さて、各務原市役所での提案をしたので、この後の段取りを考えねば。
各務原市の「学びの森」は基本的に岐阜駅600mでの展示をメイン会場とした構想計画なので、これまで行ってきた岐阜駅南口広場での壁泉での展示や岐阜市加納の清水緑地での展示も継続して行っておきたい。
でも、こうしたやり方で回数を重ねれば今以上に仕事量が増えてゆく、現実的に無理です。
ですから、当初から提案していた通り、それぞれの会場に担当者を置き、アートコミュニティー的な集まりとして運営してゆく方向で役割分担を考えないといけないと思う。
ただ、こうした役割分担と言うと利権問題が生じてくるようにも思うし、アートコミュニティーを私的なテリトリー化をされては、今後の展望を望めなくなる。
だから、できるだけ若手(若手の作家や学生とか)に任せる事が望ましい。
もちろん、会場使用の手配や手続きなど知識や経験を必要とする部分に付いては大人がサポートにまわる形で盛り上げてゆく事が重要だ。
例えば、音頭をとるのは年配の方で、中堅どころが相談役になり、実施運営は若手の力で。。。。
次世代を担う若者達を育てるという位置づけに何とかできないものかな。
そこに環境芸術を志す作家の受け皿的な基盤が出来上がってくるように思う。
各務原市の「学びの森」は基本的に岐阜駅600mでの展示をメイン会場とした構想計画なので、これまで行ってきた岐阜駅南口広場での壁泉での展示や岐阜市加納の清水緑地での展示も継続して行っておきたい。
でも、こうしたやり方で回数を重ねれば今以上に仕事量が増えてゆく、現実的に無理です。
ですから、当初から提案していた通り、それぞれの会場に担当者を置き、アートコミュニティー的な集まりとして運営してゆく方向で役割分担を考えないといけないと思う。
ただ、こうした役割分担と言うと利権問題が生じてくるようにも思うし、アートコミュニティーを私的なテリトリー化をされては、今後の展望を望めなくなる。
だから、できるだけ若手(若手の作家や学生とか)に任せる事が望ましい。
もちろん、会場使用の手配や手続きなど知識や経験を必要とする部分に付いては大人がサポートにまわる形で盛り上げてゆく事が重要だ。
例えば、音頭をとるのは年配の方で、中堅どころが相談役になり、実施運営は若手の力で。。。。
次世代を担う若者達を育てるという位置づけに何とかできないものかな。
そこに環境芸術を志す作家の受け皿的な基盤が出来上がってくるように思う。
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