の『言葉』で、映画を終えました。 



そして。
年末で思い出すのは
『2020年度 ビッグニュース』
そのに続いて、その

        今年は・・・ 『被爆75周年』 
 
     原爆投下後・・・亡き弟を背負った 『焼け跡にたつ少年』

   米占領軍カメラマン・米国の写真家ジョー・オダネル氏の『証言』
  原爆投下後の広島・長崎に入り、被爆した市内の様子を撮影しました。
 火葬場にいた2人の男が背中の弟を下ろし、そっと火の中に置いた。 と証言。
   
      『No More ヒバクシャ No More 核兵器』   『No More戦争』  
       目を離すことなく・・・『その後』を見守っていきましょう。 


そして。

今日は12月17日。御降誕八日前。

『今日の入祭唱』

   『天よ、喜び歌え、地よ、喜び躍れ。 山々よ、歓声をあげよ。
   わたしたちの主は来られる。 貧しい人々を憐れんでくださる。』

        イザヤ書 49章13節参照


    『今日の福音 アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図』
 
 

       『アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。
   アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、
   ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、
    アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、
 サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、
           エッサイはダビデ王をもうけた。

   ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、
    ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、
    アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、
      ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、
      ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、
  ヨシヤは、バビロンへ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。

         バビロンへ移住させられた後、
      エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、
    ゼルバベルはアビウドを、アビウドはエリアキムを、エリアキムはアゾルを、
       アゾルはサドクを、サドクはアキムを、アキムはエリウドを、
      エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、
ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。

      こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、
ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。』 
           マタイ福音書 1章1-17節


    『イエスの系図』には、
       14代×①~③=42代の中に、
       女性四人が入っています。
       四人の中には、異邦人や罪人と言われる人もいます。
       『神の救い』は、異邦人にも罪人にも、及ぶのです。
     
 女性四人は、特別な事情があって、ダビデの子孫となり、『イエスの系図』に入っています。
 神様は、 人間を自分の協力者として立て、 『人間の歴史』を指導なさる御方です。


私たちも、
神の指導を信じて
歴史の1ページの協力者になれるかもしれませんね♡♡



『今日の拝領唱』
 
    『見よ、 万民が望んでいた方が来られ、
   神殿を栄光で満たす、と万軍のの主は言われる。』

      ハガイ書 2章7節参照


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
私は今日、来年の心の計画を立てるのにふさわしい『豊かな時間』を過ごせました。
STAY HOMEの年末を有意義に過ごせるといいですね。  お元気で!

『みにくいアヒルの子』・・・『違い万歳!個性万歳!』 そして 『イエスは弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。』

2020-10-28 06:00:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
10月28日。水曜日。曇り。

朝ウォーク途中の公園
すっかり秋です。

              『秋空に真っ赤なもみじ』

      沢山のもみじの木々の中で、一本だけが、すっかり紅葉しています。

           ”一本だけ! どうしたのだろう?”
             と考える私は、 突然、
          アンデルセン童話:『みにくいアヒルの子』
 
               を思い出しました。


『みにくいアヒルの子』
   思い出してみました
一羽のアヒルのお母さんが
巣の中のタマゴをあたためていました。
やがてタマゴが一つずつ割れると、
中からは黄色い色をしたかわいいひなたちが顔を出します。
ですが、巣の中で一番大きなタマゴだけが、
しばらくたって、やっとタマゴを割って出てきたのです。

たいそう体の大きなみにくいひなでした。
みにくいアヒルの子はどこへ行っても
いじめられ、つつかれて、かげ口をたたかれます。
はじめのうちはみにくいアヒルの子をかばっていたお母さんも、
「本当にみにくい子。いっそ、どこか遠い所へ行ってくれたらねえ」
と、ため息をつくようになりました。

それを聞いたみにくいアヒルの子はいたたまれなくなって、
みんなの前から逃げ出してしまいました。
あてもなく飛び出しましたが、どこに行ってもきらわれます。
アヒルの子は人目につかない場所を選んで眠り、
起きればまた逃げ続けました。
季節は秋になり・・・
みにくいアヒルの子はこれまで見たこともないような、
美しい白鳥のむれを目にしました。
白鳥たちはあたたかい国へと飛んでいくところでした。
アヒルの子は美しい烏たちが空のかなたへ去っていくのを見送りながら
考えました。
「あんな鳥になれたら、どんなにか幸せだろう。
いや、アヒルの仲間にさえ入れないのに、そんな事を考えてどうするんだ」

