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「陶磁器・パヤオ」シリーズ・24

2016-02-18 08:50:34 | 北タイ陶磁
<続き>

<フェイ・メータム陶磁>
●フェイ・メータム窯群
以下、Kriengsak Chaidarung氏の著述に従って紹介する。
          (出典:「陶磁器・パヤオ」に加筆)
メータム川はパヤオ県ムアン郡メーガー町のブア村、メーガートークワーク村、ノーンゲーオ村を横切って流れ、メータム村でパヤオ湖に流れ込む古い水路である。メーガートークワーク村からノーンゲーオ村までには古い窯の廃墟が群になって点在している。多くは掘り起こされて状態が良くない。
フェイ・メータム窯群は、仏暦2503年(西暦1960年)に、グライシー・ニマンヘーミン教授とウィパット・チュティマー氏の調査団によって初めて公表された。彼らは、パヤオ県ムアン郡ジャムパーワイ地区(現在はメーガー地区)のメーガートークワーク村にあるフェイ・メータム窯群を調査し、窯の廃墟やメータム川に沿って陶磁片を見つけた。グライシー・ニマンヘーミン教授は、胎土と陶工の技術は、カロン窯群とサンカムペーン窯群の陶磁に良く似ている、という見解を出した。
   (出典:日本語情報誌「ちゃーお」掲載 グライシー・ニマンヘーミン教授)
仏暦2527年(西暦1984年)、もうひとつの調査団であるタイ国考古学機構(北部地域)が、ノーンゲーオ村周辺のフェイ・メータム窯群を調査し、粘土壁の窯の廃墟を見つけた。これは、地下式の横焔式単室窯であるとの見解を出した。窯の周辺では盤、皿、小鉢、水差しなどの陶片が見つかり、これらは青磁釉のもので、胎土は淡い白色である。もうひとつ見つかったものは、無釉で素焼きと思われる白化粧(Slip)をした陶片で、印花文様が見られた。
これ以外に、胎土の成分を調べた。フェイ・メータム窯群周辺の地面を4メートルほど掘り、地層を調べた。粘土の状態は、淡い黄色、黄色がかった灰色で、粘りは焼き物の原料にふさわしいものであった。

仏暦2528年(西暦1985年)、再度メーガートークワーク村周辺の窯址の調査が行われた。メータム川の支流にあたるキアン川の近くに窯址がひとつ見つかった。窯位置は、冒頭の写真にあるように、メーガートークワーク学校の南1.5キロメートルを右折し約500メートル地点。当該ブロガー訪問時、火葬場新築工事中であったが、結論として窯址にはたどり着けなかった。
Kriengsak Chaidarung氏の著述によると、窯の状態はかなり良く、掘られた跡などは少なかった。窯は、傾斜地に作られ、横焔式単室窯で独立した小さめの窯である。幅約1.9メートル、長さ約4-4.50メートル、粘土壁で壁の厚さは上が約10センチメートル、煙突の口の広さは約35センチメートルであった。




                           <続く>