ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

日本経済新聞紙の「私の履歴書 松井忠三 復活 社員が育ち業績急回復」を拝読しました

2018年03月07日 | 日記
 2018年2月26日に発行された日本経済新聞紙の朝刊最終面に掲載されたコラム「私の履歴書 松井忠三 25」の「復活 社員が育ち業績急回復」を拝読しました。

 筆者は、良品計画の元会長の松井忠三さんです。

 松井忠三さんは、意に反して(辞表を提出していたのですが・・)、2001年1月11日に業績が悪化していた時期に社長に就任します。そして今回は、社長を退任する話しです。

 日本経済新聞紙のWeb版である日本経済新聞 電子版では見出し「(25)復活 社員が育ち業績急回復 社外取締役『知恵の出る会社』」と報じています。



 今回は、社長に就任し「親会社の西友を買収した世界最大の小売業のウォルマートの人材政策が作れないだろうか」と思い、ウォルマートからヒントを得て、人材育成制度をつくり始めます。

 同社は「部分最適を全体最適にする施策を持っていた」からだと説明します。

 直面する最も困難な仕事の責任者に一番優秀な人材を据えた。すると、案の定「エースを取られると困る」と直属の上司は難色を示すが「エースを出さないと会社の成長はない」と押し切ったといいます。

 特に、海外事業の立て直しはエースを送り出したから達成できたと語ります。そして、社員が育つのがよく分かったそうで、価値観を変えて自ら考え、動く人材が増えていきます。この結果、人材が育った結果、社外取締役から「知恵の出る会社」と褒められます。

 さて、今回一番感心したのは「社長業が6年近くなり、誰も反対意見を言わなくなってきた」。これに気づいて「居心地はいいが潮時だと気づく」と語ります。

 さらに「自分と似た人物を後任に選ぶと、会社が小粒になると思ったので、正反対の人を推すことにした」と述べて、後任の社長に金井政明氏を推したそうです。

 約1年かかって金井さんを説得し、松井さんは会長になります。

 日本を代表する名門の大手企業では、こうした社長交代が事実上は少ないようです。これが不振な事業改革していくことが難しい背景になっています。

愛知県豊明市沓掛町にある勅使池では、オカヨシガモなども観察しました

2018年03月07日 | 旅行
 愛知県豊明市沓掛町にある勅使水辺公園の主役になっている勅使池に水鳥などの観察に行って、オカヨシガモなどを観察しました。

 勅使池(ちょくしいけ)は、以前からあった大きな溜池を2013年に改修し、周辺を含めて勅使水辺公園として整備された、比較的新しい都市公園です。

 勅使池の大きさは23ヘクタール(満水時)と南北方向に長い、大きい池です。南西側岸辺から北西側岸辺を望む風景です。



 対岸の北西側岸辺の奧の雑木林や草原(みどりが丘公園)は、名古屋市の公園になっています。

 北西側の岸辺は、ヨシ原がいくらか水没した状態です。ここには、カルガモなどのカモ類などが滞在しています。カルガモなどのカモ類などの中に、オカヨシガモがいました。





 オカヨシガモは、カモ目カモ科マガモ属に属するカモです。日本には冬鳥として飛来しますが、その数は少なく、珍しい存在だそうです。



 エサを探しているオカヨシガモです。



 北西側の岸辺をいくらか南下すると、低木が水没している地域があり、ここにはハシビロガモやカルガモなどが滞在していました。

 ここには、ハシビロガモやカルガモ、カンムリカイツブリがエサを探したり、のんびりと休んだりしています。







 北西側の岸辺をいくらか南下した地域には、野鳥観察愛好家の方々がいて、お目当てのカモ類などを探していました。

 くちばしが大きいハシビロガモのオスがゆっくりと水面を進んでいくと、ミコアイサのオスが休んでいました。



 このミコアイサのオスは半分ぐらい寝ている様子でした。

 数羽いるハシビロガモのオスは、お互いにゆっくりと水面を進んでいます。

 この北西側の岸辺をいくらか南下した地域にある水路が奧に入り込んだ入り江状の地域の奧には、オシドリのオスとメスが数羽ずつ観察できました。

 低木が水没しているところで、その水没した木々の奧を、オシドリのオスとメスが行き来しています。木々が邪魔になって、撮影はできませんでした。

 今回、訪問した“勅使池”は、戦国時代の大永8年(1528年)に後奈良天皇の勅使がこの大きな溜め池の改修工事にかかわったことから、“勅使池”と呼ばれるようになったそうです。日本は戦国時代の真っ最中で、その後に尾張の織田家が勢力を拡大し始めます。