通訳の仕事が重要になるだろう:
昨夜の事だった、兼原信克倍氏(内閣での内閣官房副長官補)が万全の策の一環として「故安倍元総理のトランプ大統領との交流の際の通訳を務めて、その技術に定評があった高尾直氏を既に任地から呼び戻してあるから、心配はない」と強調しておられた。良い対策を取られたと言えるかも知れない。
兼原氏は「高尾氏の通訳の優れた点は、発言をベタに訳すのではなく相手の気を良くするように配慮している事」を挙げて、その例として「大統領夫妻を(一瞬の記憶だが)“President of the United States of America and the first Lady”と大統領夫妻を盛り立てるように配慮した訳が良かった。これがあるべき姿だろう」と評価された。
高尾氏は開成高校から東京大学出身で、外務省入省後にハーバード大学で修士号を取得されている帰国子女の精鋭であるが、通訳の専任者ではない。それでも、故安倍元総理とトランプ前大統領とあれほど親密な間柄になれるように、通訳として貢献されたのだと思う。私も20年以上もの間、対日輸出の担当者としての仕事の他にも、日本と我が社の間を結ぶ通訳も出来る交渉役でもあったのだ。
私もWeyerhaeuserに通訳として採用されたのではない。通訳は仕事の重要な部分として務めたが、それは上手く出来るのが当たり前であり、評価の対象となる業務ではなかった。これまでに何度か「通訳とは」を語ってきたが、今回改めて、経験も踏まえて踏み込んで語ってみようと思う。お断りしておくと、日本の会社で営業担当者だった私が、通訳業の勉強などした経験はない。
大事な事:
私が何年か経験して辿り着いた結論は「通訳が自分の主観を入れて恣意的に他の言語に変換しない方が良い。頭の中を空にしておいて、発言者の意向の忖度などせずに、発言されたままを他の言語に変えていくのが良い」という事だった。この頭脳労働は端で見るほど簡単な作業ではないのだ。
慣れないうちは「何を言っているのか」や「解っていないな」や「無意味な事をいうな」というように、変換するだけのマシンであるべき存在なのに、通訳に主観を入れようなどとして訳していた。甚だしいときには「そういう見当違いの発言をされないように」などと発言者を窘めたりもしていた。これは明らかに越権行為だ。
ある時、我が社の通訳の仕事の歴戦の雄で、業界でも有名な存在だった日本人代表者に「君の気持ちも分からないでもないが、アメリカ側の質問は下らないと思っても、彼等に何らかの意図があるからこそ訊いているのだから、そのまま脚色などせずに訳してしまう方が良いだろう」と忠告されて、初めて目が覚めた。
その時点で解った事は「通訳という言語変換の機械である役目に徹して、余計な主観や反論は意見などが入らないように訳すべきである」だった。ここで更に重要な事は「その場その場の表現に適切な言葉を選ぶ語彙を備えていなければならない事と、極力平易な単語を使って文章を構成する事」だった。この使う事場の選択の能力は「単語の知識ではなく、単語を流れの中で自然に使っていける能力」である。
技術:
私は一切聞こえてきた事を記録しなかった。屡々速記か何か知らないが、何かを書き込んでおられる方を見かけるが、私には信じられない行為。先ほども述べた事で「頭の中を完全に空白できれば、10分くらいは話し続けられても付いていけるようにOJTで慣らしてある。余り長いときには躊躇わずに中断をお願いした。空白に出来て言えば、耳から入ってきた英語を直ちに日本語に変換して発信できるのだ。
但し、私の場合は「立木からパルプにして抄紙機で紙に、印刷加工して最終需要家から家庭に回って消費されていく工程や、関連する業界の事情とそこに使われている技術と専門語は守備範囲にある。だが、他の産業界の現場などでも通訳の仕事もお手伝いした経験があるが、遺憾ながら専門語の知識がないので全く無能だった。他業種の場合は事前に準備が出来なければ辞退するのが正しい選択である。
一見さんお断り:
私はリタイア後には余程の義理がある方でもない限り、初めての方の通訳の依頼は「儀礼的なご挨拶(=courtesy call)以外は失礼して辞退していた。理由は簡単で「初対面の方の人となりというか、性格も言葉遣いの癖も解らないのだから、自分らしい良い通訳が出来ると保証できないだから、私のプライドが許さない」からだった。
因みに、副社長の場合は10年以上もの付き合いがあったのだから、言葉遣いの癖が解っていたので、どういう言葉を使えば機嫌が良い日かくらいは直ぐに解るまで慣れていた。また、交渉の席に着く前には簡単な打ち合わせをしただけの準備でも、問題なく議事を進行できた。要するに「お互いに共に過ごし時間が長く、人柄も癖も何も熟知する間柄ではないと、良い通訳が出来ない」という事。
しかも、私は通訳を生業としていないし、無料ならば好い加減な事で茶を濁しても良いだろうが、それは宜しくないので辞退する事にした。また、私はお断りの理由として、「無料ではお引き受けしない」と表明していたので、「あの人はお金に汚い」と評判になったのは弱った。
結び:
色々と申し上げてきたが、よくお読み頂くと、兼原信克氏の「高尾直氏の通訳賞賛論は一寸違う気がするが・・・」と言っているのである。通訳者が工夫を凝らして脚色する事が間違っていると言っているのではない。経験上からは素直に発言者言われた通りに変換するのが仕事のはずだという事。
あの「ファーストレイディー」とした事で、トランプ氏を喜ばせたのならば、それで結構なのだから。でも、私の主義主張とは相容れない点があるのだが。