次の都知事は人品骨柄、氏素性を考えて選ぼう:
私の舛添前都知事の退任を後味悪しと論じたことを受けて、尾形美明氏がネット上で彼の人品骨柄の問題を論じておられた。それはかなり手厳しいもので敢えて引用すれば
「舛添の罪はちっぽけだ。しかし、その卑しさは首都の顔に相応しくない」、「つまるところ、人品骨柄だ」、「公費をちょろまかす小狡いネズミ男みたいなヤツが東京都の知事にいて欲しくない」、「才あって徳なし。舛添は最後の最後まで貧相だった」
となっていた。私には特に異論はなかった。そこで上記に加えて「氏素性」論を得意のアメリカとの比較を交えて下記のように展開してみた。
その人品骨柄に加えて「氏素性」と「育ち」を入れたいと思います。多少は人身攻撃になるかも知れませんが、そこに触れないことにはあの舛添氏の所業を解説も出来ないし、解ることことも難しいと思います。
この辺りに私が日頃論じている「資産家であり良家の子弟に生まれたところで、人生の勝負が決まってしまうようだ」という言わば格差社会がアメリカであり、その極めて限られた少数から出てきた者たちが所謂”1%が99%の富を握る”であるとか、私が言う”精々上位5%の者たちが社会を支配する”のがアメリカ」なのです。その世界は中に入ってみて初めてその実態に触れることが出来て多くの層が横並び一線ではあって各層間の移動がない無残なところだと解るのです。
一方の我が国のように「生まれも家柄もほぼ関係なく、良く勉強して良い学校に進み優秀な成績を収めるか乃至はその努力で立身出世の道が開けるという、努力次第で家柄にも氏素性にも関係なく機会均等で平等にチャンスが与えられる(獲得出来る?)国との違いがある」ので、アメリカとの間に大きな違いがあると思います。
舛添氏は巷間伝えられている育ちから刻苦勉励してあそこまで自分の将来を開拓したのですが、東大の助教授を経て国際政治学者として名を上げ参議院議員から東京都知事という具合に階段を上ったところまでは素晴らしかったのですが、上がりきったところで馬脚を現していまいました。
表現が難しいのですが、舛添氏の氏素性と育ちではアメリカでは都知事のような、彼が自身が言うトップリーダーまでの道は開けなかったでしょう。彼は日本に生まれたことに感謝すべきだったです。諸外国の事情に詳しいはずの彼がそれくらいは解っていたはずでしょうに。私は「日米何れの国が良いのか」と問われれば「文化が違う」と言って逃げます。何れにせよ、舛添氏は少なくとも財は為し得たのではありませんか。それが彼の狙いだったならば大成功でしょう。
私の結論としては「今や、次の都知事を巡って多くの分野からの候補者が取り沙汰されているが、私は勿論能力と経歴と人品骨柄を十分に検討した上で選んでいく必要があるかと思うのだが、今度辺りはアメリカ式の氏素性か家柄をも配慮してみたらどうか」と考えている。法律の抜け穴をついて政治資金の細かい公私混同などをする人物を避ける為にも。
私の舛添前都知事の退任を後味悪しと論じたことを受けて、尾形美明氏がネット上で彼の人品骨柄の問題を論じておられた。それはかなり手厳しいもので敢えて引用すれば
「舛添の罪はちっぽけだ。しかし、その卑しさは首都の顔に相応しくない」、「つまるところ、人品骨柄だ」、「公費をちょろまかす小狡いネズミ男みたいなヤツが東京都の知事にいて欲しくない」、「才あって徳なし。舛添は最後の最後まで貧相だった」
となっていた。私には特に異論はなかった。そこで上記に加えて「氏素性」論を得意のアメリカとの比較を交えて下記のように展開してみた。
その人品骨柄に加えて「氏素性」と「育ち」を入れたいと思います。多少は人身攻撃になるかも知れませんが、そこに触れないことにはあの舛添氏の所業を解説も出来ないし、解ることことも難しいと思います。
この辺りに私が日頃論じている「資産家であり良家の子弟に生まれたところで、人生の勝負が決まってしまうようだ」という言わば格差社会がアメリカであり、その極めて限られた少数から出てきた者たちが所謂”1%が99%の富を握る”であるとか、私が言う”精々上位5%の者たちが社会を支配する”のがアメリカ」なのです。その世界は中に入ってみて初めてその実態に触れることが出来て多くの層が横並び一線ではあって各層間の移動がない無残なところだと解るのです。
一方の我が国のように「生まれも家柄もほぼ関係なく、良く勉強して良い学校に進み優秀な成績を収めるか乃至はその努力で立身出世の道が開けるという、努力次第で家柄にも氏素性にも関係なく機会均等で平等にチャンスが与えられる(獲得出来る?)国との違いがある」ので、アメリカとの間に大きな違いがあると思います。
舛添氏は巷間伝えられている育ちから刻苦勉励してあそこまで自分の将来を開拓したのですが、東大の助教授を経て国際政治学者として名を上げ参議院議員から東京都知事という具合に階段を上ったところまでは素晴らしかったのですが、上がりきったところで馬脚を現していまいました。
表現が難しいのですが、舛添氏の氏素性と育ちではアメリカでは都知事のような、彼が自身が言うトップリーダーまでの道は開けなかったでしょう。彼は日本に生まれたことに感謝すべきだったです。諸外国の事情に詳しいはずの彼がそれくらいは解っていたはずでしょうに。私は「日米何れの国が良いのか」と問われれば「文化が違う」と言って逃げます。何れにせよ、舛添氏は少なくとも財は為し得たのではありませんか。それが彼の狙いだったならば大成功でしょう。
私の結論としては「今や、次の都知事を巡って多くの分野からの候補者が取り沙汰されているが、私は勿論能力と経歴と人品骨柄を十分に検討した上で選んでいく必要があるかと思うのだが、今度辺りはアメリカ式の氏素性か家柄をも配慮してみたらどうか」と考えている。法律の抜け穴をついて政治資金の細かい公私混同などをする人物を避ける為にも。
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