染井霊園の墓参から新宿まで:
昨4日は亡母の墓参に染井霊園に行って来た。念の為確認しておけば、この霊園はかの染井吉野の桜の名所なのである。最寄り駅はJR山手線の巣鴨駅であり、国道17号線(中山道)沿いである。実は祥月命日よりも1週間早かったのだが、今回初めてあの霊園の満開の桜が見られなくなるかも知れない時が来たら大変なので、今のうちに見て置こうと考えた次第。と言うのは、ある専門家が染井吉野の桜は処置を誤ると全滅するかも知れないと言っていたのだった。園内は「我々は花見ではなく墓参に来たのだ」というプラカードでも持って歩きたいほどの人出で、中には自転車で乗り入れる不心得者までいる始末。
また、四の日は巣鴨のとげぬき様の縁日なので、17号線は大変な人出だった。幸いに好天にも恵まれたし、私としては滅多にない体調が良い日だったので、好条件逃すべからずと決行した次第。しかし、巣鴨の駅から広い霊園内の我が家のお墓までは老化した足では片道20分を要するので、ジムに行った場合よりも余程ウオーキングに励んだ結果になってしまった。そこから新宿に回って用足しもしたので、半日はテレビも見ないで済んだので、何となく気分爽快だった。
思い起こせば(は大袈裟かも知れないが)新宿駅西口に出たのは今年初めてだったかも知れない。それほど外出が億劫になっていたらしい。だが、帰路の都営地下鉄の新宿西口から小田急と京王の両デパートに中を通り抜けると、何処に行っても中国人の団体と個人の旅行者ばかりが目立った。京王デパートに反対側にある羽田と成田に行くバスの出発点には、矢張り中国人を中心にアジア系の旅行者と団体が目立った。
何故彼らが中国人だだと断定するのかと言えば、彼らが喋っている北京語と思しき言葉もさることながら、私の目には中国人たちの服装にはある共通点があるように見えるのだ。彼らが所謂「爆買い族」かどうかは不明だが、中国人の服装には特徴があるのだ。それは嘗て我が国で勤め人の服装を「ドブネズミ色」と揶揄したことがあったが、彼ら中国人もそういう感じがする暗い鼠色か地味な色の、どちらかと言えば「敝衣」の部類に近い出で立ちなのである。
精一杯派手な部類の服装でも、有名ブランドのロゴマーク入りのスエットかジャンパー程度なのだ。そういう同じような服装の連中が群がって屯しているのだから目立つ訳だ。それでも、我が百人町大久保界隈と比較すれば、西口では外国人の数が多いとは言えないという印象だった。
正直なところ、帰路の小滝橋通りの大久保駅前のバス停からから大久保通りを経由して我が家まで歩いたのだがから、近頃めっきり弱ってきた脚が善くぞ反日も保ったと思うほど歩き続けていた。偽らざる実感としては、小滝橋通りから百人町の我が家までの間では相変わらず殆ど日本語は聞こえない状態で、新宿駅西口とは好対照をなしていていると思う。それもそのはずで、新宿駅西口には彼らアジア系乃至はイスラム教徒が宿泊するか居住出来るような施設はないのだから。
昨4日は亡母の墓参に染井霊園に行って来た。念の為確認しておけば、この霊園はかの染井吉野の桜の名所なのである。最寄り駅はJR山手線の巣鴨駅であり、国道17号線(中山道)沿いである。実は祥月命日よりも1週間早かったのだが、今回初めてあの霊園の満開の桜が見られなくなるかも知れない時が来たら大変なので、今のうちに見て置こうと考えた次第。と言うのは、ある専門家が染井吉野の桜は処置を誤ると全滅するかも知れないと言っていたのだった。園内は「我々は花見ではなく墓参に来たのだ」というプラカードでも持って歩きたいほどの人出で、中には自転車で乗り入れる不心得者までいる始末。
また、四の日は巣鴨のとげぬき様の縁日なので、17号線は大変な人出だった。幸いに好天にも恵まれたし、私としては滅多にない体調が良い日だったので、好条件逃すべからずと決行した次第。しかし、巣鴨の駅から広い霊園内の我が家のお墓までは老化した足では片道20分を要するので、ジムに行った場合よりも余程ウオーキングに励んだ結果になってしまった。そこから新宿に回って用足しもしたので、半日はテレビも見ないで済んだので、何となく気分爽快だった。
思い起こせば(は大袈裟かも知れないが)新宿駅西口に出たのは今年初めてだったかも知れない。それほど外出が億劫になっていたらしい。だが、帰路の都営地下鉄の新宿西口から小田急と京王の両デパートに中を通り抜けると、何処に行っても中国人の団体と個人の旅行者ばかりが目立った。京王デパートに反対側にある羽田と成田に行くバスの出発点には、矢張り中国人を中心にアジア系の旅行者と団体が目立った。
何故彼らが中国人だだと断定するのかと言えば、彼らが喋っている北京語と思しき言葉もさることながら、私の目には中国人たちの服装にはある共通点があるように見えるのだ。彼らが所謂「爆買い族」かどうかは不明だが、中国人の服装には特徴があるのだ。それは嘗て我が国で勤め人の服装を「ドブネズミ色」と揶揄したことがあったが、彼ら中国人もそういう感じがする暗い鼠色か地味な色の、どちらかと言えば「敝衣」の部類に近い出で立ちなのである。
精一杯派手な部類の服装でも、有名ブランドのロゴマーク入りのスエットかジャンパー程度なのだ。そういう同じような服装の連中が群がって屯しているのだから目立つ訳だ。それでも、我が百人町大久保界隈と比較すれば、西口では外国人の数が多いとは言えないという印象だった。
正直なところ、帰路の小滝橋通りの大久保駅前のバス停からから大久保通りを経由して我が家まで歩いたのだがから、近頃めっきり弱ってきた脚が善くぞ反日も保ったと思うほど歩き続けていた。偽らざる実感としては、小滝橋通りから百人町の我が家までの間では相変わらず殆ど日本語は聞こえない状態で、新宿駅西口とは好対照をなしていていると思う。それもそのはずで、新宿駅西口には彼らアジア系乃至はイスラム教徒が宿泊するか居住出来るような施設はないのだから。