新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月18日 その2 我が国とアメリカのTAG交渉に思う

2019-04-18 14:12:18 | コラム
ライトハイザー代表にはビジネスの実務経験が:

私は昨日終了したTAGの遣り取りは貿易交渉である以上、相手が我が国の安全を保障してくれている国の代表であろうと何だろうと、正当に主張すべき事は堂々と対等の立場で主張して行くべきだと固く信じているのだ。ライトハイザー代表もそういうビジネス感覚にも基づいた姿勢で臨んで来て欲しいと期待していたのだった。

ライトハイザー氏は確か弁護士だったと記憶するので、念の為に検索をかけて見ると、ライトハイザー氏(Robert E. Lighthizer)は71歳であり、ビジネスの実務経験はないジョージタウン大学では文学専攻だった弁護士だったと確認できた。もしも、彼が(アメリカ側が)本気で自動車の数量規制を言い出すのだったならば、それは私が1972年に転出した頃のアメリカの産業界の一部にはあった「我が国はアメリカの指揮下にあるのだから、我が国の言うことを受け入れるのが当然である」という感覚と年齢的にも同じ物の考え方をしている人物のようだと見た次第だ。

私は以前に「アメリカ側の一員として勤務していた経験から言えることは、ビジネスの世界では『日本はアメリカの子会社的存在である』と捉えているように思わせられた」と述べたことがあった。ライトハイザー代表はそれほど露骨に所謂(イヤな日本語ですが)「上から目線」的には見下していなかったとは見えたが、彼の要求を見ているとやや一方的であり、諸般の事情があって何としても押し切りたいという考え方が露骨に見えると感じていた。私はそのような一方通行の論議を挑むのはfairではないと思っている。

もしもライトハイザー氏が代表するアメリカ側が「それを言って失うものはない」とでも割り切っているのであれば、それは弁護士的感覚であって、ビジネスパーソンが顧客なり誰なりと交渉する場合の姿勢ではないと明らかにしているだけだと思うのだ。念の為に申し上げておくと、私はアメリカの批判をしているのではなく、ライトハイザー代表の交渉の進め方には俄に支持できない面がある事が残念だなと思っているだけのことなのだ。輸出を数量規制せよと望みたいのであれば片務契約ではなく、我が国にも何らかの見返りを用意してから、俗に言う“give and take”の姿勢を見せるべきだろう。


我が国対アメリカの貿易問題の考察

2019-04-18 08:10:34 | コラム
堂々と主張すべき事を主張しよう:

茂木担当大臣は今日までの報道では堂々と我が国の主張をライトハイザー代表に伝えておられるようで、非常に結構なことであると思って、かなり安堵している。私は何れにせよ「アメリカ側は我が国向けの輸出を増やすことに一層の努力を傾けるべきであって、数量規制をするとか関税の賦課を云々するという手法は率直に言って誤りであると思う。ましてやあれを変えこれを買えとの申し入れも永年対日輸出を担当してきた経験から見れば、到底支持できる性質ではない」と言いたい。「買え」ではなく「如何にすれば売れるか」を真剣にもう一度研究すべきだ。

ここで、22年半に及んだ対日輸出の経験から回顧談を述べていこう。前回我が社が会社別対日輸出の金額では第2位だったと述べたが、そこに省略した記述は「2,000億円の会社が2位だったということは、他の会社は何をしていたのか」という単純素朴な疑問である。我が社の紙パルプ林産物は素材であって完成した高度工業製品の部類には入らないのである。即ち、アメリカが世界に誇っていたはずの自動車をも含めた工業製品のメーカーたちは素材産業に売り負けていたということではないか。

もう昔のことで何年だったかの記憶もないが、我が社は通産省(当時)に「アメリカの対日貿易赤字削減に貢献した企業」として、村田敬二郎通産大臣に表彰されたことがあった。我々第一戦の担当マネージャーたちは「そんなことか」という程度の受け止め方で、特に感激した訳でもなかった。ところがこのことがアメリカ国内で喧伝されるや、ワシントン州の本社には各方面から「何故に御社では日本向けにそれほど売り上げが上がるのか。何か秘訣があったら教えて欲しい」との問い合わせが数多くあったと本部の上司から聞かされた。

彼はそういう質問に何と答えたのかと言えば「当然やるべき事をやって来ただけであり、そこには何らの“gimmick”(=計画達成の為の策略、新機軸、企画、工夫とジーニアス英和にある)はない」と答えたのだそうだ。我が事業部だけを捉えて言えば「如何に難しいことであっても、日本市場の要求(ニーズとも言うが)には可能な限りの努力で応えていき、全社的のスローガンであった“customer satisfaction”を得ようとしていたのだった。とは言うが、日本市場の要求は常に極めて高度で難しかったのだが、何とか合わせていく以外に生き残れる手法がなかったのである。

その点は1994年7月にUSTR代表のカーラ・ヒルズ大使が指摘されていたように「成果が挙がらなかったのは日本市場の要求が難しかったからだといって撤退していては仕方がない。アメリカ側の労働力の質にも問題があるが、買わない日本が悪い」というように「買わない方が悪いのだ」と悪態をついて日本市場から引き上げていった企業があったのも事実である。そこを乗り越えて日本市場に確固たる地盤を築いていたアメリカの製造業の会社は数多くあったのだ。例えばP&Gはアメリカの会社ではないか。

我が社の日本市場に対する基本的な政策というか方針は「日本国内のメーカーが供給していない製品を市場の需要を補完すべく輸出する」というものだった。例を挙げれば、製紙用パルプでは往年は我が国の輸入量の30~40%を占めていたが、それは広葉樹(落葉樹)のパルプが主体の日本市場には十分に供給できていない強度が高い針葉樹を原木とするパルプを供給していたということであり、ミルクカートン用等の液体容器原紙は我が国では生産されていないので、その需要を満たすべく輸出していたのだ。そういう工夫は必要なのである。

私はアメリカ側の一員として対日輸出を担当してきた経験から言うのだが、本当に貿易赤字を削減したいのであれば、先ずは「国内の製造業者に対日輸出の強化に全員一層奮励努力せよ」と号令をかけるのが先であって、自動車の輸出を数量規制せよなどと要求するのは筋が違いはしないかと非常に残念に思っている。どうしても規制をさせたければ「我々もデトロイトを督励して対日輸出に現在以上に努力せよと厳命するから、何とか譲歩してくれないか」と言うのがfairではないかと言いたくもなる。我々に出来た「日本市場の要求に合わせること」がデトロイトに出来ないはずはないと思うのだが、ライトハイザーさん、如何お考えか。