1300でも生存した私:
渡部亮次郎氏主宰のメルマガの「頂門の一針」第4032号で石岡荘十氏が”BNP”を採り上げておられましたが、私は昨年の前半には心不全で入退院を繰り返しており、その際に私のBNPが最悪期には1300にも達していたことを掲載しておりました。BNPは心不全のマーカーと考えていれば良いでしょう。石岡氏は「100を超えると「専門医の診察が必要ですよ」という危険信号だ200を超えると治療が必要、500以上では重症心不全と判定される。待ったなしである。」と指摘しておられました。私は昨年の前半に心不全で入退院を繰り返していた頃にこれを採り上げていましたが、昨年12月にこのPCが故障して修理に出した際に記録が消えましたので言わば証拠がありません。
しかし、その1300という恐るべき検査値でも国立国際医療研究センター病院では入院中からリハビリを開始して、20分間のストレッチの後に、心電図の端子を装着し血圧計も腕に巻いてエアロバイクを20分間も漕いでいました。結果的にはそれで何ともなく、最初は理学療法士も「そんな患者さんにやらせて良いのか」と懸念していましたが、無事に退院出来て、その後は外来でリハビリを続けていました。
また、2006年に右目の下の皮膚癌を切除した後のフォローアップで定期的に診て頂いている皮膚科の医師は「まさか貴方が歩いて入ってくるとは思わなかった。通常は車椅子で来るべき数値」と言って驚かれました。その後、体調が回復するに伴ってBNPの値はそれなりに下がっては来ましたが、6月13日の検査では268.5、4月19日には669と悪化していました。これは最早慢性心不全と言うべき値で、主治医である循環器科の医長先生もそう言われます。
しかしながら、主治医は今年の1月からジムに通うことを許可されましたし、リハビリでやっていた程度よりも一寸厳しい運動も続けております。私には良く解らないのですが、恐らくこの数値には個体差があって、私の場合はそれでも何となく普通に日常生活が出来ているのだと思っております。主治医は血液検査の数値を見て、寧ろ腎臓が弱り気味である方を懸念しておられます。これは2006年1月の最初の心筋梗塞発症以来恐らく10回以上は受けたであろうカテーテルによる検査とstent留置の処置の際に造影剤を使ってきたので、腎臓に影響が出たという診断(解釈)になっています。
渡部亮次郎氏主宰のメルマガの「頂門の一針」第4032号で石岡荘十氏が”BNP”を採り上げておられましたが、私は昨年の前半には心不全で入退院を繰り返しており、その際に私のBNPが最悪期には1300にも達していたことを掲載しておりました。BNPは心不全のマーカーと考えていれば良いでしょう。石岡氏は「100を超えると「専門医の診察が必要ですよ」という危険信号だ200を超えると治療が必要、500以上では重症心不全と判定される。待ったなしである。」と指摘しておられました。私は昨年の前半に心不全で入退院を繰り返していた頃にこれを採り上げていましたが、昨年12月にこのPCが故障して修理に出した際に記録が消えましたので言わば証拠がありません。
しかし、その1300という恐るべき検査値でも国立国際医療研究センター病院では入院中からリハビリを開始して、20分間のストレッチの後に、心電図の端子を装着し血圧計も腕に巻いてエアロバイクを20分間も漕いでいました。結果的にはそれで何ともなく、最初は理学療法士も「そんな患者さんにやらせて良いのか」と懸念していましたが、無事に退院出来て、その後は外来でリハビリを続けていました。
また、2006年に右目の下の皮膚癌を切除した後のフォローアップで定期的に診て頂いている皮膚科の医師は「まさか貴方が歩いて入ってくるとは思わなかった。通常は車椅子で来るべき数値」と言って驚かれました。その後、体調が回復するに伴ってBNPの値はそれなりに下がっては来ましたが、6月13日の検査では268.5、4月19日には669と悪化していました。これは最早慢性心不全と言うべき値で、主治医である循環器科の医長先生もそう言われます。
しかしながら、主治医は今年の1月からジムに通うことを許可されましたし、リハビリでやっていた程度よりも一寸厳しい運動も続けております。私には良く解らないのですが、恐らくこの数値には個体差があって、私の場合はそれでも何となく普通に日常生活が出来ているのだと思っております。主治医は血液検査の数値を見て、寧ろ腎臓が弱り気味である方を懸念しておられます。これは2006年1月の最初の心筋梗塞発症以来恐らく10回以上は受けたであろうカテーテルによる検査とstent留置の処置の際に造影剤を使ってきたので、腎臓に影響が出たという診断(解釈)になっています。
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