リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

Superflyのタマシイ

2011-07-05 09:26:08 | オヤジの日記
彼女の歌を初めて聴いたとき、誰が歌っているのか、と思った。

声量がある。
声が生きている。
声に存在感がある、と思った。

洋楽のテイストが強い、と表現する人がいるようだが、私には国籍不明の音楽に聴こえた。

その国籍不明の独特感が、Superflyの真骨頂ではないかと、私は思っている。

何事にも悪口を言う人は、その歌唱を一本調子だという。

それは、その人にSuperflyを聴く才能がないからだろう。

クラシックやジャズは、みんな同じに聴こえる、というのと同じ。
そういう人は、クラシックを聴く才能がないし、ジャズを聴く才能もない。

私は、演歌は男が歌っても女が歌っても、ほとんど同じメロディに聴こえる。
つまり、演歌を聴く才能が、私にはないと思っている。

エグザイルの歌もみな同じに聴こえるから、やはり私に才能がないのだと、聴くのを諦めている。


逆に、Superflyの歌は、起伏に富んで聴こえる。

ありあまる声量とドライブ感。

越智志帆の全身から放たれる、一音一音が、その声の粒子が、私の脳と体を奥底から揺さぶる。
Superflyのタマシイが、細胞に入り込む。

つまり、私はSuperflyを聴く才能を確実に持っているのだと思う。

その才能を持てたことを、私は嬉しく思っている。


その才能が枯れない限り、私はSuperflyを聴き続けるだろう。