新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月18日 その2 17日のPrime Newsから

2021-03-18 10:23:57 | コラム
菅内閣の半年間の総点検:

出席者が自民党から石破茂氏、福山哲郎立憲民主党幹事長、小池晃共産党書記局長だったので、先ず賞賛の声は上がるまいと思っていても、好奇心から聞いてしまった。副題が「コロナと接待」だったので大凡の想像が出来ていた。石破茂氏は野党側の攻勢にも同調する訳でも、激しく反抗に出る訳でもなく、言うなれば「承っておく」との姿勢で、それで良いのかとすら感じたほど穏やかに聞いていた。9時半近くまで聞いていたが、内閣を褒める発言は記憶になかったと思う。当たり前か。

特に印象的な発言も目新しい非難攻撃もなかったが、私が中立的な立場に立って聞いて「それは尤もだ」と感じたのが、17日夜の菅首相の所謂「ぶら下がり」での21日での緊急事態宣言解除予告発言に至るまでの過程に対する福山幹事長の批判だった。あの首相の発言は「またしても小池都知事の見栄っ張りの先取り発言を封じる作戦か」と疑いたくさせてくれた。福山氏は「順序が違うだろう」と言うのだった。即ち、私は分科会かアドバイザリーボードか専門家会議か知らないが、彼は「決めておいてから専門家の意見を聞くのでは、主客転倒だ」と指摘したのだった。

この点は私が繰り返して「西村康稔担当大臣は自分の意見を述べすして、常に専門家会議を盾にするというか隠れ蓑にして『専門家会議に伺ってから(決める)』と言っていたのでは責任回避だ」と決めつけていた。福山氏が言いたい事は「総理自身がお決めになるべき事だ」と言うのだ。穿った見方をすれば「西村方式の責任逃れは駄目よ」と同じだと言いたいように聞こえた。

即ち、「水面下で前夜に関係五閣僚と分科会員を集めてジックリと案を練り上げておいて、如何にも翌日にでも自分の決定の如くに語るのが正当な順序であるべきであり、手の内を語った後で分科会にかけられても彼らが困るだけだろう」と批判したのだ。

これは、私が何度か指摘して来た「これという案件は菅首相自身が思いきって決断すべきであり、何時まで経っても専門家会議や分科会に依存すべきではないのでは」とまで、福山氏が指摘しなかっただけだと聞こえた。要するに、コインの裏側は「首相には思い切りと決断力が不足しているのではないか」となってしまうのだ。「決断を専門家の知識に委ねるのはなく、首相自身の決断を専門的知識から判定すれば如何にと諮るのをお辞めなさい」と言われたのと同じだった。

また、福山氏は(私は「菅正剛氏が接待に出た頃は19年であり、官房長官の息子でしかなかった」と思うのだが)元はと言えば総務大臣秘書官だった菅正剛氏が接待の場にいれば、絶大な威力を発揮していた元総務大臣で官房長官の息子に敬意を表するし、忖度するだろう」との切り口で攻めていた。私には官邸におられて高級官僚の人事権を掌握しておられた菅氏が怖い存在だったか否かなどは解る訳もないが、野党側の推測乃至は邪推を招いたとしても仕方がないと聞こえた。菅首相は詫びておられたが、福山氏だったかは「東北新社に就職させたのではないか」とまで言っていた。

内閣参与の飯島勲氏は「マスコミは接待だの新型コロナウイルス対策の後手後手と言ったような事ばかり論うが、諸官庁はチャンとやるべき事を実行して職責を果たしているにも拘わらず、そういう点は一切報じないので、彼らが何もしていないように思われてしまう」と指摘しておられた。それにも一理はあると思うが、客観的に見れば総務省の官僚が接待を受けてしまった事などは、倫理規定がある以上芳しくないだろうし、武田良太総務相が認否が不明な答弁などは不手際と、首相の指導力不足を責められるのも仕方がないかと感じてしまうのだ。

飯島氏はメディアを批判しておられたが、彼らにとっては諸官庁がキチンと職責を果たしているというのは「犬が人を噛んだ」と言う報道で面白くも何ともないので、接待やコロナ対策(好き好んで「コロナ」を使っているのではない、念の為)の不備を論う方が記事として受けるのだろう。彼らにとっては、安倍内閣の頃からウイルスの感染者も何も世界最良の水準に抑えてきた事を採り上げて菅内閣と西村大臣と田村大臣を賞賛したのでは「紙は伸びないし」、「視聴率は上がらない」とでも信じているのだろう。困ったものではないか。



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