やがて冬が来て・・・
アヒルの子はアシのしげみにじっとうずくまって、
氷が張る沼できびしい寒さをたえしのびました。
ついに、春が来て・・・
アヒルの子はつばさをはばたいてみました。
すると体が、浮くではありませんか。
「ああ、飛んだ、ぼくは飛べるようになったんだ」
その時、おほりにいた白鳥たちが、いっせいに近づいてきたのです。
「ああ、みにくいぼくを、殺しにきたんだ。
みんなからひどい目にあうより、
あの美しい鳥に殺された方が、ましかもしれない。
「さあ、ぼくを殺して!」
しかし・・・
白鳥たちはアヒルの子の周りに集まると、
やさしく口ばしでなでてくれて、言ったのです。
「はじめまして、かわいい新人さん」
ビックリしたアヒルの子は・・・
水の上に目を落とすと、そこにうつっていたのは、

もうみにくいアヒルの子ではありません。
まっしろに光りかがやく、あの白鳥だったのです。

冬の間に羽が抜けかわって、美しい白鳥に姿をかえていたのでした。
黒くてみにくい姿だった雛は、
成長して立派な白鳥の姿になっていたのです。
そして白鳥の群れにあたたかく迎え入れられ、幸せに暮らしました。
   以上。ネットより拝借    子どもの頃読んだ懐かしい話ですね

          アヒルの親のもとに生まれた黒い雛は、
        容姿のみにくさからいじめを受け、死を覚悟しますが、
      最終的には自分が白鳥だと気付いて幸せに暮らすことができました。

  
 今朝。    私は、一本のもみじだけが真っ赤に紅葉しているのを見て、
             ”一本だけ! どうしたのだろう?”
              と考えた後にすぐに
         なぜか? 『みにくいアヒルの子』 を思いだし
    ”私は、何事も、本質を見ないで、見た目で判断しているのではないかしら?”
              と思った次第でした。


         兄弟と異なる姿をしていた黒いアヒルは、
       ”みにくい!” ”みにくい!” と言われ続け、
            自らも
     ”自分はみにくい。 生きてる価値もない。” と考えるようになりました。
 黒いアヒル自身も、周りのアヒルたちと同じように、自分を見た目で判断してしまうのです。
  それでも。
   最後に、分け隔てなくアヒルを迎え入れてくれる白鳥たちの優しさのお陰で、
     『みにくいアヒル』は、 『自分の本質』は『白鳥』 だったことを知ります。
     自分のアイデンティテーを見いだし、心穏やかに、過ごすのです。



       私は、今日、『一本の真っ赤なもみじ』から、学びました。
        人は、一人一人違うのです。 個性があるのです。
       違いにこそ、 『人の価値』があるのです。素敵なのです。
  反省しました。 私は、白鳥たちのように優しく
            すべての人を受け入れているだろうか?
            お人の立場になって考えているだろうか?
              反省!反省!  感謝!感謝!

           違い万歳! 個性万歳!
                           お粗末様でございました


そして。

今日は10月28日。年間第三十水曜日。

『今日の入祭唱』

  『神に選ばれ、偽りのない愛に生きた聖人たちに、
    神は終わりのない栄誉をお与えになった。』 



『今日の福音 イエスの御言葉』

      『そのころ、   イエスは祈るために山に行き、
    
             神に祈って夜を明かされた。

朝になると弟子たちを呼び集め、
          その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。


それは、イエスがペトロと名付けられたシモン、その兄弟アンデレ、そして、ヤコブ、ヨハネ、
フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、熱心党と呼ばれたシモン、
   ヤコブの子ユダ、それに後に裏切り者となったイスカリオテのユダである。

      イエスは彼らと一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。

      大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、
          また、ティルスやシドンの海岸地方から、
     イエスの教えを聞くため、また病気をいやしていただくために来ていた。
       汚れた霊に悩まされていた人々もいやしていただいた。

         群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。
    イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである。』
             ルカ福音書 6章12-19節



         イエス様は、 『大事なこと』 を決める前には、
            必ず、一人で、山に入り、
             御父に祈られました。 

初めに。  多くの弟子たちが、 イエスと親しくなり、 イエスにいていきました。
段々に。  イエスは、反対者の迫害を受け、 御自分が亡き者にされるが来たことを知りました。
そこで。  イエスは、12部族でできている『イスラエルの代表者』として、『12人』を選び、
      その12人に、『御父からイエスに与えられた使命』引き継がせる必要を感じたのです。
           山へ、一人で、神とお話しするために行かれたのです。


