COVID-19感染者に対する偏見か:
週刊新潮に連載のコラムを持っておられる里見清一氏(医師)が「感染者を受け入れた病院に勤務しておられた看護師さんが結婚されて、地方に移住され妊娠されて産婦人科を訪れたところ、その勤務の経験があるという理由で散々意地悪をされた上で診療を拒否された。その目的は『他の患者さんの安全を期する為だった』そうだ」と指摘しておられた。私には「風評被害」を心配しての事もあるのかなと読めた。
最近聞いた話では「都内のある病院では感染者を受け入れるのに救急車ではなく、普通のワンボックスカーを使われ、患者の入り口も『こんなところから入るのか』という場所だったし、退院も一般の方というか通行人も気が付かないような所からだった」とあった。この話も上記の里見氏の指摘と同じで「他の患者の安全重視」があるのではないかと思う。要するに、福島県の方や産物に対する偏見が未だに消え去らないように、COVID-19(私は「コロナ」は言葉の誤用だから採らない)に対する恐怖感というか、抜きがたい偏見があるのだと思えてならない。
私はその偏見というか、視野の狭さというか、狭量さを非難する前に「何とも情けない情けない民度の低さだ」と嘆きたくなるのだ。私の物の見方は間違っているのだろうか。
週刊新潮に連載のコラムを持っておられる里見清一氏(医師)が「感染者を受け入れた病院に勤務しておられた看護師さんが結婚されて、地方に移住され妊娠されて産婦人科を訪れたところ、その勤務の経験があるという理由で散々意地悪をされた上で診療を拒否された。その目的は『他の患者さんの安全を期する為だった』そうだ」と指摘しておられた。私には「風評被害」を心配しての事もあるのかなと読めた。
最近聞いた話では「都内のある病院では感染者を受け入れるのに救急車ではなく、普通のワンボックスカーを使われ、患者の入り口も『こんなところから入るのか』という場所だったし、退院も一般の方というか通行人も気が付かないような所からだった」とあった。この話も上記の里見氏の指摘と同じで「他の患者の安全重視」があるのではないかと思う。要するに、福島県の方や産物に対する偏見が未だに消え去らないように、COVID-19(私は「コロナ」は言葉の誤用だから採らない)に対する恐怖感というか、抜きがたい偏見があるのだと思えてならない。
私はその偏見というか、視野の狭さというか、狭量さを非難する前に「何とも情けない情けない民度の低さだ」と嘆きたくなるのだ。私の物の見方は間違っているのだろうか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます