<続き>
<ウィアン・ブア陶磁>
●ジャオ・マーフーアン&ポーユイ・ターエン古窯址(4)
ー独自の印花文ー
ジャオ・マーフーアン窯は、パヤオ独自の印花文様陶磁を焼成した。それらは霊獣文や馬、象などの動物文、さらには仏教文である。ここで馬はポピュラーな動物文というより、脳裏に浮かぶのは釈迦の愛馬カンタンであろう。
これらのジャオ・マーフーアン窯の印花文から、仏教文と象文様について以下紹介する。

それは毘盧遮那仏像の装飾文にみることができる。その仏像壁画の胸部中央文様は宇宙の大海を象徴する籠の形をした須弥山である。その文様が下写真のように、盤を飾る文様として出土している。
写真が見づらいのでスケッチすると、以下のようになる。
更には双魚まで描かれている。このような文様は、密教系の後期大乗仏教のそれにみることができる。中世の北タイは13世紀に上座部仏教が伝搬するまで、ヒンズー教や大乗仏教の混じった宗教が信仰されていた。
またアンコール王朝のジャヤーバルマン7世(1181-1281年)の時代、パヤオはその影響下におかれていた。ジャヤーバルマン7世はそれまでのヒンズー教ではなく、仏教を信仰したことで有名である。従って当時のパヤオは、多少なりとも大乗仏教を信仰したのであろう。
二つ目の独自性というか特徴は、象の印花文をもつ。象の印花文はパヤオのみならず、北タイ諸窯にみられるが、ジャオ・マーフーアン窯のそれは、堂々とした主文様である。

(写真はパヤオのワット・リー付属博物館に展示されている印花象文盤である。写真は灰色に見えるが、実際はやや褐色がかっている。実に具象的な象文で何か影絵のように感ずる)
ブア村のウィアン・ブア窯群には、30以上の塚のような窯群が知られており、その数はサンカンペーンで印花魚文の盤を焼成したフェイバックピーン古窯より、遥かに多くの窯であった。従って印花文の多様性は、サンカンペーンの追随を許すものではなかった。次回は印花文の多様性を紹介したい。
<続く>
<ウィアン・ブア陶磁>
●ジャオ・マーフーアン&ポーユイ・ターエン古窯址(4)
ー独自の印花文ー
ジャオ・マーフーアン窯は、パヤオ独自の印花文様陶磁を焼成した。それらは霊獣文や馬、象などの動物文、さらには仏教文である。ここで馬はポピュラーな動物文というより、脳裏に浮かぶのは釈迦の愛馬カンタンであろう。
これらのジャオ・マーフーアン窯の印花文から、仏教文と象文様について以下紹介する。




またアンコール王朝のジャヤーバルマン7世(1181-1281年)の時代、パヤオはその影響下におかれていた。ジャヤーバルマン7世はそれまでのヒンズー教ではなく、仏教を信仰したことで有名である。従って当時のパヤオは、多少なりとも大乗仏教を信仰したのであろう。
二つ目の独自性というか特徴は、象の印花文をもつ。象の印花文はパヤオのみならず、北タイ諸窯にみられるが、ジャオ・マーフーアン窯のそれは、堂々とした主文様である。

(写真はパヤオのワット・リー付属博物館に展示されている印花象文盤である。写真は灰色に見えるが、実際はやや褐色がかっている。実に具象的な象文で何か影絵のように感ずる)
ブア村のウィアン・ブア窯群には、30以上の塚のような窯群が知られており、その数はサンカンペーンで印花魚文の盤を焼成したフェイバックピーン古窯より、遥かに多くの窯であった。従って印花文の多様性は、サンカンペーンの追随を許すものではなかった。次回は印花文の多様性を紹介したい。
<続く>