2018年2月26日に発行された日本経済新聞紙の朝刊最終面に掲載されたコラム「私の履歴書 松井忠三 25」の「復活 社員が育ち業績急回復」を拝読しました。
筆者は、良品計画の元会長の松井忠三さんです。
松井忠三さんは、意に反して(辞表を提出していたのですが・・)、2001年1月11日に業績が悪化していた時期に社長に就任します。そして今回は、社長を退任する話しです。
日本経済新聞紙のWeb版である日本経済新聞 電子版では見出し「(25)復活 社員が育ち業績急回復 社外取締役『知恵の出る会社』」と報じています。
今回は、社長に就任し「親会社の西友を買収した世界最大の小売業のウォルマートの人材政策が作れないだろうか」と思い、ウォルマートからヒントを得て、人材育成制度をつくり始めます。
同社は「部分最適を全体最適にする施策を持っていた」からだと説明します。
直面する最も困難な仕事の責任者に一番優秀な人材を据えた。すると、案の定「エースを取られると困る」と直属の上司は難色を示すが「エースを出さないと会社の成長はない」と押し切ったといいます。
特に、海外事業の立て直しはエースを送り出したから達成できたと語ります。そして、社員が育つのがよく分かったそうで、価値観を変えて自ら考え、動く人材が増えていきます。この結果、人材が育った結果、社外取締役から「知恵の出る会社」と褒められます。
さて、今回一番感心したのは「社長業が6年近くなり、誰も反対意見を言わなくなってきた」。これに気づいて「居心地はいいが潮時だと気づく」と語ります。
さらに「自分と似た人物を後任に選ぶと、会社が小粒になると思ったので、正反対の人を推すことにした」と述べて、後任の社長に金井政明氏を推したそうです。
約1年かかって金井さんを説得し、松井さんは会長になります。
日本を代表する名門の大手企業では、こうした社長交代が事実上は少ないようです。これが不振な事業改革していくことが難しい背景になっています。
筆者は、良品計画の元会長の松井忠三さんです。
松井忠三さんは、意に反して(辞表を提出していたのですが・・)、2001年1月11日に業績が悪化していた時期に社長に就任します。そして今回は、社長を退任する話しです。
日本経済新聞紙のWeb版である日本経済新聞 電子版では見出し「(25)復活 社員が育ち業績急回復 社外取締役『知恵の出る会社』」と報じています。
今回は、社長に就任し「親会社の西友を買収した世界最大の小売業のウォルマートの人材政策が作れないだろうか」と思い、ウォルマートからヒントを得て、人材育成制度をつくり始めます。
同社は「部分最適を全体最適にする施策を持っていた」からだと説明します。
直面する最も困難な仕事の責任者に一番優秀な人材を据えた。すると、案の定「エースを取られると困る」と直属の上司は難色を示すが「エースを出さないと会社の成長はない」と押し切ったといいます。
特に、海外事業の立て直しはエースを送り出したから達成できたと語ります。そして、社員が育つのがよく分かったそうで、価値観を変えて自ら考え、動く人材が増えていきます。この結果、人材が育った結果、社外取締役から「知恵の出る会社」と褒められます。
さて、今回一番感心したのは「社長業が6年近くなり、誰も反対意見を言わなくなってきた」。これに気づいて「居心地はいいが潮時だと気づく」と語ります。
さらに「自分と似た人物を後任に選ぶと、会社が小粒になると思ったので、正反対の人を推すことにした」と述べて、後任の社長に金井政明氏を推したそうです。
約1年かかって金井さんを説得し、松井さんは会長になります。
日本を代表する名門の大手企業では、こうした社長交代が事実上は少ないようです。これが不振な事業改革していくことが難しい背景になっています。