私の守備範囲外というか興味の対象外だったので:
昨18日辺りまで方々のテレビ局が“Queen”が何度目だったかの訪日をするといって大騒ぎをしていたので、当方は「何のことかな」くらいの印象で捉えていた。ところが良く聞けば、屡々聞かされる“We will rock you.”という曲を歌って大流行させたUKのロックミュージックのバンドのことらしいと解ったのだった。そう言われて見れば Freddie Mercury という歌い手の名前を何処かで聞いたなと言う程度の知識はあった。また、「ボヘミアン・ラプソディ」という大ヒット曲もあったとも聞かされた。
だが、それでも英語の慣用句にある表現でいえば “That does not ring my bell.”状態であり、何のことかサッパリ思いつかなかったのだった。それで思い立って、先ほどWikipediaに伺いを立ててみた次第だ。そこにあったことは、彼らは1971年辺りに結成され、1974年から79年が第1次黄金期だったそうで、第2次が80~86年だったということ。であれば、如何に忙しく日本とアメリカの間を往復してただけではなく、来日した上司や同僚たちと日本中を飛び回っていて、東京にいたのは年間に100日程度いう頃のことだったようだ。
であれば、極めて多忙であってQueen だろうとエルビス・プレスリーだろうと、興味や関心を持つ余裕などあり得なかった訳だと納得した。特に「ボヘミアン・ラプソディ」という曲は同名の映画も出来ていたそうだが、全く知らなかった。ということは、それほど仕事に熱中していて余裕がなかったのか、あるいはその昔西新宿にあったジャズファンにとっては聖地のようなジャズレコードの専門店「オザワ」に入り浸っていた頃であり、ロックミュージックなどには聞く耳持たなかっただろうと思う。
正直に回顧すれば、1988年4月まで住んでいた藤沢市からは青山一丁目にあったW社ジャパンの事務所には時間的に通いきれなくなって、というか仕事の都合で遅くなった時には帰宅する余裕がなくなってしまうことが余りにも多くなったので、東京都内への移転を真剣に考え始めていたのだった。仕事の為に私生活を犠牲にしていたと言うよりも、朝でも片道100分以上かかる通勤時間では体力が続かないとすら考えるようになっていた。Queen とやらのお陰で、ついそんな昔のことを懐かしく思い出す機会を得たのだった。
そこで締めくくりに矢張りカタカナ語について一言。「ボヘミアン」と聞いて思ったことは「これは例によって例の如きローマ字読みだな」と直感した。恐らく原語の綴りは“Bohemian”であり、発音は「ボウヒーミアン」だろうと察しがついた。また性懲りもなくそんなことを言っているなとお思いの方がおられるだろうが、どうしてカタカナ語の制作者は原語の発音を無視してローマ字読みを尊重するのかなと何時も不思議に思っている。
しかし、我々日本人同士で「ボウヒーミアン」などと発音したら「キザな奴だ」と嫌われるか軽蔑の対象となるだろうと危惧する。誰が「外国語は迷わずにローマ字読みして表記しよう」と原則を決めて全国津々浦々に普及させたのだろう。だが、こういう表記の方式も我が国の独自の文化だと思えば、仕方がないことかなと考えるようにしている。でも、片割れの “rhapsody”は何故「ルハプソデー」とはならなかったのだろう。嫌みを敢えて言えば、この辺りに先人の工夫の跡が読める気もする。
最後にもう一言をお許し願えば「Queenを知らなかったことは大いなる屈辱的なことではない」と信じているのだ。
昨18日辺りまで方々のテレビ局が“Queen”が何度目だったかの訪日をするといって大騒ぎをしていたので、当方は「何のことかな」くらいの印象で捉えていた。ところが良く聞けば、屡々聞かされる“We will rock you.”という曲を歌って大流行させたUKのロックミュージックのバンドのことらしいと解ったのだった。そう言われて見れば Freddie Mercury という歌い手の名前を何処かで聞いたなと言う程度の知識はあった。また、「ボヘミアン・ラプソディ」という大ヒット曲もあったとも聞かされた。
だが、それでも英語の慣用句にある表現でいえば “That does not ring my bell.”状態であり、何のことかサッパリ思いつかなかったのだった。それで思い立って、先ほどWikipediaに伺いを立ててみた次第だ。そこにあったことは、彼らは1971年辺りに結成され、1974年から79年が第1次黄金期だったそうで、第2次が80~86年だったということ。であれば、如何に忙しく日本とアメリカの間を往復してただけではなく、来日した上司や同僚たちと日本中を飛び回っていて、東京にいたのは年間に100日程度いう頃のことだったようだ。
であれば、極めて多忙であってQueen だろうとエルビス・プレスリーだろうと、興味や関心を持つ余裕などあり得なかった訳だと納得した。特に「ボヘミアン・ラプソディ」という曲は同名の映画も出来ていたそうだが、全く知らなかった。ということは、それほど仕事に熱中していて余裕がなかったのか、あるいはその昔西新宿にあったジャズファンにとっては聖地のようなジャズレコードの専門店「オザワ」に入り浸っていた頃であり、ロックミュージックなどには聞く耳持たなかっただろうと思う。
正直に回顧すれば、1988年4月まで住んでいた藤沢市からは青山一丁目にあったW社ジャパンの事務所には時間的に通いきれなくなって、というか仕事の都合で遅くなった時には帰宅する余裕がなくなってしまうことが余りにも多くなったので、東京都内への移転を真剣に考え始めていたのだった。仕事の為に私生活を犠牲にしていたと言うよりも、朝でも片道100分以上かかる通勤時間では体力が続かないとすら考えるようになっていた。Queen とやらのお陰で、ついそんな昔のことを懐かしく思い出す機会を得たのだった。
そこで締めくくりに矢張りカタカナ語について一言。「ボヘミアン」と聞いて思ったことは「これは例によって例の如きローマ字読みだな」と直感した。恐らく原語の綴りは“Bohemian”であり、発音は「ボウヒーミアン」だろうと察しがついた。また性懲りもなくそんなことを言っているなとお思いの方がおられるだろうが、どうしてカタカナ語の制作者は原語の発音を無視してローマ字読みを尊重するのかなと何時も不思議に思っている。
しかし、我々日本人同士で「ボウヒーミアン」などと発音したら「キザな奴だ」と嫌われるか軽蔑の対象となるだろうと危惧する。誰が「外国語は迷わずにローマ字読みして表記しよう」と原則を決めて全国津々浦々に普及させたのだろう。だが、こういう表記の方式も我が国の独自の文化だと思えば、仕方がないことかなと考えるようにしている。でも、片割れの “rhapsody”は何故「ルハプソデー」とはならなかったのだろう。嫌みを敢えて言えば、この辺りに先人の工夫の跡が読める気もする。
最後にもう一言をお許し願えば「Queenを知らなかったことは大いなる屈辱的なことではない」と信じているのだ。