23年12月の新宿区の人口は△150人の微減だった:
ここ新宿区百人町の外れと雖もオーバーツーリズムの恩恵?に浴しているようなのだ。昨日の昼前のことで、我が家の直ぐ近所の小さな古いアパートから英語を話す若い男女が3名、大きなトローリーケースを引きずって新大久保駅に向かっていく所に出会って「あれつ。ここはホテルではなかったはずだが」と思わせられた。近頃はこのような民宿のような光景を見かける事が増えてきた。
そういう違反行為(なのだろう)をする輩がいるのを「怪しからん」と責めるよりも、「そうまでして我が国を訪れようとしてくれる外国の若者がいる事に感謝していれば良いのではないか」と大らかにと言うか、大目に見ておこうかと思うに至った。何しろ、国を挙げて?インバウンド様たちを歓迎している時代なのだから。ではあっても、あの3人は宿泊の費用から節約しようとしていた。
27日には山手線の内回りに御徒町辺りから乗ってきた、超大型のトローリーケースを2箇ずつ抱えた3人の白人の男女たちが乗降口近くに立ち塞がってしまったので、彼らが池袋で降りるまでの間は乗降客に取っては大迷惑だった。彼らがそういう我が国の礼儀作法を知らないのは不思議ではないが、旅行のガイドブックにはそういう事も記載しておいたらどうかと思わせられた事態だった。
12月には新宿区の人口が対前月に続いての微減の△150人で349,226人となっていた。その内訳は日本人が△1780人で305.329人、外国人は△128人で43,897人となっていた。私が常に注目している外国人は、全人口に占める比率が12.57%と11月の12.55%との対比ではほぼ横ばいだった。因みに、10月も12.54%だったので、実質的には変動がなかったようだ。
ここで、昨日から報道されている「レイシャル・プロファイリング」を採り上げてみよう。それはWikipediaによれば「レイシャル・プロファイリング (racial profiling) とは、警察官や保安官といった法の執行者が特定の人種や肌の色、民族、宗教、国籍、言語といった属性にもとづいて個人を捜査の対象とすること。」とある。我が国でもその職務質問を繰り返された人たちが不当だと訴えたという事態だ。
ここ百人町/大久保界隈では、何年か前までは大久保通りで私服警官が「はい、警察。外国人登録証を」とか「一寸手荷物検査を」と一見アジア人風の者たちに職務質問をかけていたのは普通の現象だった。だが、今やその質問をかけるべき異邦人の方が我々日本人よりも圧倒的に多いのだから、レイシャル・プロファイリングなどが発生する余地などあり得ない状態。
私は今や我々を圧倒する程増えたイスラム国系やアジア系の人たちが、どのようにして物価上昇を克服して我が国で悠々と生活していられるのかと何時も不思議に思えてならないのだ。中には乗用車や電動アシスト付き自転車を乗り回している者もいるのだ。乳幼児をベビーカー(おかしなカタカナ語だが)に乗せて買い物に来る異邦人の家族も見かける。彼らには日本国が治安状態に心配も無く安心して生活出来る楽園かと疑っている。
毎回のように行政を非難しておきたい事がある。それは「インバウンドの誘致に努めれば、訪れてくる者たちの質が玉石混交となるのは当然だろう。行政はその中の貧困国の中でも低層を占める連中が我が国で方々に居着いてしまう事まで計算できていたのか」という問題なのだ。その「石」に相当する多くの階層がこの地区に定着してしまって、我が国を食い物にして帰国しようとはしないのではないのか。
その悪影響がここ新宿区百人町/大久保界隈に顕著に表れて、日本人向けの蕎麦屋のような料理屋、八百屋、魚屋、惣菜屋のような小売店/商店が続々と廃業してしまって商店街が消滅した上に、銀行の支店もなくなってしまったのである。この負の流れを阻止できなかったのは行政の手落ちではなかったかと私は見ている。
ここでは「皆様、是非一度山手線新大久保駅で降りて、改札口を通過して外に出て見て下さい」と毎月のように同じ事を言おう。構内の外国人の大混雑で移動できずに「ここは外国か?」か「何でここまでになってしまったのか」と憤慨したくなる事請け合いだ。年がら年中、それほど多くの外国人と老若女が出入りしているのだ。改札口の外側には待ち合わせの者共の大群が立ち塞がるので、反対側の我が家の方角への移動が困難なのだ。
このようなハラルフードを買いに来るイスラム教徒とKorea townに押し寄せる我が国の老若女があれほど多い事態が、経済的にも何にも良い事なのかどうか、為政者に是非とも実地検証して欲しいと思う。彼ら外国人が何の目的で、如何なる「メリット」(「アドヴァンテージ」の意味だろう)があって、この混雑を極める界隈に押しかけてくるのかを実地検証して貰いたいのだ。
参考資料:新宿区広報24年1月25日号