少し悪い後味が残った:
舛添前都知事は「自らの不徳の致すところ」との反省の弁は述べていたが、あのマスコミが挙って舛添批判を繰り返していた時には、今にして思えば、舛添擁護の声が一切上がっていなかったし、かく申し私も懸命になって舛添を非難していたものだった。だが、心の中では(「私の中では」ではない、念のため)そこには懸命になって「私流の批判と非難であって、マスコミに迎合したり乗せられていた訳ではない」と何となく自分を正当化していたのは確かだった。
考えてみれば、政治関連では週刊文春が甘利元大臣の件に続いてものにしたスクープであり、週刊誌に先を越された新聞とテレビが懸命になって追随した結果で事は当に「お国の一大事」の如くになっていたのだった。私は既に舛添前都知事が初動の不手際があって、あれほどの少額の政治資金の公私混同があれほどの大事件になってしまったと言える気もする。舛添前都知事は事の発端の時に潔く謝っていれば「水に落ちた犬は撃たない」我が国の謝罪の文化の下では、あそこまでの激しい一斉攻撃は受けなくても済んだのではないかとすら、今になって考えている。
此処でも「今にして思えば」だが、昨日だったか何処かの局で都政の専門家に「舛添氏の都政運営には良いところがあったのか」と尋ねたことを報じていた。その専門家によれば「彼は都の職員から上がってくる提案を比較的良く聞き、必要と判断すれば直ちに行動に移していた点はこれまでのと知事とは違う積極性があった」と解説していたのが印象的だった。ケチではあったが、評価すべき点はあったという意味に解釈して聞いていた。どうも、舛添前都知事は致命的な失政があって辞職に追い込まれたのではなかった。
解釈の仕方でもあるだろうが、彼のお金の使い方の公私混同が、たとえ政治資金規正法上では違法ではなかったにもせよ、彼の行政面で良かっただろう点を無残にも消し去ってしまったのかだろうと言えるのではないか。そう考えてみれば、猪瀬元都知事も何か大きな過ちを犯したとは聞いた記憶がない。
私には舛添氏を擁護する気などサラサラないが、週刊文春によってつけられた火があれほど燃えさかり、そこに参議院選挙が目前に迫っては自民・公明も楽観を許されない情勢になってしまい、不信任案提出に至ってしまったかと言える気がする。私には文藝春秋社が何を意図して政治家を狙い澄ましたようなスクープを連発するのかなどとても解らないが、それが狙いだったのかあるいは単に結果的にそうなったのか、国政と都政混乱と停滞をもたらしたことは重大だと思っている。いや、文藝春秋社には責任があるのではないかとすら感じている。それがジャーナリズムの使命だと言われればそこまでだが。
余談になるかも知れないが、昨夜のPrime Newsで日本大学・危機管理学部の先崎彰容教授が「引きずり下ろし民主主義」と言っておられたのは印象的だったし、興味ある表現だと思う。
舛添前都知事は「自らの不徳の致すところ」との反省の弁は述べていたが、あのマスコミが挙って舛添批判を繰り返していた時には、今にして思えば、舛添擁護の声が一切上がっていなかったし、かく申し私も懸命になって舛添を非難していたものだった。だが、心の中では(「私の中では」ではない、念のため)そこには懸命になって「私流の批判と非難であって、マスコミに迎合したり乗せられていた訳ではない」と何となく自分を正当化していたのは確かだった。
考えてみれば、政治関連では週刊文春が甘利元大臣の件に続いてものにしたスクープであり、週刊誌に先を越された新聞とテレビが懸命になって追随した結果で事は当に「お国の一大事」の如くになっていたのだった。私は既に舛添前都知事が初動の不手際があって、あれほどの少額の政治資金の公私混同があれほどの大事件になってしまったと言える気もする。舛添前都知事は事の発端の時に潔く謝っていれば「水に落ちた犬は撃たない」我が国の謝罪の文化の下では、あそこまでの激しい一斉攻撃は受けなくても済んだのではないかとすら、今になって考えている。
此処でも「今にして思えば」だが、昨日だったか何処かの局で都政の専門家に「舛添氏の都政運営には良いところがあったのか」と尋ねたことを報じていた。その専門家によれば「彼は都の職員から上がってくる提案を比較的良く聞き、必要と判断すれば直ちに行動に移していた点はこれまでのと知事とは違う積極性があった」と解説していたのが印象的だった。ケチではあったが、評価すべき点はあったという意味に解釈して聞いていた。どうも、舛添前都知事は致命的な失政があって辞職に追い込まれたのではなかった。
解釈の仕方でもあるだろうが、彼のお金の使い方の公私混同が、たとえ政治資金規正法上では違法ではなかったにもせよ、彼の行政面で良かっただろう点を無残にも消し去ってしまったのかだろうと言えるのではないか。そう考えてみれば、猪瀬元都知事も何か大きな過ちを犯したとは聞いた記憶がない。
私には舛添氏を擁護する気などサラサラないが、週刊文春によってつけられた火があれほど燃えさかり、そこに参議院選挙が目前に迫っては自民・公明も楽観を許されない情勢になってしまい、不信任案提出に至ってしまったかと言える気がする。私には文藝春秋社が何を意図して政治家を狙い澄ましたようなスクープを連発するのかなどとても解らないが、それが狙いだったのかあるいは単に結果的にそうなったのか、国政と都政混乱と停滞をもたらしたことは重大だと思っている。いや、文藝春秋社には責任があるのではないかとすら感じている。それがジャーナリズムの使命だと言われればそこまでだが。
余談になるかも知れないが、昨夜のPrime Newsで日本大学・危機管理学部の先崎彰容教授が「引きずり下ろし民主主義」と言っておられたのは印象的だったし、興味ある表現だと思う。
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