        イエスが、 『御父から与えられた使命』 は、
    宣教、病者の癒し、弱者の味方になること、人類の贖罪となること、等々でした。

           12人の使徒たちの『使命』は、
  イエスと共にした『イエスの生活』 と 『イエスの復活』 の『証人』になることです。
        12人の使徒たちが『証人』となるためには、
          イエス様の『謙遜と従順』を学び、 
    自分たちの『自己愛と虚栄心』から解放されなければなりません。


      12人の使徒を選んだイエス様は、
       12人に、『最終的段階の教育』を与えていかれるのです。


私たちも、
キリスト者として、イエスの証人になるべく、
イエスから遣わされた者です。
聖書の『イエスの御言葉』と共に生活をし、
神から力と勇気を頂きながら、
謙虚に『イエスの証人』となりたいものですね。


『今日の祈願』

   『すべてを治められる父よ、
 わたしたちは、使徒の証しを通してあなたへの信仰に導かれました。
  使徒たちの祈りに支えられて、神を信じる人が日ごとに増し、
      教会が絶えず成長しますように。』


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
一つの景色が心の中の記憶を呼び覚し、その記憶の意味を納得する
ということがあるものですね。 お元気で!

『高嶺の花』・・・秋明菊 と ノーベル文学賞のルイーズ・グリュックさん そして 『人の子イエスも今の時代の者たちに対してしるしとなる。』

2020-10-12 10:00:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
10月12日。月曜日。快晴。

咲き出しました


            『秋明菊』
 
  
           『秋牡丹』 などの別名でも呼ばれます。
  一枝でも見栄えが大変良いため、華道の素材や『秋の茶花』としても、重宝されます。

   宿根草であるのに、相性が悪いのか? 我が家の庭には決して広がってくれない。
          今年も、数本だけの、高嶺の花の 『秋明菊』 です。

8日
発表がありました。

            『2020年のノーベル文学賞』
  
          『米国の詩人ルイーズ・グリュック氏』

「個の存在を普遍的な存在に作り上げる厳粛な美しさを伴った例を見ない詩的な声」
                          を授賞理由としました。
孤独やトラウマ(心的外傷)、家族関係などをテーマに数々の作品を生み出した。そうです。

   女性の受賞は、18年のオルガ・トカルチュク氏(ポーランド)以来で、通算16人目。
   米国人『文学賞』は、16年のシンガー・ソングライター、ボブ・ディラン氏以来。

    1901年にノーベル賞ができ、その中の一つの部門の『ノーベル文学賞』です。
           単純に計算すれば、
     『119人の文学賞受者中』 の 『16人の女性受賞者』ですね。
                拍手喝采

      
『ノーベル文学賞』 まして 『女性作家の本』 ともなれば、すぐにでも読んでみたい。
            私は、早速に、AMZONでの購入を試みたが・・・
      探し方が悪いのか? 日本語翻訳の『本』はなかった。 本当?!

            沢山の言語に翻訳されているはずと思い
    色々検索をしてみたが『日本語訳本』が見つからない。 私の間違い?
        『原本』で読まなきゃ『真意』が 伝わらないってこと?


              『原本』で読んでみる!?
          翻訳というのは、作者の追体験をするように、
   作者の立った場所に立ってみなければ、できるものではないのでしょうね。  
   
        高嶺の花の 『ルイーズ・グリュック氏の本』 です。


そして。

今日は10月12日。年間第二十八月曜日。

『今日の入祭唱』

   『主はわたしの支えとなり、 私を広い所に導き出し、
      助けとなり、 喜び迎えてくださる。』

        詩編 18章19&20節



『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、
   群衆の数がますます増えてきたので、 イエスは話し始められた。


          「今の時代の者たちはよこしまだ。
  しるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。



                           『ニネベの人々に改心を呼びかけるヨナ』

    つまり、ヨナがニネベの人々に対してしるしとなったように、
   人の子も今の時代の者たちに対してしるしとなる。

南の国の女王は、裁きの時、
      今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。
     この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。
         ここに、ソロモンにまさるものがある。

