私の感性で捉えたミヤンマーのクーデター:
私は天下国家や世界を論じられるような器でもなく、またその器量の持ち合わせもないので、独得と自負する感性でこの度のミヤンマーにおけるクーデターを捉えてみようと思う。いきなり結論めいた事を言えば「矢張り、中国は怖いな」なのである。
産経新聞の報道の仕方を見て痛感した事は「国軍を表で(決して裏で等という穏やかな事ではないと読んだ)糸を引いて操っていたのは中国である」と閃いた。ましてや、ミヤンマーが中国にとって一帯一路の要衝とあっては、当然の事だろう。視点を変えれば、アウンサンスーチー氏の主導による民主政治(なのだそうだが)が支配していては、明らかに中国にとっては不都合であろう。私から見れば、東南アジアの諸国においては経済も政治も何も華僑が陰に陽に支配しているのであれば、ミヤンマーでも彼ら華僑が中国と内通していても不思議でも何でもないと思う。
バイデン政権は早速不快の念を表明されたのは当然だろうし、中国はクーデターなどを操れば(操ったと仮定していて言うのだが)アメリカ及び民主主義と資本主義国が反発してくるくらいは計算に入っていただろうと、容易に推定出来るものだ。さて、外務省はどうするのだろうか。ミヤンマーに進出している企業は多いようだし。
私の持論に「我が国のマスコミが持て囃したり褒め称えると、碌な事というか結果にならない」というのがある。これが今回の国軍により自宅軟禁となったと報じられているアウンサンスーチー氏に見事なほど当て嵌まると思うのだ。我が親愛なるマスコミは、アウンサンスーチー氏がUKから戻って敢然として軍事政権に立ち向かって勝利し、民主政権を樹立したと手放しで褒め称え、民主主義の女神のように崇め奉った。私は決してそれを否定するものではないが、「閃き」では、同女史の将来を、確たる根拠はなくても、大いに危ぶんでいたのだった。
その根拠にはマスコミの過剰な礼賛もあるが、一部の評論家やジャーナリストは女史に対して、以下のように懐疑的だったのだ。即ち、「コインの裏側」を見よなのだ。それは大要「彼女はビルマの国民が苦しんでいる時にUKに移住して現地の人と結婚して過ごしていた。そして如何にもヒロインの如くに振る舞える時期に戻ったが、長い間のUK暮らしでミヤンマーの言葉で語る事に不自由していた」との痛烈な指摘だった。要するに「手前勝手で、ご都合主義者だ」との批判だった。
だが、マスコミは礼賛のみだった。私は何れが正しいのかなどは知る由もなかった。ではあっても、私は「正義の味方、民主主義の使者であり女神である」と言ったような礼賛の論調が正しいか否かであるとか、スーチー女史が能力がどうかなど言う難しい事を離れて、マスコミの姿勢からだけの捉え方で「残念ながら胡散臭いな」と感じていたのだった。中国が国軍を表で“wire-puller”として動いているなどとは、露ほどにも知らなかったが「なるほど、こういう具合にスーチー女史が抑え込まれたのか」と感じ入っていた。「げに、恐るべきは中国である」が実感である。
私は天下国家や世界を論じられるような器でもなく、またその器量の持ち合わせもないので、独得と自負する感性でこの度のミヤンマーにおけるクーデターを捉えてみようと思う。いきなり結論めいた事を言えば「矢張り、中国は怖いな」なのである。
産経新聞の報道の仕方を見て痛感した事は「国軍を表で(決して裏で等という穏やかな事ではないと読んだ)糸を引いて操っていたのは中国である」と閃いた。ましてや、ミヤンマーが中国にとって一帯一路の要衝とあっては、当然の事だろう。視点を変えれば、アウンサンスーチー氏の主導による民主政治(なのだそうだが)が支配していては、明らかに中国にとっては不都合であろう。私から見れば、東南アジアの諸国においては経済も政治も何も華僑が陰に陽に支配しているのであれば、ミヤンマーでも彼ら華僑が中国と内通していても不思議でも何でもないと思う。
バイデン政権は早速不快の念を表明されたのは当然だろうし、中国はクーデターなどを操れば(操ったと仮定していて言うのだが)アメリカ及び民主主義と資本主義国が反発してくるくらいは計算に入っていただろうと、容易に推定出来るものだ。さて、外務省はどうするのだろうか。ミヤンマーに進出している企業は多いようだし。
私の持論に「我が国のマスコミが持て囃したり褒め称えると、碌な事というか結果にならない」というのがある。これが今回の国軍により自宅軟禁となったと報じられているアウンサンスーチー氏に見事なほど当て嵌まると思うのだ。我が親愛なるマスコミは、アウンサンスーチー氏がUKから戻って敢然として軍事政権に立ち向かって勝利し、民主政権を樹立したと手放しで褒め称え、民主主義の女神のように崇め奉った。私は決してそれを否定するものではないが、「閃き」では、同女史の将来を、確たる根拠はなくても、大いに危ぶんでいたのだった。
その根拠にはマスコミの過剰な礼賛もあるが、一部の評論家やジャーナリストは女史に対して、以下のように懐疑的だったのだ。即ち、「コインの裏側」を見よなのだ。それは大要「彼女はビルマの国民が苦しんでいる時にUKに移住して現地の人と結婚して過ごしていた。そして如何にもヒロインの如くに振る舞える時期に戻ったが、長い間のUK暮らしでミヤンマーの言葉で語る事に不自由していた」との痛烈な指摘だった。要するに「手前勝手で、ご都合主義者だ」との批判だった。
だが、マスコミは礼賛のみだった。私は何れが正しいのかなどは知る由もなかった。ではあっても、私は「正義の味方、民主主義の使者であり女神である」と言ったような礼賛の論調が正しいか否かであるとか、スーチー女史が能力がどうかなど言う難しい事を離れて、マスコミの姿勢からだけの捉え方で「残念ながら胡散臭いな」と感じていたのだった。中国が国軍を表で“wire-puller”として動いているなどとは、露ほどにも知らなかったが「なるほど、こういう具合にスーチー女史が抑え込まれたのか」と感じ入っていた。「げに、恐るべきは中国である」が実感である。
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