実は私は英語が嫌いだ という、内容でブログをたくさん書いてきた。
そんな私が、家族といっしょにアメリカに行った、生活した、コミュニティーカレッジを卒業した。友達もできた。
その間には色々な思いがあった。悔しいとか、情けないとか、自己否定から、人をねたんだり、アメリカ人をけなしたり・・・そして、受け入れてきた。
実は、これは異文化で生活を始める、母語ではない言語で生活をする人が、例外はあるだろうが、誰もが通る、レギュラープロセスらしい。
アメリカは移民国家で、胃人種、異文化が混じり合っている。つまり、アメリカ人はそれになれているから、実は異文化をもつ人間が一番生活しやすい国なのかもしれない。
日本はどうだろうか? きっと、もっとハードルは高いに違いない。
自分が助けてもらったように、誰かのお役に立ちたい・・と、宮城県の外国人サポートボランティアに登録した。大体の人が、私と同じような動機らしい。ここでも、私はレギュラー WAY を進んでいることになる。結構な人数の方々が、登録しているらしい。
さて、それとは違って、行政ではない市民が作っているグループもある。昨日は、その例会に出席してきた。
この会ではなんと、 ○○年ぶりに大学の同級生に再会した。経済学部240人の学生数なか、たった6人しか居なかった、女子学生。そのうちの一人に再会したから驚いた。卒業式以来だった。
仙台市では、外国人といえば圧倒的に、アジアから日本へ来た人が多いらしい。中国人の中学生をサポートしている女性が、悩みを相談に来ていた。
彼女は、疲れているように見えた。中学三年生、つまり受験生だ。言葉も理解できないのに、受験は・・・。
その子のおかれている境遇に、サポートする側もすっかり、感情移入しているように感じた。理解できる。わたしもそうだ。いつも、そうなってしまう。
でも、実は、一ヶ月前それを、経験豊富な先輩から注意された。相手の境遇に感情移入してはサポートはできない。一線をひいて、生活にかかわらないことも大事だと。日本語を教えることに徹するべき。
昨日、彼女を見ていて、私が受けた注意が理解できた。私もきっと彼女と同じようになるけれど、それではいけない。彼女の方が、精神的に参ってしまう。
外国人の子供たちが置かれている現状は厳しい。私も異文化のなか、言葉もわからないまま大学に通いだした時、生まれて初めて登校拒否になった。誰からも、声をかけて欲しくなかった。自分が日本人であるという誇りだけが自分を様々にキープできる唯一の方法だった。
問題を個々の個人としとして取り上げていくのではない、学校全体、行政も巻き込んで、現状を認識してもらいながら、少しずつでも、受け入れる体制作りをしていかなければ・・と、切に感じている。受け入れ体制の比較的整ったアメリカでさえ辛かったのだから、日本のように、単一民族と言われている中では、もっと困難があるだろうと想像できる。
純粋で、一生懸命な、昨日の彼女のことを思う。いっしょにランチでも、お茶でもできたらな・・・すこし、リラックスして欲しい。