また、

ニネベの人々は裁きの時、
      今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。
       ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。
          ここに、ヨナにまさるものがある。」』
               ルカ福音書 11章29-32節


今日も、イエス様は、
イエスの話を聞く群衆の数がますます増えてきたので、
”この時こそチャンス!” とお考えになって
『大事な事実』 をお話ししました。


       人々は、 イエスから『奇跡のしるし』 を求めたがります。
       イエスは、  ヨナがニネベの人々に対してしるしとなったように、
          『人の子イエスが今の時代の者たちに対してしるしとなる』 
                         と言われるのです。

ニネベの人々は、
    ヨナが『あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。』ヨナ書 3章4節 と、
      ヨナの『神の言葉』=『改心を勧める話』を聞いただけで・・・
           特別の『しるし』を見なくても、
          『ヨナ自身』を『しるし』と見なして、
           ヨナに応えて『改心』をしました。
             神を信じました。
           

ユダヤ人たちは、
      『人の子も今の時代の者たちに対してしるしとなる。』 と言われる
         イエスの 『言葉』 と 『行い』を見れば、
      『イエス自身』 に 『神のしるし』 を見ることができるはずです。
         『改心』に導かれ、 『信仰』ができるのです。


      イエスの『話』を聞いて、イエスの『行い』を見れば、
          ヨナやソロモンの『しるし』に勝る、
      『神の働き・奇跡』と認めることができるのです。

         ・・・と、イエス様は話されたのです。


私たちも、
聖書の中に、『イエスの言葉』と『イエスの生活』を読むことで、
    『神の働き』を信じることができるようになりたいものですね。
         

『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ、
『神に心を閉じてはならない。今日こそ神の言葉を聞こう。』アレルヤ、アレルヤ。

           詩編 95章8節参照 


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日は1週間始まりの初日です。今週も興味津々で・・・
沢山の新しい経験をしてまいりましょう。 お元気で! 

人間同志の深遠な絆・・・『道・ジェルソミーナ』 そして 『ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。』

2020-09-20 13:00:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
9月20日・日曜日。曇り。

三連休の初日。
映画を観ました。
第29回アカデミー賞
「外国語映画賞」を受賞作品。

                『道・ジェルソミーナ』
         
              『哀愁に満ちたジェルソミーナ』   
         映画を見終った後、なんともやるせない悲しみに満ちた私
       その感動を、『ジェルソミーナの哀愁の目』 に描き残してみました。

          何回も観た映画であるが、観る度に感動が深まります。
         観る者の人生の経験が、映画の理解度に繁栄するようです。
                
   監督フェリーニ と ジェルソミーナを演じる監督の妻との人生を、反映させたとか。
    監督は、少年時に神学校を脱走してサーカス小屋に逃げ込んで連れ戻されたり
     ローマで放浪生活をして詐欺師にまでなっていた過去があるそうです。


フェリーニ監督は『道』に関して語りました。

『近代人としての私たちの悩みは『孤独感』です。
そしてこれは
私たちの存在の奥底からやってくるのです。

ただ人間と人間のあいだでだけ、
この孤独を断つことができるし、
ただ一人一人の人間を通してだけ、
一人の人間ともう一人の
『人間との深遠な絆』
発見させることができるのです。

それはまた、
私たちの本性を超越する
さまざまな価値への信仰が生まれ出るときでもあります。
大海とか、はるかな空のかなたに、
たぶんひどい苦しみか、涙のなぐさめを通して、
をかいま見ることができるでしょう 。
それは神学上の信仰のことというよりも、
魂が深く必要とする『神の愛と恵み』です。』


          カトリック信仰の根付くイタリアらしい映画でした。 
   ヨーロッハ映画は、結論を観る人に考えさせる風の終わりが、大人の世界を彷彿とさせて大好きです。 ←私の偏見?            
        我が家は、一日中、『ジェルソミーナ』が流れる
             楽しい連休の初日でした。
                感謝!感謝!

