1月26日。水曜日。晴れ。
今日は、
孫娘の『ズーム授業』の
授業参観ではなく、授業参加です。
『宗教の時間』
50分授業も瞬く間に過ぎます。
先生は、教室に入ると、
始業の挨拶の前に、
黒板に書き始めました。
《すべての民の御母の祈り》
『主イエス・キリスト 御父の御子よ
あなたの霊を今全地に遣わしてください。
すべての民が堕落、災害、戦争、から守られるよう
すべての民の心に聖霊を住まわせてください。
聖母マリア、すべての民の御母が、
わたしたちの執りなし手でありますように。
アーメン』
先生が書き終えると・・・
先生と生徒全員が、黒板に書かれた『祈り』を読唱し、
それから、先生の『祈り』が始まりました。
『この「聖母の祈り」は、1950年にできて以来、祈り続けられてきました。
堕落から災害が生まれます。
だから、皆が堕落した者とならないように、
神よ、皆の上に聖霊を送ってください』 先生の祈りの一部です。
先生の『祈り』のあと・・・
「では授業を始めます。」
と、先生のご挨拶です。
すると・・・
一斉に、先生と生徒全員で・・・
『ロザリオの祈り』を 祈り始めました。
まずは・・・
『主の祈り』
『天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国がきますように。
・・・・・・・・
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。 アーメン。』
続けて・・・
『アヴェ・マリアの祈り』
『アヴェ、マリア、 恵みに満ちた方、主はあなたと共におらます。
・・・・・・・
神の母聖マリア、私たち罪人のために、
今も、死を迎える時も、お祈りください。アーメン。』
『アヴェ・マリア』の祈り
を10回祈った後に・・・
『栄唱』
『栄光は、父と子と聖霊に。
初めのように今もいつも世々に。 アーメン。』
授業は、『ロザリオの祈り』を『一連』祈った後から、始まりました。
とても新鮮な授業の始まりで・・・驚きと同時に、感動しました。
やっと講義が始まりました。
今日の授業は、『重い皮膚病を患っている人を癒やすイエス様の話』です。
マルコによる福音書 1章40節~45節です。
先生の説明です。
当時の社会では・・・
重い皮膚病にかかると、
※社会から隔離され、自由を失うのです。
※生涯、社会生活ができなくなるのです。
※孤独。病そのものの苦しみ。絶望。の中に陥るのです。
※1889年・明治22年に設立した、『神山復生病院』の話が続きました。
※『イエスの心』は、『温かい心』、病人をなぐさめたいのです。
※イエスの癒やされた病人は、「病気は治った」と認められるために、
司祭に見せに行きました。
※イエス様は、人の不自由、人の孤独を回復なさる御方なのです。
※皆様は、この『聖句』をどのように読みますか?
今日は、孫娘と一緒に、パソコンの前に陣取り、
久しぶりに、学校授業に参加でした。
「祈り」と「先生の聖句の説明」に終わった授業でしたが、
今の時代の『最前線授業』体験でした。
楽しかったです。
『ズーム・クラス』故の特権を楽しみました♡♡
感謝!感謝!
そして。
今日は1月26日。年間第三水曜日。
『聖テモテ 聖テトス司教 記念日』
1世紀頃。
2人は聖パウロの弟子であり、協力者であった。
テモテは、
リストラ(現在のトルコ)でギリシャ人の父とユダヤ人の母の間に生まれ、
信仰深く育てられた。
パウロの第2回宣教旅行に従い、マケドニアに行き、その地方の教会のために力を尽くした。
またパウロの第3回宣教旅行のときにもパウロを支え、
フィリピ、コリント、エフェソで働いた。
その後、
テモテはエフェソ教会の初代司教となって、エフェソの教会を指導した。
ローマ皇帝ドミティアヌスのキリスト教迫害下に、殉教した。
テトスは、
パウロからコリント教会に派遣され、当時分裂問題が起きていた教会の和解に努めた。
その後、
テトスはクレタ島の司教となり、ダルマチア(現在のユーゴスラビア)に派遣され、
パウロの殉教後は、クレタ島で最後まで宣教活動をした。
パウロは二人に、『牧会書簡』と呼ばれる手紙を送り、
その中で、司牧者と信者たちを育てるうえでの、
すぐれた教えを述べている。
『毎日の読書』より
『今日の集会祈願』
『恵み豊かな神よ、
あなたは聖テモテと聖テトスに、使徒にふさわしい知識と勇気をお与えになりました。
聖人の祈りに支えられるわたしたちが、正義と愛をもって生き、
永遠の国に迎えられますように。』
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、 主はほかに七十二人を任命し、
御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。
そして、彼らに言われた。
「収穫は多いが、働き手が少ない。
だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、
収穫の主に願いなさい。
行きなさい。 わたしはあなたがたを遣わす。
それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。
財布も袋も履物も持って行くな。
途中でだれにも挨拶をするな。
どこかの家に入ったら、まず、
『この家に平和があるように』 と言いなさい。
平和の子がそこにいるなら、
あなたがたの願う平和はその人にとどまる。
もし、いなければ、
その平和はあなたがたに戻ってくる。
その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。
働く者が報酬を受けるのは当然だからである。
家から家へと渡り歩くな。
どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、
その町の病人をいやし、
また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。」』
ルカによる福音書10章1-9節
今日のイエス様は、
七十二人の弟子を宣教に派遣します。
初代教会において、
12人の使徒たちの他にも、72人が宣教に参加しました。
宣教は、広くの範囲に、多くの人に、伝えられるものです。
しかし、
宣教は、羊が狼の中に送り込まれるような、困難な道でした。
イエスは、
苦しみの経験を重ねるであろう弟子たちに、
何も持たないで宣教に出かけるように、命じました。
弟子たちは、
何も持たない宣教の途中で、
神に助けられ、お人に助けられる経験を多くすることでしょう。
そのとき、信仰者の喜びを感じることでしょう。
そんな弟子たちは、
宣教する人々に、
『福音』と同時に、『信仰の喜びと確信』を教えることができたことでしょう。
神を捜し求めている人の多さにも、宣教の喜びを確信したことでしょう。
私たちキリスト者も、
一人一人が、宣教のために、
キリストに遣わされた者であることを認識したいものです。
祈りましょう。
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『貧しい人に福音を、捕らわれ人に開放を告げるため、神はわたしを遣わされた。』
ルカによる福音書 4章18節 アレルヤ、アレルヤ。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
若い人たちが、素晴らしい先生との出会いがあり、素晴らしい学びがあることを祈ります。
年を重ねても、一生青春! 学びを続けたいものですね。 お元気で!