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「陶磁器・パヤオ」シリーズ・21

2016-02-15 08:01:38 | 北タイ陶磁
<続き>

<モンオーム陶磁>
●モンオーム窯群
「モーンオーム」の名前は、北部の方言で、「モーン」は低い山並み、「オーム」は小鉢を意味し、小鉢のある低い山並み、という意味になる。この名前は、村人達がつい何十年か前から呼び始めたもので、その後にこの地域から陶磁片が見つかったものである。Kriengsak Chaidarung氏はその著作「陶磁器・パヤオ」で以下のように述べている。
モーンオーム窯群はバーンブア窯群の南側、フェイメータム貯水池のほうに2キロメートルほど行った場所にある。窯の周辺には低い丘の並びがあり、小さな水路がある。名前を「パーカオ渓谷」といい、メータム川の支流にあたる。
仏暦2530年(西暦1987年)の調査では、この周辺で焼いた瓦礫がたくさん見つかった。しかし、窯址は見つからなかった。おそらく、山(丘)から流れてきた水で押し流され、埋もれてしまったものと推測される。
いずれにせよ、窯壁の一部は見つかった。これによりわかることは、モーンオーム窯はブア村周辺の窯と同じ、粘土壁の構造を持つ、地下タイプの横焔式単室窯である。
モーンオーム窯群で見つかった陶片は、多くが盤や皿、小鉢で、口縁も高台も広いものである。釉薬のかかったもの、かかっていないもの、どちらも出土している。皿や盤の見込みに押された文様は、多くが魚である。形、品質、文様、生産技術はウィアン・ブア窯群で見つかった器とよく似ている。これは、この二ヶ所の窯が同じグループに所属することを意味すると言える。違いはあまりなく、モーンオーム窯群の胎土は、どちらかといえば砂の含有量が多くて肌が粗く、空隙が多いという点だけである。モーンオーム窯群の胎土の色は、焼きが終わると鉄銹色がかった灰黒色で、表面は少し光沢がある。これは、土に鉄分が含まれるからである。
よく見ると、モーンオーム窯群周辺は赤土で、鉄分が多いことが分かる。土粒は粗いので、より細かい胎土に対抗して薄胎の器を作ることはできない。砂の成分の多い粗い土で、成形すると分厚いものになってしまう。陶工は盤や皿類の表面を滑らかにするために、白化粧(Slip)を施した。弱点と云えば弱点である。これはウィアン・ブア窯群でも、モーンオーム窯群でも同じで分厚く重く、あまり使いやすい器ではなかった。これは薄くて軽く、釉薬も薄く均一なカロンの陶磁器とは異なる“
・・・と記述されている。
(パーカオ渓谷(川) モーンオーム窯群近くにある小さな峡谷(川)である。乾季のために水が枯れている)
   (モーンオームの傾斜地。 下のほうがモーンオーム窯群のあった場所になる)
      (3番目の写真の傾斜地は、上の写真の最上部に相当する)
(そこに至るには身長に近い丈の雑草や灌木を掻き分けて行くことになる。農夫(地主)の山刀が助けになった。写真の左手に数か所の窯址が存在するとのことであるが、そこはジャングルで、軽装備では侵入不可である)




                                <続く>