3月一杯で、某県立医療施設に勤務していた整形外科医が定年を迎える事を新
聞の県人事異動で知り、先月挨拶がてら4年ぶりに診察を受けてきた。
ちなみに通常の定年は60歳なのだが、そこでは最高責任者となっているため65
歳が定年だそうな。
その整形外科医との出会いは30年以上も前になるだろうか、僕が小学校高学年
か中学生の初め頃だと記憶している。
その間、半分くらいはI医師の転勤等があって、関わりが遠のいた事もあったが、
それでも何故か不思議と縁があり、お会い出来る状況となった。
僕は今まで沢山の医師に診察して貰ったが、そのなかでも整形外科のI医師の存
在を無視する事は出来ない。
僕が高校生の頃、どういった経緯からそうなったのかは忘れてしまったのだが、I医
師から脊髄固定術を受ける事を勧められた。
何故その手術が必要なのかは、僕のプライバシーに関わる事なので詳細に付いて
は触れないが、もし整形外科医の人が僕のblogを読めば少しは察しが付くかと思う。
今回UPした画像は、その手術のとき背骨に埋め込んだ同じボルト(約5.5cm)である。
どうにかこうにか何時間にも及ぶ大手術が終え、その後20年くらいはI医師の転勤で、
ゆっくり診察を受けられなかったのだが、総合病院の整形外科部長と赴任した際に
少しばかり違う治療でお世話になった。
そして整形外科部長を経た後、現在のポストに就いてから落ち着いてI医師自ら執刀
した術後の診察を受けられる事が出来た。
それで3月の某日、4年ぶりにI医師の診察を受けたわけだがレントゲン検査の結果、
前回と変化が無いみたいで安心した。
当日は外来もそんなに混んでいないこともあり、結局I医師と診察室での会話が2時
間にも及んだ。もちろんその間に病院を訪れる患者が来るわけだが、他の患者の診
察のときだけ僕との会話が中断するといった具合だった。
また当日は面白い偶然が重なり驚いたのだが、そこの医療施設の前責任者でもあっ
たK医師が訪れ、僕の父の通夜に参列以来、これまた10数年振りに再会し3人で昔
話をした。
途中K医師は用事があり席を外したが、改めて人の縁の不思議さを痛感した日でも
あった。
K医師も今は某病院で週2回ほど外来を受け持っているようで、相変わらず多忙な様
子だが元気な姿を見て僕も安心した。
K医師と別れ際に僕が「先生も身体を大切に」と言ったら「ありがとう」と言ってくれた
のが嬉しかった。ちなみにお互いのメールアドレスを教えあってK医師は、その場を
去った。
さてI医師との会話で面白かったのは、まだ墓を買っていないということだった。
しかも病院の診察室で医師から墓の話題が出るとは夢にも思わなかったので、僕に
限らず側に居た看護婦も顔こそを見えなかったが、苦笑していたのではないかと想
像する。
また整形外科部長時代の話もしてくれ、とにかく忙し過ぎたという事だった。
午前中は外来に訪れる患者のカルテが机の上に山積みとなり、昼食を食べる時間
なんぞ無く、そのまま午後は手術室へ向かう生活が日常的だったと話してくれた。
レントゲンフィルムを説明してくれた際、I医師の後頭部が薄くなっていたのを見たと
き、僕はI医師の苦労を少しばかり知ったような気がした。
定年後は少しゆっくりした後、また何処かの病院で働く事を言っていた。
昼近くになったこともあり、いくらなんでも長居し過ぎると良くないので失礼する事に
した。
記念にという事でカメラ付き携帯で、診察室にて写真を一枚撮らせて貰った。
「お世話になりました」と言ったら、お別れではないと言ってくれ、また何処かで再会
出来ることを願い、僕は病院を後にした。
今回の時間は医師と患者と言うより、人間同士の会話が出来たように僕は思った。
整形外科医という職業柄、長年多くの障害者に接してくれたI医師。
優秀な医師はこの世にたくさん存在する。しかし障害者と心底から人として接して
くれる医師は、どれ位いるのだろうか。
I医師と出会えたことに感謝したい。
