リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

カリスマ・永ちゃん

2011-07-22 06:48:45 | オヤジの日記
なぜ売れているのか、なぜ売れたのか、わからないアーティストというのが、いると思う。

私にとって、それは、カリスマ・矢沢永吉だ。

私は、音楽を聴くことなしに、批判はしない。
AKBやエグザイル、SMAPの歌は聴かないから、批判しないし、批判できない。

しかし、矢沢永吉の作る曲は、むかし聴いたことがある。
永ちゃんを神と崇める友人からレコードを借りて聴いたことがある。

まずは、キャロル。
伝説のバンドだ。

ロックンロールと言いたいのだろうが、そのサウンドは、私にはロックンロールに聴こえなかった。

「ロックの魂」がない。

サウンドは、確実に英国ロックの模倣だ。
メロディも、そう。

変な喩えだが、私には、フライドチキンを食べたのだが、いつまでたっても衣を食うばかりで、最後まで中身にたどり着けなかった物足りなさが残った。
衣は洋楽ロックかぶれで、本家のチキンがない音楽。


その後、キャロルは解散して、矢沢永吉は、ソロになる。
「I LOVE YOU,OK」というアルバムを出した。

これも、友人に借りて、聴いた。

これは、確実にロックじゃなかった。
アメリカの寂れた保守的な音楽を踏襲して、全編が老化した、あるいは退化したサウンドに終始していた。

外国のプロデューサーがプロデュース。アレンジも外人がしているのだが、途中で匙を投げてしまったのではないか、と思えるような投げやりさを感じさせる仕上がりになっていた。
声も演奏も、悲しいくらい薄いのだ。

ソロ・デビューアルバムで、こんな老成したものを出す必要があったのか。
ロスで録音したというが、その意味が、全く感じられない「ウェストコースト」の香りのしないアルバムだった。

「凡庸」という表現が、一番ピッタリくるアルバムだった。


その後、「THE STAR IN HIBIYA」というライブアルバムを、やはり友人から借りて聞いた。

これも衣だけが厚くて、中身のないパフォーマンスの詰まった似非ロックの観が、拭えなかった。
バックのサポートメンバーである、高橋幸宏、高中正義、後藤次利だけが目立ったアルバムだとも言えた。

それ以来、ガッカリしたくないので、矢沢栄吉のアルバムは聴いていない。


矢沢栄吉は、いま幾つかのCMに出ている。

それを見て、私は思うのだ。

彼は、ロック・ミュージシャンではなく、アーティストでもなく、儲かりまっかの「商売人」なのだと。
そして、特定の人々だけのカリスマなのだと。


だから、おそらく、彼はこれからも、そんなカリスマであり続けるのだろう。