ブラジルで本当にオリンピックなど開催出来るのか?:
ブラジルのリオデジャネイロ州が非常事態宣言を出したと報じられている。私はこれを見て一寸悔やんでいる。と言うのは、私はそもそもブラジルという国で本当にオリンピックが開催出来るのだろうかとの疑問をずっと持ち続けていたのだったから。悔やんでいる点は「何故それを言っておかなかったのか」なので。今となっては「後出しじゃんけん」に過ぎなくなってしまうのだ。テレビがの画面に見た関連の工事の進捗状況では、とても会期に間に合うとは思えなかったし、大統領が弾劾されてしまうような不安定な政情ではオリンピックどころではないだろうと思っていた。
ところが我が親愛なるマスコミは誰が出場資格を取ったとか、標準記録を突破したとか、予選を勝ち抜いたとか等々を嬉しそうに報じるだけで、ブラジルの政治・経済の危機を訴えるような報道を先ず本格的に採り上げてこなかった。それはそうだろうとは何となく理解はするが、それでは長い年月を掛けて懸命に練習し訓練に励んできた運動選手たちが余りに気の毒な結果になりはしないかと言いたいのだ。選手たちもかなり危惧はしていただろうが、実態を正確に伝えておくべきだと思うのだ。
目下のところはブラジル一国の危機だと、私は捉えているが、何れはオリンピックで貴族の如き生活を楽しんでいるヨーロッパを中心とするIOCなどが救いの手をさしのべるしかないだろうとは見ている。だが、財政的には救えても不安定な治安やジカ熱のような疾病の流行を防ぐ手立てがあるのだろうかと思ってしまう。そこにロシアのようなドーピングで出られない陸上競技選手の問題なども発生し、プーチン大統領が何かを仕掛けてくるのではないかなどと考えてしまう。
IOCにはブラジルを選んだ責任問題も出てくるだろう。もう残された日数も限られている。彼らが如何に対応するかが見物だ。我が国のオリンピック信者たちはさぞかし不安だろう。
余談だが、私はリオデジャネイロを「リオ」と略して扱う我が国のマスコミが気に入らない。”rio”とは「川」の意味で、南米に頭に”Rio”と付く川がどれほどあるのか。「リオ」とは我が国だけで通じている略語だ。「リオ」だけでは何物も特定しないと知れ。何故「リオデジャネイロ」と全部書かないのかは新聞では長すぎて困るからだろう。だが、テレビでは一秒の何分の一かの違いだろうから、短縮する必要などないだろうと思う。
これは嘗て「ザックジャパン」と勝手に人様の名字を短縮した非礼と同じであると、私は採らない。現に「ハリルホジッチ監督」は勝手に「ハリルジャパン」にされてしまった。好い加減にして貰いたい縮み指向だ。序でに言っておくと、カタカナ語の「コンプレックス」は本来は「インフェリオリティ・コンプレックス」だったものを勝手に短縮して「劣等感」にしてしまったのだ。何故、このような出鱈目を許すのか、マスコミ界は。
ブラジルのリオデジャネイロ州が非常事態宣言を出したと報じられている。私はこれを見て一寸悔やんでいる。と言うのは、私はそもそもブラジルという国で本当にオリンピックが開催出来るのだろうかとの疑問をずっと持ち続けていたのだったから。悔やんでいる点は「何故それを言っておかなかったのか」なので。今となっては「後出しじゃんけん」に過ぎなくなってしまうのだ。テレビがの画面に見た関連の工事の進捗状況では、とても会期に間に合うとは思えなかったし、大統領が弾劾されてしまうような不安定な政情ではオリンピックどころではないだろうと思っていた。
ところが我が親愛なるマスコミは誰が出場資格を取ったとか、標準記録を突破したとか、予選を勝ち抜いたとか等々を嬉しそうに報じるだけで、ブラジルの政治・経済の危機を訴えるような報道を先ず本格的に採り上げてこなかった。それはそうだろうとは何となく理解はするが、それでは長い年月を掛けて懸命に練習し訓練に励んできた運動選手たちが余りに気の毒な結果になりはしないかと言いたいのだ。選手たちもかなり危惧はしていただろうが、実態を正確に伝えておくべきだと思うのだ。
目下のところはブラジル一国の危機だと、私は捉えているが、何れはオリンピックで貴族の如き生活を楽しんでいるヨーロッパを中心とするIOCなどが救いの手をさしのべるしかないだろうとは見ている。だが、財政的には救えても不安定な治安やジカ熱のような疾病の流行を防ぐ手立てがあるのだろうかと思ってしまう。そこにロシアのようなドーピングで出られない陸上競技選手の問題なども発生し、プーチン大統領が何かを仕掛けてくるのではないかなどと考えてしまう。
IOCにはブラジルを選んだ責任問題も出てくるだろう。もう残された日数も限られている。彼らが如何に対応するかが見物だ。我が国のオリンピック信者たちはさぞかし不安だろう。
余談だが、私はリオデジャネイロを「リオ」と略して扱う我が国のマスコミが気に入らない。”rio”とは「川」の意味で、南米に頭に”Rio”と付く川がどれほどあるのか。「リオ」とは我が国だけで通じている略語だ。「リオ」だけでは何物も特定しないと知れ。何故「リオデジャネイロ」と全部書かないのかは新聞では長すぎて困るからだろう。だが、テレビでは一秒の何分の一かの違いだろうから、短縮する必要などないだろうと思う。
これは嘗て「ザックジャパン」と勝手に人様の名字を短縮した非礼と同じであると、私は採らない。現に「ハリルホジッチ監督」は勝手に「ハリルジャパン」にされてしまった。好い加減にして貰いたい縮み指向だ。序でに言っておくと、カタカナ語の「コンプレックス」は本来は「インフェリオリティ・コンプレックス」だったものを勝手に短縮して「劣等感」にしてしまったのだ。何故、このような出鱈目を許すのか、マスコミ界は。
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