3月11日の東日本大震災の発生以降、仙台市に初めて行きました。大震災から3カ月経った仙台市は、一見すると震災前とあまり変わらない感じの平穏な街でした。
宮城県庁近くの市民の憩いの場である勾当台公園では、ロックバンドやジャズバンドがそれぞれ数組ずつ無料コンサートをしていました。
それぞれの演奏にはある程度の市民が集まり、それぞれが無料コンサートを楽しんでいます。一見すると、平穏な風景です。
コンサートの近くには軽食などの屋台が数点出店しており、軽食を食べながら、同時にコンサートを楽しんでいる方々がいました。出店の前には「がんばれ東北」「がんばれ宮城」などの表示が出ています。この表示が無いと、ごく普通の市民向けの無料コンサートにしかみえません。
仙台市の繁華街の東一番町もいつもの賑わいでした。若い方々が仲間と繰り出しています。
一見、仙台市は大震災を過去のものにしたかのように見えました。しかし、よく見ると、仙台市では黒い喪服を着た方によくすれ違いました。大震災から3カ月経ったことから、行方不明者の方々のお葬式を出しているようでした。3カ月というある程度の節目を迎え、お葬式を出すことで、ある節目にしようと考えた方々が多かったようです。
繁華街を行く人々にとっても、身内の中に犠牲者を出している方と、紙一重で自分も身内も被災者にならなかった方では、心の持ち方が大きく異なるようです。
仙台市に向かって移動している時でも、福島県に入ると、瓦屋根の中にブルーシートを部分的に敷いてある民家がいくつか目に入るようになりました。ブルーシートを利用している家には、「古い家が多い」などの規則性が感じられませんでした。
仙台の市街地の大きなビルの中にも、工事用の網や垂れ幕をかけてあるビルがいくつかあります。大きな豪華ホテルの一つは休業していました。よく見ると、そびえ立つ建屋の壁に大きな亀裂が何個所か入っていました。
中小ビルの中には、側面の壁に、大きな亀裂が入っているものもありました。
被災したビルや住宅の前には「立入禁止」の貼り紙なども目立ちます。
仙台市を走る自動車には「災害派遣」と表示を取り付けた他県ナンバー車が時々走っています。やはり、通常の状況ではないと気が付きます。
警察の機動隊のバス(?)にも、市内の幹線道路で何台もすれ違いました。他県ナンバーの作業車にもすれ違いました。仙台市の被災地はまだあまり復旧が進んでいない感じした。一日でも早い復旧を祈念するしかないようです。
宮城県庁近くの市民の憩いの場である勾当台公園では、ロックバンドやジャズバンドがそれぞれ数組ずつ無料コンサートをしていました。
それぞれの演奏にはある程度の市民が集まり、それぞれが無料コンサートを楽しんでいます。一見すると、平穏な風景です。
コンサートの近くには軽食などの屋台が数点出店しており、軽食を食べながら、同時にコンサートを楽しんでいる方々がいました。出店の前には「がんばれ東北」「がんばれ宮城」などの表示が出ています。この表示が無いと、ごく普通の市民向けの無料コンサートにしかみえません。
仙台市の繁華街の東一番町もいつもの賑わいでした。若い方々が仲間と繰り出しています。
一見、仙台市は大震災を過去のものにしたかのように見えました。しかし、よく見ると、仙台市では黒い喪服を着た方によくすれ違いました。大震災から3カ月経ったことから、行方不明者の方々のお葬式を出しているようでした。3カ月というある程度の節目を迎え、お葬式を出すことで、ある節目にしようと考えた方々が多かったようです。
繁華街を行く人々にとっても、身内の中に犠牲者を出している方と、紙一重で自分も身内も被災者にならなかった方では、心の持ち方が大きく異なるようです。
仙台市に向かって移動している時でも、福島県に入ると、瓦屋根の中にブルーシートを部分的に敷いてある民家がいくつか目に入るようになりました。ブルーシートを利用している家には、「古い家が多い」などの規則性が感じられませんでした。
仙台の市街地の大きなビルの中にも、工事用の網や垂れ幕をかけてあるビルがいくつかあります。大きな豪華ホテルの一つは休業していました。よく見ると、そびえ立つ建屋の壁に大きな亀裂が何個所か入っていました。
中小ビルの中には、側面の壁に、大きな亀裂が入っているものもありました。
被災したビルや住宅の前には「立入禁止」の貼り紙なども目立ちます。
仙台市を走る自動車には「災害派遣」と表示を取り付けた他県ナンバー車が時々走っています。やはり、通常の状況ではないと気が付きます。
警察の機動隊のバス(?)にも、市内の幹線道路で何台もすれ違いました。他県ナンバーの作業車にもすれ違いました。仙台市の被災地はまだあまり復旧が進んでいない感じした。一日でも早い復旧を祈念するしかないようです。