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図解構造主義!?②:松山情報発見庫#330

2005-11-14 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
寝ながら学べる構造主義

文藝春秋

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第2章 始祖登場-ソシュールと『一般言語学講義』
この章では、一般的に構造主義哲学の始祖であるとされるソシュールについて。
著者によると、ソシュールは、
「あるものの性質や意味や昨日は、そのものがそれを含むネットワーク、あるいはシステムの中でそれがどんな『ポジション』を占めているかによって事後的に決定されるものであって、どのもの自体の内に、生得的に、あるいは本質的に何らかの性質や意味が内在しているわけではない」(71項)
ということを私たちに教えてくれたとしている。

この著者による著述を見てみると、皮肉なことに、著者が構造主義は現在に思想の世界、もしくは、日常世界においては、常識となってしまったからこそポスト構造主義といえる状態になっていると述べていることがサルトルの本質と実存における議論において起きているといえる。著者はサルトルのことを定説的な批判をして済ましているだけで、その文献には直接には触れていないようが、ここでの議論がまさしくそのままサルトルが述べていることとなっているという皮肉が起こっているのである。

ソシュールの話に戻るが、上のようにソシュールは言語の実存と本質について語り、言語活動とは、「もともと切れ目の入っていない世界に人為的に切り目をいれて、まとまりをつけること」(66項)というようなものだと発見した。

第3章 「四銃士」活躍す その1 -フーコーと系譜学的思考

フーコーは系譜学的に物事を見ることを試みた。
マルクス主義的に一つの出来事が歴史の進歩、進化を経て今という最善の状態あるとは考えずに、今ここにあるものがその形であるのは、「さまざまな歴史的条件が予定調和的に総合された結果というより、さまざまな可能性が排除されて、むしろどんどんやせ細ってきたプロセスではないのか」(86項)というように捉えている。
つまりフーコーは、「監獄」「狂気」「学術」「性」などについて、その概念が生成された場面にまで遡って考えようと試みた。

フーコーの言説については、実際にその著作に当たって見ることでよくこの意味よりよくが分かる。フーコーが試みた論考の中で代表的なものとしては、狂気についての論考がある。フーコーがその生成地点にまで遡って考えることで、何が語られなかった結果として今の状態になっているかということを追求しようと試みた。
今は、精神疾患として「健常/異常(狂気)」というくびきが為されているが、これは18世世紀近代国家が生成される過程において生成された概念であるという。
それまでは、狂人は社会の宗教にシステムの中でうまく組み込まれていたが監禁されることによって健常者との相田で差別化が試みられていった。
といった具合だ。
このあたりの議論は深くみようと思えばいくらでも深くみれるので、興味のある方は、本書もしくは、『狂気の歴史』などを当たって見て欲しい。

*次の章のバルトについては、少し詳しく見たいので次の章に譲る。
コメント (1)
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