コメントに心から感謝申し上げます。
正直に申し上げて、将に身に余るお言葉を頂戴して恐縮するのみです。これを励みとして、今後は大和様のご期待を裏切ることがないように心して投稿せねばなるまいと思った次第です。
カタカナ語ですが、私は1996年8月に上梓しました「アメリカ人は英語がうまい」にも指摘しましたが「カタカナ語を使うと何か近代的であるとか、洗練されているとか、格好が良く見えると思っている人が多いようだが、そのような近代的であるとか洗練されたかの如き事は不要である」という意味の事が言いたかったのです。だが、その頃と21世の現代ではカタカナ語の氾濫振りと乱用は次元が違います。誠に憂慮したい時代です。私は「国語と漢字文化を尊重せよ」というのが持論です。
野球用語は「おかしなカタカナ語の宝庫である」とは、その当時からの主張です。この点を正した本が数冊出ていますが、噂では長嶋茂雄氏が松井秀喜がMLBに行く際にほぼ全部買って渡したそうです。かの大名誉監督こそがそのような言葉の使い手だと思っておりましたが、意外にも彼には自覚症状があったようです。私は「ネクストバッターズサークル」や「エンタイトルドツーベース」などは傑作・怪作の部類に入ると思っております。
英語教育の問題ですが、確かこういう言い慣わし(There goes an old saying.で良いと思いますが)があったと思います。“Well begun is half done.”であり、最初にキチンと発音から何から基礎を叩き込んでおくことが最も大事だと思っております。どうやら我が国では「外人離れした」発音しか出来ない英語教師が教えているようなので、出だしから躓く結果になってしまうのだと見ております。それに加えるに、私はnative speakerを有り難がるのは間違いの元だと確信しております。
基礎さえしっかりしていれば「三つ子の魂百まで」で、外国人の中に入っても、英語圏外の国に行っても苦労しないと思っております。現に私は基礎を固めて貰える教え方をされたので、16年間英語を離れた仕事をしていても、ある日突然突然英語を使わねばならない局面に出会っても、恰も前日まで英語で暮らしていたかのように不自由なく話せました。書くことにおいても同じでした。同じ事を言えば「基礎が肝腎である」ということでしょうか。
今後とも宜しくお願い申し上げます。
正直に申し上げて、将に身に余るお言葉を頂戴して恐縮するのみです。これを励みとして、今後は大和様のご期待を裏切ることがないように心して投稿せねばなるまいと思った次第です。
カタカナ語ですが、私は1996年8月に上梓しました「アメリカ人は英語がうまい」にも指摘しましたが「カタカナ語を使うと何か近代的であるとか、洗練されているとか、格好が良く見えると思っている人が多いようだが、そのような近代的であるとか洗練されたかの如き事は不要である」という意味の事が言いたかったのです。だが、その頃と21世の現代ではカタカナ語の氾濫振りと乱用は次元が違います。誠に憂慮したい時代です。私は「国語と漢字文化を尊重せよ」というのが持論です。
野球用語は「おかしなカタカナ語の宝庫である」とは、その当時からの主張です。この点を正した本が数冊出ていますが、噂では長嶋茂雄氏が松井秀喜がMLBに行く際にほぼ全部買って渡したそうです。かの大名誉監督こそがそのような言葉の使い手だと思っておりましたが、意外にも彼には自覚症状があったようです。私は「ネクストバッターズサークル」や「エンタイトルドツーベース」などは傑作・怪作の部類に入ると思っております。
英語教育の問題ですが、確かこういう言い慣わし(There goes an old saying.で良いと思いますが)があったと思います。“Well begun is half done.”であり、最初にキチンと発音から何から基礎を叩き込んでおくことが最も大事だと思っております。どうやら我が国では「外人離れした」発音しか出来ない英語教師が教えているようなので、出だしから躓く結果になってしまうのだと見ております。それに加えるに、私はnative speakerを有り難がるのは間違いの元だと確信しております。
基礎さえしっかりしていれば「三つ子の魂百まで」で、外国人の中に入っても、英語圏外の国に行っても苦労しないと思っております。現に私は基礎を固めて貰える教え方をされたので、16年間英語を離れた仕事をしていても、ある日突然突然英語を使わねばならない局面に出会っても、恰も前日まで英語で暮らしていたかのように不自由なく話せました。書くことにおいても同じでした。同じ事を言えば「基礎が肝腎である」ということでしょうか。
今後とも宜しくお願い申し上げます。