どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

変わらないことが伝統になる?

2008-09-07 18:44:20 | シュワッチ

今日は町民大運動会の日だった。運動会には大がつくよね、どうしてかな?

友達に頼まれ、借りもあったしで、年代別リレーに出場する予定だった。

しかし、この不安定な天気のおかげで、中止となった。打ち上げには参加しなかった。

内心万歳もんです。年代別リレーでトラックを走りたくはないなあ。

大運動会のプログラムをみてみると、六年前と全く同じ。参加メンバーが役員中心で、のべ10家族くらいが、役割分担をし、家族総出で望むというのもまったく同じだった。

私を誘った友人なぞは、夫婦から、息子二人、それに若奥さんまでもれなく参加予定だったようだ。プログラムには涙ぐましいほど、同じ苗字があちこちの種目書かれていた。

同じように続けることに意味があるのか?とは、考えないのだろうな。町の予算を使って、お荷物扱いされてそれでも、やる必要があるのだろうか。参加する意義はなんだろう・・・。

でも、伝統ってそうやって作られていくのかもしれないと思ったりもする。

 

 

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使える機能

2008-09-05 08:14:39 | 発っする(ハッスル)

また、気分一新。

ブログの雰囲気が一瞬に変わる、この機能もすごい。

さて、最近の技術革新には目を見張る。そして、落ちこぼれていく自分を感じる。

携帯の機能 はどうだ。使える機能と、使えない機能を比べると、きっと圧倒的に後者が多いと思う。

ワンセグ なんて、知らなかったし。テレビが見えますよ・・・と、言われていたが。どうやってもテレビなんて項目が見当たらない。もしかして、料金がかかるのかもしれないし、いいや見なくても・・と、気にしないでいた。

先日。息子が私の携帯で、テレビを見ているではないか。え?使えるんだ・・・・。ショック。知らないだけなんだ、使い方を。

昨日は、携帯を手にあちこちと触ったり、押したりしてみた。すると、録音という項目に行き当たる。再生してみると、次男と私の会話が録音してあった。きっと、どこか触ったら、録音になったのだろう。いまだにどこを触ったかは定かではないが・・・。

思わず流れてくる次男の声を聞いて、あれれ、涙が出てきてしまった。

実家の父が、新しく洗濯機を購入していた。洗濯、脱水、乾燥までしてくれる。全自動洗濯機。82歳の父は、便利に使っている。

93歳の叔母は、新しい洗濯機を尻目に、タライで手洗いをしていた。私は説明をしようかと、ためらって止めた。叔母には、乾燥機に対する知識がないから、説明しても無駄だと思った。掃除機に入っている紙パックを交換することを知らないで、使っていたという叔母だから・・・。

しかし、便利さとは何かと考える。使えないものがたくさんあり過ぎはしないか?

さて、私のI-pod 。これも、ランニングの時に音楽を聞く以外には使っていない。悔しいからなんとかしたいのだが・・・。

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外国人サポートの会

2008-09-02 08:14:45 | 徒然に

実は私は英語が嫌いだ という、内容でブログをたくさん書いてきた。

そんな私が、家族といっしょにアメリカに行った、生活した、コミュニティーカレッジを卒業した。友達もできた。

その間には色々な思いがあった。悔しいとか、情けないとか、自己否定から、人をねたんだり、アメリカ人をけなしたり・・・そして、受け入れてきた。

実は、これは異文化で生活を始める、母語ではない言語で生活をする人が、例外はあるだろうが、誰もが通る、レギュラープロセスらしい。

アメリカは移民国家で、胃人種、異文化が混じり合っている。つまり、アメリカ人はそれになれているから、実は異文化をもつ人間が一番生活しやすい国なのかもしれない。

日本はどうだろうか? きっと、もっとハードルは高いに違いない。

自分が助けてもらったように、誰かのお役に立ちたい・・と、宮城県の外国人サポートボランティアに登録した。大体の人が、私と同じような動機らしい。ここでも、私はレギュラー WAY を進んでいることになる。結構な人数の方々が、登録しているらしい。

さて、それとは違って、行政ではない市民が作っているグループもある。昨日は、その例会に出席してきた。

この会ではなんと、 ○○年ぶりに大学の同級生に再会した。経済学部240人の学生数なか、たった6人しか居なかった、女子学生。そのうちの一人に再会したから驚いた。卒業式以来だった。

仙台市では、外国人といえば圧倒的に、アジアから日本へ来た人が多いらしい。中国人の中学生をサポートしている女性が、悩みを相談に来ていた。

彼女は、疲れているように見えた。中学三年生、つまり受験生だ。言葉も理解できないのに、受験は・・・。

その子のおかれている境遇に、サポートする側もすっかり、感情移入しているように感じた。理解できる。わたしもそうだ。いつも、そうなってしまう。

でも、実は、一ヶ月前それを、経験豊富な先輩から注意された。相手の境遇に感情移入してはサポートはできない。一線をひいて、生活にかかわらないことも大事だと。日本語を教えることに徹するべき。

昨日、彼女を見ていて、私が受けた注意が理解できた。私もきっと彼女と同じようになるけれど、それではいけない。彼女の方が、精神的に参ってしまう。

外国人の子供たちが置かれている現状は厳しい。私も異文化のなか、言葉もわからないまま大学に通いだした時、生まれて初めて登校拒否になった。誰からも、声をかけて欲しくなかった。自分が日本人であるという誇りだけが自分を様々にキープできる唯一の方法だった。

問題を個々の個人としとして取り上げていくのではない、学校全体、行政も巻き込んで、現状を認識してもらいながら、少しずつでも、受け入れる体制作りをしていかなければ・・と、切に感じている。受け入れ体制の比較的整ったアメリカでさえ辛かったのだから、日本のように、単一民族と言われている中では、もっと困難があるだろうと想像できる。

純粋で、一生懸命な、昨日の彼女のことを思う。いっしょにランチでも、お茶でもできたらな・・・すこし、リラックスして欲しい。

 

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