名前のない女たち 2宝島社このアイテムの詳細を見る |
前々から読みたいと思っていた『名前のない女たち』(中村淳彦)の続編だ。
読み進めていくうちにどろどろとした不気味な感じにとらわれるタイプの本だ。
著者である中村氏はまえがきで、本書でのアウトラインもしくは、問題提起として、
「なぜ、彼女らはセックスするという職業を選んだのか?また、選ぼうとしているのか?そのテーマは変わらない。なにがフツーであるのかがわからない『生きづらい』混沌とした世の中で、ふとしたキッカケで脱いでカメラの前でセックスして、一瞬だけ刹那に輝いて次の場所に消えていく。サバイバルにワイルドサイドを歩く、裸一つで生きる彼女たちは、んいたような日々を繰り返す筆者が羨ましくなるほど、とても必死に、一生懸命に生きている。」
という風に述べている。
サルトルの実存主義という言葉が出てきた当時は、この言葉はパリ界隈で性に明け暮れ自堕落な生活をしていた若者に対して使われたいたようである。
そのことがふと頭をよぎる本だった。
この本の中でインタビューされているAV女優の中にはもちろん男性器が好きで仕方ないとか、セックス自体がものすごく好きというのもいないわけではないが、少数のように感じる。
もちろんこの本でインタビューされている女優はどちらかというとなにか人生に癖のあるというか問題を抱えた女優を中心にセレクトされていると思えるので、それをAV女優全般に適応できるかどうかは疑問はあるが、
この本の中で取り上げられている女優に共通すると思えた要素は、
-やりたいことがなにも見つからず、AVという似非「銀幕」に非日常的刺激を求め飛び込んでいったこと。
-性への倒錯した興味があること。言い換えるならば心に何らかの闇があり、それを埋め合わせんがために自傷的に性に耽溺していく。
-親族、特に母親、もしくは父親との関係が何らかの形で望ましくないということ。
-お金への執着が強いこと。
などが挙げられるように感じた。
著者が前書きでも述べているように、
AV業界ではその「賞味期限」は短いようだ。
最初のデビュー作でぱっと打ち上げ花火のように注目を浴びた後は、アナルセックス、スカトロなどいわゆるヘンタイとされる性行為を解禁していくことで生き延びていくというのが一般的なモデルのようだ。
この本が興味深いのは、著者である中村氏が辺に彼女らを「これがAV女優だ!」というカテゴリー化をしようとしていないということだ。
彼は、多くのモデルを示すことでその実像を削りだそうとしているように感じた。