そして。

今日は9月20日。年間第二十五主日。

『今日の入祭唱』

   『神は仰せになる。
       「わたしは民の救い。 
苦しみに中から叫ぶ民の願いを聞き入れ、 とこしえに彼らを治める。」』



        『今日の第二朗読   使徒パウロの言葉』
    
     『皆さん、 
                生きるにも死ぬにも、
わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、 希望しています。
    わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。

  けれども、
         肉において生き続ければ、実り多い働きができ、
         どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。

          この二つのことの間で、板挟みの状態です。

    一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、
            この方がはるかに望ましい。
   だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です。

ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。』
             フィリピの教会への手紙 1章20-24&27節


   西暦49~50年頃。

     パウロは、聖霊に導かれて、小アジアからヨーロッパに渡ったのです。
        ヨーロッパの最初の宣教地がフィリピの町でした。
        パウロは、そんなフィリピの町の信徒たちに対して
         特別な愛情を示し、心を許していたそうです。

        この手紙は、ローマで捕らえられていた牢獄から
  愛するフィリピの共同体へ、『勧めと励ましの言葉』 を書いたのです。

 パウロは監禁されているが、福音が伝えられていくことが、喜びです。
 迫害されても、恐れないように。
 信徒たちは、キリストにならって、へりくだって、互いに仕え合い、一致していなさい。
 ひたすら 『キリストの福音にふさわしい生活』 をするように。


    『福音』を、
    使徒パウロのように、 自分の『言葉』で、 直接に伝える人もおり、
    映画監督フェリーニのように、 自分の『映画』で、 間接的に伝える人もいる、
             と、いろいろ、今日も学びました。  感謝!感謝!


  私たちも、 自分の『言動』で、 『愛』を伝えることができるといいですね。


『今日の祈願』

  『父である神よ、 今日もわたしたちを遣わしてください。
 一人ひとりが与えられた場の中で、神の国のために働くことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は三連休をどのようにお過ごしでしょうか?
三日間が、楽しく、穏やかな日々でありますように。 お元気で!

コロナ禍の効用・・・『再挑戦』 そして 『人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。』・・・『あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。』

2020-09-10 17:14:19 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
9月10日。木曜日。曇り。

一度くじけたものを
もう一度よみがえらせる。
そんなことが可能だろうか?
再挑戦です。

                   『メロンの網の目』
 
              
      『絵手紙のモデルのメロンの網の目模様を伝達鈍き脳が追いいる』

       長年の友人が、17年前の平成15年10月5日、出版した『歌集』です。
                       とても楽しく、見事で、私の愛読書です。

      『絵手紙』の趣味をたのしむ著者には、他にも多くの描画の作がありますが、
        自然の編み目模様にてこずる『人間の脳』、という見方は、
       さまざまな暗喩に満ちて、書題詩に相応しい広がりを持ちます。
      『メロン』は、深い暗喩を生かす絶妙な具象として、選ばれていて、
       歌人・友人の計り知れない資質が感じられます。すばらしい。
       

      御自身は、三人のお子さんを持ち、理科系の医療関係の仕事に携わり、
           『作詩』『絵手紙』を続けられました。(今は仕事は定年です)
        細い体に和服が似合う、 楚々と、穏やかな奥様の友人です。


ここで私事です。
私は一時『俳句』を
下手ながら楽しんでいました。 
そんなある時、 
先生が病を得て
クラスも私の句作も
終了となった。    

そんな私、
今日買いました。   
『古今和歌集』  
作詩の背景等が書かれています。
創作意欲が湧いてきます。  

      思い立って・・・
          STAY HOMEを余儀なくされているコロナ禍の今こそ、
      一度くじけたものを、もう一度よみがえらて、再挑戦してみようかしら?
        『我がメロン状の脳細胞』を 駆使してみましょうかしら?

          大変なコロナ禍にどう対応しましょうか?
      大変なときだからこそ、見ないようにしてきたものが見えてきました。
          自分を見つめ直す大切さに気づきました。
          
      人様との関係で、 自分の存在を確認してきたが、 今はそうはいかない。
       忙しさの中で、 自分をごまかしてきたが、 今はそうはいかない。
    人様との関係が、 いかに有り難いものかに気づいたが、 今はそれはままならない。
        『ウイズ コロナ』の、私の毎日の現実です。

      せめて、 我が思いを、 『57577』に、 絞り出してみましょうかしら?
         待ちに待った「芸術の秋」の到来です。



そして。

今日は9月10日。年間第二十三木曜日。

『今日の入祭唱』

   『キリストを信じ、キリストの愛のために命を捧げた殉教者は、
     キリストと共に終わりなく喜び祝う。』



『今日の福音 イエスの御言葉』

      『そのとき、  イエスは   弟子たちに言われた。

     「わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。

      敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。
  悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。
      あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。
       上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。
           求める者には、だれにでも与えなさい。
        あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。

