なぜ売れているのか、なぜ売れたのか、わからないアーティストというのが、いると思う。
私にとって、それは、カリスマ・矢沢永吉だ。
私は、音楽を聴くことなしに、批判はしない。
AKBやエグザイル、SMAPの歌は聴かないから、批判しないし、批判できない。
しかし、矢沢永吉の作る曲は、むかし聴いたことがある。
永ちゃんを神と崇める友人からレコードを借りて聴いたことがある。
まずは、キャロル。
伝説のバンドだ。
ロックンロールと言いたいのだろうが、そのサウンドは、私にはロックンロールに聴こえなかった。
「ロックの魂」がない。
サウンドは、確実に英国ロックの模倣だ。
メロディも、そう。
変な喩えだが、私には、フライドチキンを食べたのだが、いつまでたっても衣を食うばかりで、最後まで中身にたどり着けなかった物足りなさが残った。
衣は洋楽ロックかぶれで、本家のチキンがない音楽。
その後、キャロルは解散して、矢沢永吉は、ソロになる。
「I LOVE YOU,OK」というアルバムを出した。
これも、友人に借りて、聴いた。
これは、確実にロックじゃなかった。
アメリカの寂れた保守的な音楽を踏襲して、全編が老化した、あるいは退化したサウンドに終始していた。
外国のプロデューサーがプロデュース。アレンジも外人がしているのだが、途中で匙を投げてしまったのではないか、と思えるような投げやりさを感じさせる仕上がりになっていた。
声も演奏も、悲しいくらい薄いのだ。
ソロ・デビューアルバムで、こんな老成したものを出す必要があったのか。
ロスで録音したというが、その意味が、全く感じられない「ウェストコースト」の香りのしないアルバムだった。
「凡庸」という表現が、一番ピッタリくるアルバムだった。
その後、「THE STAR IN HIBIYA」というライブアルバムを、やはり友人から借りて聞いた。
これも衣だけが厚くて、中身のないパフォーマンスの詰まった似非ロックの観が、拭えなかった。
バックのサポートメンバーである、高橋幸宏、高中正義、後藤次利だけが目立ったアルバムだとも言えた。
それ以来、ガッカリしたくないので、矢沢栄吉のアルバムは聴いていない。
矢沢栄吉は、いま幾つかのCMに出ている。
それを見て、私は思うのだ。
彼は、ロック・ミュージシャンではなく、アーティストでもなく、儲かりまっかの「商売人」なのだと。
そして、特定の人々だけのカリスマなのだと。
だから、おそらく、彼はこれからも、そんなカリスマであり続けるのだろう。
私にとって、それは、カリスマ・矢沢永吉だ。
私は、音楽を聴くことなしに、批判はしない。
AKBやエグザイル、SMAPの歌は聴かないから、批判しないし、批判できない。
しかし、矢沢永吉の作る曲は、むかし聴いたことがある。
永ちゃんを神と崇める友人からレコードを借りて聴いたことがある。
まずは、キャロル。
伝説のバンドだ。
ロックンロールと言いたいのだろうが、そのサウンドは、私にはロックンロールに聴こえなかった。
「ロックの魂」がない。
サウンドは、確実に英国ロックの模倣だ。
メロディも、そう。
変な喩えだが、私には、フライドチキンを食べたのだが、いつまでたっても衣を食うばかりで、最後まで中身にたどり着けなかった物足りなさが残った。
衣は洋楽ロックかぶれで、本家のチキンがない音楽。
その後、キャロルは解散して、矢沢永吉は、ソロになる。
「I LOVE YOU,OK」というアルバムを出した。
これも、友人に借りて、聴いた。
これは、確実にロックじゃなかった。
アメリカの寂れた保守的な音楽を踏襲して、全編が老化した、あるいは退化したサウンドに終始していた。
外国のプロデューサーがプロデュース。アレンジも外人がしているのだが、途中で匙を投げてしまったのではないか、と思えるような投げやりさを感じさせる仕上がりになっていた。
声も演奏も、悲しいくらい薄いのだ。
ソロ・デビューアルバムで、こんな老成したものを出す必要があったのか。
ロスで録音したというが、その意味が、全く感じられない「ウェストコースト」の香りのしないアルバムだった。
「凡庸」という表現が、一番ピッタリくるアルバムだった。
その後、「THE STAR IN HIBIYA」というライブアルバムを、やはり友人から借りて聞いた。
これも衣だけが厚くて、中身のないパフォーマンスの詰まった似非ロックの観が、拭えなかった。
バックのサポートメンバーである、高橋幸宏、高中正義、後藤次利だけが目立ったアルバムだとも言えた。
それ以来、ガッカリしたくないので、矢沢栄吉のアルバムは聴いていない。
矢沢栄吉は、いま幾つかのCMに出ている。
それを見て、私は思うのだ。
彼は、ロック・ミュージシャンではなく、アーティストでもなく、儲かりまっかの「商売人」なのだと。
そして、特定の人々だけのカリスマなのだと。
だから、おそらく、彼はこれからも、そんなカリスマであり続けるのだろう。