そしてこの日のことは、僕にとって大切な思い出となった。
聞の県人事異動で知り、先月挨拶がてら4年ぶりに診察を受けてきた。
ちなみに通常の定年は60歳なのだが、そこでは最高責任者となっているため65
歳が定年だそうな。
その整形外科医との出会いは30年以上も前になるだろうか、僕が小学校高学年
か中学生の初め頃だと記憶している。
その間、半分くらいはI医師の転勤等があって、関わりが遠のいた事もあったが、
それでも何故か不思議と縁があり、お会い出来る状況となった。
僕は今まで沢山の医師に診察して貰ったが、そのなかでも整形外科のI医師の存
在を無視する事は出来ない。
僕が高校生の頃、どういった経緯からそうなったのかは忘れてしまったのだが、I医
師から脊髄固定術を受ける事を勧められた。
何故その手術が必要なのかは、僕のプライバシーに関わる事なので詳細に付いて
は触れないが、もし整形外科医の人が僕のblogを読めば少しは察しが付くかと思う。
今回UPした画像は、その手術のとき背骨に埋め込んだ同じボルト(約5.5cm)である。
どうにかこうにか何時間にも及ぶ大手術が終え、その後20年くらいはI医師の転勤で、
ゆっくり診察を受けられなかったのだが、総合病院の整形外科部長と赴任した際に
少しばかり違う治療でお世話になった。
そして整形外科部長を経た後、現在のポストに就いてから落ち着いてI医師自ら執刀
した術後の診察を受けられる事が出来た。
それで3月の某日、4年ぶりにI医師の診察を受けたわけだがレントゲン検査の結果、
前回と変化が無いみたいで安心した。
当日は外来もそんなに混んでいないこともあり、結局I医師と診察室での会話が2時
間にも及んだ。もちろんその間に病院を訪れる患者が来るわけだが、他の患者の診
察のときだけ僕との会話が中断するといった具合だった。
また当日は面白い偶然が重なり驚いたのだが、そこの医療施設の前責任者でもあっ
たK医師が訪れ、僕の父の通夜に参列以来、これまた10数年振りに再会し3人で昔
話をした。
途中K医師は用事があり席を外したが、改めて人の縁の不思議さを痛感した日でも
あった。
K医師も今は某病院で週2回ほど外来を受け持っているようで、相変わらず多忙な様
子だが元気な姿を見て僕も安心した。
K医師と別れ際に僕が「先生も身体を大切に」と言ったら「ありがとう」と言ってくれた
のが嬉しかった。ちなみにお互いのメールアドレスを教えあってK医師は、その場を
去った。
さてI医師との会話で面白かったのは、まだ墓を買っていないということだった。
しかも病院の診察室で医師から墓の話題が出るとは夢にも思わなかったので、僕に
限らず側に居た看護婦も顔こそを見えなかったが、苦笑していたのではないかと想
像する。
また整形外科部長時代の話もしてくれ、とにかく忙し過ぎたという事だった。
午前中は外来に訪れる患者のカルテが机の上に山積みとなり、昼食を食べる時間
なんぞ無く、そのまま午後は手術室へ向かう生活が日常的だったと話してくれた。
レントゲンフィルムを説明してくれた際、I医師の後頭部が薄くなっていたのを見たと
き、僕はI医師の苦労を少しばかり知ったような気がした。
定年後は少しゆっくりした後、また何処かの病院で働く事を言っていた。
昼近くになったこともあり、いくらなんでも長居し過ぎると良くないので失礼する事に
した。
記念にという事でカメラ付き携帯で、診察室にて写真を一枚撮らせて貰った。
「お世話になりました」と言ったら、お別れではないと言ってくれ、また何処かで再会
出来ることを願い、僕は病院を後にした。
今回の時間は医師と患者と言うより、人間同士の会話が出来たように僕は思った。
整形外科医という職業柄、長年多くの障害者に接してくれたI医師。
優秀な医師はこの世にたくさん存在する。しかし障害者と心底から人として接して
くれる医師は、どれ位いるのだろうか。
I医師と出会えたことに感謝したい。
そしてこの日のことは、僕にとって大切な思い出となった。