    人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。
      自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。
          罪人でも、愛してくれる人を愛している。
     また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。
          罪人でも、同じことをしている。
      
     返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。
      罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。

しかし、         あなたがたは敵を愛しなさい。
         人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。
       そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。

      いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。
    あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」


           「人を裁くな。
       そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。
   人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。
       
        赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。
       与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。
  押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。

    あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」』
            ルカ福音書 6章27-38節


   『人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。』
               これが『イエス様の教え』です。
                言葉にすれば『一言』です。

 人は『望む』のです。
     愛されたい。 親切にされたい。 何も当てにしないで貸してほしい。
      何も奪わないでほしい。 裁かないでほしい。 赦してほしい。 
           誰もが持つ、 『窮極的望み』 ですね。

   そして。

 人は私の『鏡』なのです。

      『あなたがたは、自分の量る秤で、量り返されるのである。』
         これが『イエス様の教え』です。
           とても厳しい『一言』です。

     愛した分だけ愛される。 赦した分だけ赦される。 与えた分だけ与えられるのです。
           私は、人を、愛し、許し、人に与えているだろうか?
             無理!無理!私にできることでない!

   では・・・私は愛されることも、赦されることも、与えられることもない。 どうしましょう!

   大丈夫!  神の愛は人間の愛に勝るのです。 神の赦しは無条件で与えられるのです。
      イエス様は、『十字架』を通して、『イエスの教え』を示してくださいました。

           まずは・・・イエス様が私たちを愛し、許し、
           『永遠の命』をも与えてくださったのです。

     
       今度は、私たちが、イエス様の『鏡』になる番です。

           神様は、私たちの『弱さ』を、よくご存じです。
       私たちは、 神の『愛』を理解し、 神から『力』を頂いて、
            『イエス様の愛』を『鏡』のように写して、
       『人を自分のように愛する』 ことができるようになるのです。
              一歩一歩です。


『今日の祈願』

   『聖なる父よ、わたしたちの心を愛で清め、
    永遠の命の希望で満たしてください。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ禍で、内に向きがちな心を、解放致しましょう!
『贈与の連鎖』で! 『57577』もありですかね。 お元気で!        

個々の唯一性や独自性・・・『戦場のピアニスト』 そして 御子イエスの母であり神の救いの業の協力者・・・『天の元后聖マリア 記念日』

2020-08-22 15:00:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
8月22日。土曜日。31度。

連日の33度が
今日は31度。少し楽です。

映画を観ました。

            『戦場のピアニスト』
 
             『ある都市の死』

    ユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの『体験記』
            脚色して映像化しているノンフィクション映画


               『生命力』
        残酷な戦場で生き延びた人=ピアニスト・シュピルマンには
               何があったのか?



私は、『何』=『答』 を見つけるべく
『夜と霧』を読み直してみました。


         『人生は彼等からまだあるものを期待しているということ、
      すなわち人生におけるあるものが未来において彼等を待っているということ。


  事実一人の人間には、彼が並外れた愛情を持っている一人の子供が彼を『待っていた』のであり、
    他の一人には人間ではないが他のもの、すなわち彼の仕事が『待っていた』のである。
     彼は科学者としてあるテーマについてのシリーズを書いていたのであるが、
        それはまだでき上がらず、その完結を待っていたのである。
    全く同様に他の一人もその子供にとってはかけがいのないものであったのである。

      個々の人間を特徴づけ個々の存在に意味をあたえる唯一性や独自性
          創造的な仕事に対してあてはまるばかりでなく、
         また他の人間とその愛に対してもあてはまるのである。

          他人によってとりかえられ得ないという性質、
            かけがえないということは、
            ーーー意識されればーーー
         持っている仕事、あるいは持っている愛する人間、
          に対して持っている責任を意識した人間は、
        彼の生命を放棄することは決してできないのである。』

                『夜と霧』より


              『生命力』
      ピアニスト・シュピルマンは、 『ピアニスト』として、
        他人によってとりかえられ得ないという性質、 
         かけがえない『ピアニスト』ということを、
            ーーー意識してーーー
          残酷な戦場で、 生き延びたのである。

           
      ・・・と。 私は大いに学ばせていただき、私は結論しました。
                          感謝!感謝!

