<続き>
<ウィアン・ブア陶磁>
●ウィアン・ブア窯群出土のカロン風鉄絵盤
従来ウィアン・ブア窯群には、鉄絵文様の陶磁は存在しないと云われていたが、Kriengsak Chaidarung氏は、その著書「陶磁器・パヤオ」で以下のセンセーショナルな著述をしている。
「仏暦2530年(西暦1987年)にウィアン・ブア窯群で行われた遺跡調査で、窯があったと思われる場所の周辺の地面を、約50センチメートル深さに掘ったところ、盤片が3枚重なった状態で見つかった。
この3枚の盤は、
透明釉の下に鉄彩で文様が描かれ⑪、その植物文様は3枚とも同じであった。それは、カロンの陶磁に一般的によく見られる文様である。カロン陶磁の胎土の特徴は、淡い黄色で肌が細かく、砂粒も小さなものである。しかし、この3枚の盤片は肌が粗く、砂粒も大きくカロンの陶磁とは異なるようにみえる。
最初の推測では、カロン窯群よりもたらされたものであろうと思われた。しかし、さらに細かく見ていくと、2点の疑わしい点が見つかった。一点目は、この3枚の盤の胎土は、カロンで見つかった陶磁の胎土と若干異なるということ。この3枚の盤の胎土は、肌が粗く空隙が多い。カロンの胎土は肌が細かく、砂粒は非常に細かい。そして土がよりしっかりとしている。カロンの胎土の色は、多くは灰色がかった白色であるが、この3枚の盤の胎土の色は、ウィアン・ブアの陶磁のものに近い。
二点目は、3枚とも破損している、または欠陥があるものであった。焼成温度が十分高温になっていなかった為と思われる。よって透明釉の表面の光沢がなくなったり、濁ったりする。窯からの落下物や土粒が盤にくっついている。また盤は、すべて歪んでいるか縮んでいる。これは胎土の品質が良くなかったためで、高温に耐えることができなかった。盤は薄く作ってあるので、さらに歪みやすく縮みやすい。」
(この3枚は、透明釉の下に鉄絵文様が描いてあるカロン?(カロン風)盤。植物文様で、盤の直径は23.5cm。胎土は淡い白色。パヤオ県ムアン郡メーガー地区ウィアン・ブア窯群にて出土)
Kriengsak Chaidarung氏は、更に以下のように述べている。「前述の理由から推測できることは、もしこの3枚の盤が、カロン窯群からもたらされたとすれば、完全な状態のもので欠陥はないはずであり、欠陥のあるものも一緒にもたらされたとは考えにくい。
可能性として考えられるのは、
ウィアン・ブア窯群でカロンの盤を模倣して作ってみたということである。商取引のこともあわせて考えてみる。当時、カロン窯群の陶磁取引きは拡大し、需要に合わせてパヤオにも及んでいた。カロンの製品は、在地のものより品質が良く、値段も安かったと思われる。生産量も多かったので、手に入りやすかった。カロン窯からパヤオへの運搬の道程もさほど遠くはなかったので、カロン窯の製品を用いる人が増えた。それは、パヤオ県の多くの遺跡の発掘において、カロン陶磁が出土することから、伺うことができる。
(上は釉下鉄絵文様が描かれた盤でカロン窯群にて出土。胎土の肌が細かく、砂粒が非常に細かい。下の盤はウィアン・ブア窯群にて出土。胎土が粗い様子がわかる)
このことから、パヤオの窯で原価を抑え安く売るために、カロンの陶磁を模倣しようとしていた・・・と推測することは可能であるだろう。しかし、成功しなかった。それは原料がなかったことである。つまり、カロン窯群の胎土に似た、薄胎陶磁を作ることができ、高温に耐えうる胎土が見つからなかったためである。」・・・以上がKriengsak Chaidarung氏の著作上での見解である。
当該ブロガーは、その見解に関し論評する見識を持たないが、パヤオに鉄絵文様の盤が存在するのは驚きであり、触れない訳にはいかないだろう。最終章で考察を試みたい。
注釈
⑪ 透明釉の下に鉄彩で文様を描くのには、酸化鉄を用いている。本焼後釉
下に文様が現れ、黒褐色または茶色になる。これは、コバルト(Cobolt)
の酸化物を用いて描く中国の青花とは異なる。
最後に完品状態で発掘された、J ・C・Shawコレクションの一つである、パヤオ印花双魚文盤を下に紹介しておく。
緑がかった黄土色の青磁釉下に印花双魚文様をみる。良い状態で発掘された。直径20cm、パヤオ県ムアン郡メーガー地区ウィアン・ブア窯群にて出土。
<続く>
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