<続き>
<モンオーム陶磁>
●操業年代
Kriengsak Chaidarung氏は以下のように述べている。“証拠が見つからなくても、モーンオーム窯群では、操業年代をはっきりと分析することができ、ウィアン・ブア窯群の陶磁と比較することができる。同じグループの窯であることによる。窯の状態、製作方法、陶磁器の種類、形と文様が同じで、どれがウィアン・ブア窯群の器か、どれがモーンオーム窯群の陶磁かほとんど見分けがつかない。これまでに述べてきた、胎土のみが違う点である。”・・・とある。
つまりウィアン・ブア窯操業開始は、そのC-14年代測定により、3王同盟の時代である13世紀末から14世紀初頭であるとしている。従ってそれに準ずる年代ということになる。
それについては、モンオーム窯址から出土した、サンカンペーン印花双魚文盤からも裏付け可能であろう。
(出典:「陶磁器・パヤオ」 モンオーム窯出土)
更に先日紹介した、パヤオ褐釉刻花蔓草文盤を再度御覧いただきたい。パヤオで特に多い装飾が、見込みの櫛歯による波状文である。確たる論拠があるわけではないが、この波状文は安南の影響を受けているのでは・・・と考えている。
下の写真は、関千里氏の著作「ベトナムの皇帝陶磁」P136に掲載されている安南陶磁・褐釉波状文皿で、東南アジア陶磁館の蔵品である。P136の写真は小さく見づらいので水彩にしてみた。
櫛歯による波状文がうまく写し切れていないが、写真では複線ないしは三重の波線であることを申し添えておく。見込み中央の蛇の目の釉剥ぎを除けば、味わいがにていると感じている。この安南の皿は、関氏によれば14世紀とのことである。しかしながら先に断ったように確たる論拠があるわけではない。
蛇足を述べたが、モンオーム窯の開窯はウィアン・ブア窯と同じ13世紀末から14世紀初頭と考えるのが、妥当と思われる。
<続く>
<モンオーム陶磁>
●操業年代
Kriengsak Chaidarung氏は以下のように述べている。“証拠が見つからなくても、モーンオーム窯群では、操業年代をはっきりと分析することができ、ウィアン・ブア窯群の陶磁と比較することができる。同じグループの窯であることによる。窯の状態、製作方法、陶磁器の種類、形と文様が同じで、どれがウィアン・ブア窯群の器か、どれがモーンオーム窯群の陶磁かほとんど見分けがつかない。これまでに述べてきた、胎土のみが違う点である。”・・・とある。
つまりウィアン・ブア窯操業開始は、そのC-14年代測定により、3王同盟の時代である13世紀末から14世紀初頭であるとしている。従ってそれに準ずる年代ということになる。
それについては、モンオーム窯址から出土した、サンカンペーン印花双魚文盤からも裏付け可能であろう。

更に先日紹介した、パヤオ褐釉刻花蔓草文盤を再度御覧いただきたい。パヤオで特に多い装飾が、見込みの櫛歯による波状文である。確たる論拠があるわけではないが、この波状文は安南の影響を受けているのでは・・・と考えている。


蛇足を述べたが、モンオーム窯の開窯はウィアン・ブア窯と同じ13世紀末から14世紀初頭と考えるのが、妥当と思われる。
<続く>