ちなみに・・・
ピアニスト・シュピルマンの長男さんは
歴史学者となられ、
日本人学者と結婚し、
夫婦で、日本の大学で教鞭をとっておられます。
なんだか身近に感じられ、嬉しくなりますね。

 

そして。

今日は8月22日。年間第二十土曜日。

       『天の元后聖マリア 記念日』

          『大公の聖母』     ラファエロ作品


 1954年。 教皇ピオ12世が発表した回勅:
       『Caeli Reginam』(アド・チェリ・レジナム)によって
            この祝日が定められた。
          この回勅で、教皇は宣言されました。

        『マリアは、神子イエス、キリストの母であり、
      新しいイブとして、神の救いの業の協力者となった。』


   『原罪のいかなる汚れにも染まらずに守られていた汚れないおとめは、
   地上生活の道程を終えて、肉体と霊魂ともども天の栄光に引き上げられ、
       そして主からすべてのものの女王として高められた。』

                 教会憲章より 
 
          天にあげられたマリアは、
        王であるキリストの栄光にあずかり、
          女王としてたたえられ、
     すべての人のために恵みを取り次いてくださっている。

              『毎日の読書』より



『今日の入祭唱』

   『諸国の王女、 あなたがたがめでる女たちの中から、
  オフィルの金で身を飾った王妃が、 あなたの右に立てられる。』

          詩編 45章10節

そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、  イエスは群衆と弟子たち  にお話しになった。


     「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。
       だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。

        しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。
          言うだけで、実行しないからである。

彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、
自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。
そのすることは、すべて人に見せるためである。
聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。
宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、
また、広場で挨拶されたり、『先生』と呼ばれたりすることを好む。

          だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。
          あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。
           また、地上の者を『父』と呼んではならない。
            あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。
              『教師』と呼ばれてもいけない。
           あなたがたの教師はキリスト一人だけである。


あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。
  だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」』

            マタイ福音書 23章1-12節


        『信仰』は、
           律法を教える先生でなく、
   私たちを導き、教え、信仰を与えてくださる、唯一のお方:神、 を『中心』に置くのです。



     私たちは、 本当の先生であるイエス様、本当の御父である神、 から導かれながら、
            『仕える者』、『へりくだる者』 となって、
    マリア様やピアニスト・シュピルマンのように、 自分の『唯一性』と『独自性』を意識して、
               信仰を守ってまいりましょう。


『今日の祈願』
  
  『天地を治められる神よ、
 あなたは聖母マリアを、天の元后、わたしたちの母としてくださいました。
 聖母の取り次ぎに支えられて、天の国の栄光にともにあずかることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は映画はお好きですか?
素晴しい映画を観ながら、STAY HOMEを楽しみましょう。 お元気で!

『老人と海』・・・『コレブの聖母マリア様』 そして 『どんな被造物も、主キリストによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。』

2020-08-02 07:00:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
8月2日。日曜日。快晴。

ジョグから帰ると
自分の水分補給の前に
庭の水まきです。
いよいよ夏本番です。


           水まき後・・・    『涼しげな庭』
     


今日は主日。

           縁側に座って、 庭を眺めながら、 しばし黙想です。
            ヘミングウエイの『老人と海』を思い出しました。


『(大魚との戦いに、)楽にはなったが、つらいことはつらい。
ただ、つらいと意識するのは拒んだ。
「おれは信心深い男じゃない」老人は言った。
「だが、この魚を捕まえるためなら、
主の祈りを十回に、アベ・マリアを十回 唱えたっていい。
コレブの聖母マリア様にもお参りにいくさ、
やつを首尾よくつかまえたらな。
ああ、はっきり誓うぞ
老人は型通りに祈りを唱えはじめた。

そして、つけ加えた。
「この魚が死ぬときにも祈ってやってください、マリアさま。
あっぱれなやつでございますから」』



             『コブレの聖母寺』
 
   『キューバの守護神、コレブの聖母マリア様、褐色のマリア像が祀られた聖母寺』

    1606年 『慈愛の聖母』と呼ばれる『褐色のマリア像』が、 3人の漁師に発見された。
    1608年  『褐色のコブレのマリア像』を安置する 『コレブの聖母寺』 が創建されました。
    1898年 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が訪問し、 『キューバ解放の感謝のミサ』 が行われました。
    1916年 訪れた教皇ベネディクト15世は、 『慈愛のコブレの聖母』を『キューバの保護者』 として宣言。
    2012年 教皇ベネディクト16世が、20万人の信者とラウル・カストロ国家評議会議長とともに、
            『聖母像発見400周年記念のミサ』 を捧げました。


