戦争とは狂気が為せる業だと思うが:
ソヴィエト連邦だったロシアが今度は嘗て連邦の一国だったウクライナに侵攻して戦争を開始した事を、何処の何方だったか失念したが「正気の沙汰ではない」と表現しておられた。そうとも言えると思う。私は何年前だったかに、昭和16年(1941年)からの大東亜戦争を子供ながら経験してきた者として言える事で「戦争とは狂気が為せる業だ」と思っている。
21世紀の今日、内閣総理大臣である岸田文雄氏にした所で64歳であれば、実際にというか現実に戦争中の我々国民の心理状態などは「想像されるか伝聞を聞かれただけ」だと思うのだ。勝たねばならない、勝とうと思えば「欲しがりません、勝つまでは」の精神であり、本気で本土決戦となれば竹槍で戦おうと、本土を守れるものと疑う事なく訓練が行われていたのだった。そういう精神を狂気と言えば冒涜になるかと怖れるが、それほどの熱意と抗戦心に燃えていたのだった。だが、13歳の中学生でも「これで良いのかな」と思った事はあった。
あの昭和20年即ち1945年の8月に、突如として「日ソ中立条約」も何もあったものではなく満州に攻め込んできて、あの後世に語り継がれている残虐な行為で多くの同胞を殺戮したのがソヴィエト連邦(即ち、現在のロシア)だったのだ。子供心にも「日独伊三国協定」などが結ばれていたので、我が国の敵は「敵米英」であり「鬼畜米英」だと信じ切っていた所に、ソヴィエト連邦が南下して侵略し、現在の北方領土をあのような形にしてしまった。
高山正之氏の鋭い表現を借りるまでもなく、「あのような事、即ち元はと言えば同じ連邦内の国に攻め込んでいく辺りに、我々には備わっていない白人国の人たち独得の悪辣さと残虐性が表れているのではないのか。しかも、私がこれまでに繰り返して指摘して来た彼らの思考体系である「二進法」があるのだから、プーテイン大統領は「やる」と決めたのだろう。確かに、正気の沙汰ではないとしか思えないが、プーテイン大統領は飽くまでも自分は正気であり、狂気でもないと思っている確信犯だろう。
故に、私はこの度のロシアによるウクライナ侵攻を論評しても無意味な気がするし、専門家にお任せすべき事柄だと思っている。両国による停戦の話し合いもそれぞれが自国の正当性を主張するだろうから、おいそれとは常識的な結果には結びつかないだろうと怖れている。行く所まで行き着かない限り終わりがないのかと危惧している。私はこの辺りに「二進法的思考体系」の怖さがあると見ると同時に「一神教」を信仰する人たちを、我が国の人たちが容易にと言うか簡単に理解出来ないのも無理はないと思っている。
プーテイン大統領もゼレンスキー大統領もバイデン大統領もこの点を認識出来ているのだろうか。また、習近平主席は何処まで西欧人の物の考え方を理解し認識しているのだろうか。キリスト教では「自然法があり各人の頭の中に発布されているので、人は人殺してはならないとか、盗みを犯してはならない等々は皆解っている」と教えられた気がする。だが、ロシア正教ではそうはなっていないのだろうか。プーテイン大統領は何時になれば正気に戻ることがあるだろうか。
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