新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月29日 その2 安倍総理の一斉休校の要請に思うこと

2020-02-29 11:40:31 | コラム
矢張りと言うべきかマスコミは非難囂々と報じている:

彼らマスコミは野党と連合を組んでいるのだから、私が見込んでいた通りの姿勢で野党の意見というか反対と非難論を尊重して報道している。野党ではないが、あの岡山理大の獣医学部問題の際にあれほど反安倍の態度を明らかにした愛媛県の中村知事などの言うことなどは、単なる悪口雑言としか聞こえなかった。

ところで、この総理の思いきられたのだろう意志決定というか一斉休校の要請に関連して、思い出すことがあった。それはアメリカはオレゴン州に建設された加圧水型のトロージャン原子力発電所(Trojan)に関する話題だ。この発電所はポートランド空港から我が社のワシントン州の南部にある工場に行く途中に見えて、何時も水蒸気が天まで届けと吹き上がっていた。アメリカと雖もか、アメリカでも言うべきか知らないが、この原発の建設については地元から大反対が起きたそうだ。

その際に地元民を説得した決め台詞が「皆様はこの原発を建設せずして安定的な電力の供給を確保出来なくなるのと、多少に危険はあっても原子力発電に依存するのとの何れを採るか」だったそうだ。即ち、「電力不足になっての良いというのか」というアメリカ式思考体系の二者択一で迫ったということだったそうだ。結果的には地元では「安定した電力供給」を選択したのだと聞かされた。ところが、この原発は1975年から稼働を開始したが、矢張りというか何というか、1992年に運転休止に追い込まれたそうだ。矢張り原発となると「何処も同じ秋の夕暮れ」のようだ。

この一件を引用した訳は、私は安倍総理は言外に「この際多少の不便や障害を覚悟の上で、何としてもコロナウイルスの感染の蔓延を抑えるか、それともこのまま何ら為す術もなく蔓延を拱手傍観するのとの何れを採るか」と指摘しておられたのではないかと思っているのだ。私はこのような二者択一的な思考体系は、我が国には馴染まないとは百も承知である。だが、総理は「この際は思い切った手段を採ってでも抑え込まねばなるまい」と考えられたのではないかと勝手に推察している。

私はこれまでに2009年の新型インフルエンザ対応で、当時の大阪市長だった橋下徹氏が「学校の一斉休校」を唱えて大反対に遭ったという例を引用してきた。これは「思い切った対策を採ろう」と言うつもりの主張だったのだが、総理はそこまで思いきられたのだろうし、橋下氏の先例もあって反対は覚悟の上だったのだろう。私に言わせて貰えば「それでは、反対される知事や首長さんたちは、他に何か有効な蔓延を防止する策をお持ちですか」なのだ。

それに、彼等は仮令総理の提案が暴論だと思っても「何とかしてそれを実行段階に持っていく知恵を絞るべき立場にいるのではないのか」とも言いたくなる。野党とマスコミ連合は「またしても、安倍政権を貶める絶好のチャンス来たる」とばかりに奮い立ったのだと見ている。この連合したところで「制限した数のPCR検査しかしていないから、感染者の数が少なく出ているのであり、実際には数千かそれ以上の感染者が出ているのかも」と知らない訳ではないと思う。感染者の増加を抑える為の要請が、彼らのお陰で誤った方向に進んでしまったのは本当に遺憾である。



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