         『コレブの聖母マリア様』
   

                 『慈愛の聖母:褐色のマリア像』
                 キューバの人々の『聖地』です。

   
『老人と海』の老人が、大海原の中、一人で、
「コレブの聖母マリア様にもお参りにいくさ、この魚を首尾よくつかまえたらな。はっきり誓うぞ」
          ・・・と誓いました。
      『本』の中で誓ったヘミングウエイは、
ノーベル文学賞を受賞したとき、 ノーベル賞の『メダル』  を、 『コレブのマリア様』 に奉納しました。


        老人になった漁師が、ただ一人で、大海原に出て、
          老人を苦しめる大鮫の群れといながら、
            命かながらにカジキを捕まえる。
             カジキはサメのえさとなり
              だけが帰港します。

 三昼夜に渡る苦難の末に、港に帰り着いた老人が、船のマストを背負って一歩づつ坂を登る。
        その『老人の姿』に、
      十字架を背負って坂を登り、十字架の磔刑の三日後に復活なさる
        『キリストの姿』が重なる。 のです。


    キリスト教の熱心な信徒の両親の元で育ったヘミングウエイ自身は
            『傑作』:『老人と海』 を書きました。

『(老人の小屋には)丈夫な繊維質のグアノの葉をひらたく重ねてつくった茶色の壁には、
       聖心を持つイエスとコブレの聖母のマリアの彩色画が飾ってある。
           どちらも亡き妻の形見だった。』


                ヘミングウエイは、
           『すべての被造物を愛し、憐れむ神・創造主』
           を発見したのでしょう。 と言われています。

             私たちも、 生涯の終わりまでに、 
         『すべての被造物を愛し、憐れむ神・創造主』
             を発見したいものですね。
          揺るぎのない『信仰』に至りたいものです。



そして。

今日は8月2日。年間第十八主日。

『今日の入祭唱』

  『神よ、速やかにわたしを救い出し、 主よ、わたしを助けてください。
       あなたはわたしの助け、 私の逃れ場。』

          詩編 70章2&6節


そして。

『今日の第一朗読 神の愛の賛美』

   『皆さん、 だれが、 キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。
        艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。


しかし、これらすべてのことにおいて、
   わたしたちは、 わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。

わたしは確信しています。
     死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、
            高い所にいるものも、低い所にいるものも、
           他のどんな被造物も、
わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、
    わたしたちを引き離すことはできないのです。』

            ローマの信徒への手紙 8章35&37-39節


  西暦49年頃。     ローマ皇帝クラウディウスの『命令』 が降りました。
                ユダヤ人達は、ローマから追放されました。
          
   当時。    ローマには大勢のキリスト者たちの共同体があり、
          ユダヤ系の者もいたが、 多くは地元の人であったと思われます。
          地元の信徒たちと、ユダヤ系の信徒たちの間で、いくらか反発しあっていました。

57年~58年の冬。  使徒パウロは、コリントから、ローマの信徒たちに、この手紙を送ったのです。

             パウロは、ローマの信徒たちに考えさせるために、
              『2点』 に焦点を当てました。  
                福音とは何か?
            キリスト者はどこに根を下ろしているのか?


     キリスト者とは、
     人間となった神の子イエス・キリストがあがない主(ゴエル)となって、
     私たち人間の罪をすべて引き受け、全人類の身代わりとなって自分の命を捧げ、
     死んで葬られ、三日目に復活されたという『神秘』を、信じて、認める者です。


     『福音:神の憐れみ』とは、
     限界も例外もなく、 『神の招きと賜物』 は取り消されることがないのです。


     キリスト者は、
     『神の栄光』のために、 キリストがあなた方を受け入れたように、
     わたしたちも、 『神の栄光』のために、互いに受け入れなくてはならない。

        以上。 使徒パウロが信徒たちに書いた『手紙の内容』です。


『今日の祈願』
  
     『いのちの与え主である神よ、
   キリストのことばをとおしていただいた豊かさを、
   すべての人と分かち合うことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
『ウイズ・コロナの生活』は、人の心を豊かにする『時間』をもたらすかもしれませんね。
与えられた時間を、しっかりと大切に致しましょう。  お元気で!