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K雄の死

2025-01-21 | LIFE
新年早々、親友のKが天に召された。

Kとの出会いは、うろ覚えだがお互いまだ小学生の時かも知れないが、かなり記憶が曖昧になっている。
彼はボクより4歳年下。彼も障害者で一部、機能障害が同じような障害を抱えていたこともあってか親しく付き合うようになったのかどうかは不明だが、
一緒に遊んだり馬鹿なことをしていた。

それでも中学を卒業すれば、お互い進む道が異なり頻繁に会うことは出来なくなったが、彼が僕の家に何度か遊びに来てくれたり、
一度だけ彼の家の前まで行き、当時健在だった彼のお祖母ちゃんが作ってくれたカレーライスをボクのクルマの中でご馳走になった思い出がある。
それから間もなくして彼は結婚したが離婚。
とにかく彼は女性にモテた。昨年2004年に他界した、彼曰く女優の中山美穂似の女性から交際を申し込まれたこともあったようだが断ったそうだ。
そして彼は再婚、相手の女性も再婚らしいが、美人の妻だと自慢していた。
彼が再婚してからは連絡も疎遠になっていたが、年賀状や電話では「会おう」と言ってはいたもののなかなか会うことが出来ずにいた。

それから長い年月を経て、昨年2004年9月3日の昼、彼から電話がかかってきたが、どうしても電話に出ることが出来ず呼び出し音が切れた。
折り返し電話すれば良かったのだが、何かしらやることがあり、また用事があるのならまた電話が来るだろうと考えていた。
しかし偶然とは恐ろしいもので、9月27日、某所で彼と偶然に会ったが、最初彼とは気づかず通り過ぎようとしたとき、Kが「○○さんですか?」と声を掛けられ「そうです」と答えたら「K雄です」と言った。
最初、K雄ですと言われても彼であることに気付くのに数秒要した。
何故なら、失礼だが、かなり老けていたので少し驚いたというのが正直な感想だった。
そしてボクはボクで、かなりやつれていたので最初、声をかけるのを躊躇したそうだが、いま声をかけなれれば二度と会えないだろうと思い人違いでもよいから声をかけてくれたようだったが、彼との会話を終えてから「いま声をかけなれれば二度と会えないだろう」の言葉が心に引っかかっていた。
そして12月20日にまた彼と会うことが出来たが、軽く挨拶程度で別れたが、
それが最後になろうとは夢にも思わず、年が明け新聞のお悔やみ欄に彼の名前が載っていた。
本当に、ただただ驚くばかりだった。

彼が死が近いことを悟っていたのかどうかは知らないが、電話をくれたこと、
会えたことは単なる偶然ではないと思っている。

とにかく彼の冥福を祈るばかりだ。

















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