杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

世界一ダンディな男

2008-04-17 16:19:57 | 映画

 久しぶりに図書館にこもって調べ物をしました。伊豆の観光マップの制作で、キャッチコピーに方言を使うためです。しかし、いざ、調べようと思ったら、ないんですね、郷土の方言の資料。そもそも伊豆の方言を静岡市の図書館で調べるのに無理があるのかもしれませんが、郷土の方言資料が少ないというのはコピーライターとして看過できない事態です。静岡コピーライターズクラブさんあたりで、研究テーマにしてもらえないでしょうかね。

 

 

  図書館で調べようと思った分野はもう一つ。パレスチナ出身の世界的知識人エドワード・サイードに関する資料です。先日、NHK-BSで、20世紀で世界一ダンディな男を選ぶという番組を見ました。男性知識人6人が、それぞれの分野から5人ずつ推薦し、互いに議論しあいながら世界一を決めるというもの。最終審査で画家のダリと争って、世界一に選ばれたのがサイードでした。

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 エドワード・サイードの名前を知ったのは、ドキュメンタリー映画監督佐藤真さんが2005年に発表した『エドワード・サイード OUT OF PLACE』がきっかけ。去年の夏頃、酒のドキュメンタリーを作ろうと決心し、ドキュメンタリーに関する書籍を読み漁っていたとき、ここ、静岡市立御幸町図書館で出会ったのが佐藤さんの本です。その後、佐藤さんが紹介する過去のドキュメンタリーの秀作で、レンタルできるものを片っ端から借りて観て、遅まきながらドキュメンタリー映画というジャンルの面白さに魅了されました。佐藤さんが撮ったサイードの映画はレンタルできなかったので、そのときは本の中でサイードがどういう人かを大雑把に学びました。

 

 

  『朝鮮通信使』の山本起也監督が勤務する京都造形芸術大学映画学科で、佐藤さんも教鞭を取っておられ、山本さんの師匠格に当たられるので、いつか、山本さんを通じてご本人にお会いできるかも、とひそかに期待もしていました。

 去年9月、佐藤さんの突然の訃報を新聞で知り、愕然とし、すぐに山本さんにメールしたところ、「…残された僕らは前に進むしかない」と言葉少なな返事。志半ばで前途を絶つ映画人が少なくないことを、山本さんから聞いていたので、改めて、映画作りという仕事の厳しさと、命を賭すだけの深さと尊さがあることを思い知ったのでした。

  

 

  先週、東京国立博物館に国宝薬師寺展を観に行ったとき、ミュージアムショップで国立歴史民俗博物館の会報誌『歴博147号』が映像文化を特集しているのを見つけました。千葉にある国立歴史民俗博物館は、ちょうど1年前、『朝鮮通信使』の史料ポジを借りるのに再三面倒をおかけし、直接お願いにもうかがったことのある博物館。映像文化を特集する号に出くわすとは菩薩さまのお導きに相違ないと、思わず手にとり、さっそく購入。

 

 その中に、昨年9月開催の「歴博映像フォーラム2」で、ゲストにお招きする予定だった佐藤さんの出席が永遠に叶わなくなったという一文が。フォーラムは「映像をめぐる虚と実」をテーマに、佐藤さんがつねづねおっしゃっていた「映画によって映し出される現実は、技術や解釈の介入無しの所与としての現実ではない」ことを検証するものだったようです。

 

 

  撮影するとき、どこにカメラを向け、どういう撮り方をするかという時点で、すでに“選別”は始まっていて、編集段階で使うカットと使わないカットを選別して、もともとあった文脈とは別の文脈でつなぎ合わせ、音響や音楽の演出でさらに再構成する。あらゆる映像は作り手の願望であり、ありのままの現実ではない―そのことは、山本さんもつねづね指摘していました。

  NHK-BSでサイードの名前に再会したのは、歴博のこの会報誌を読んだ3日後。今、ドキュメンタリーを作ろうとしている自分にとって、得がたい指針になると直感し、すぐさまAmazonでサイードの映画DVDを購入したのでした。

 

 

  作品は2時間強の大作でした。サイード本人は、幼い頃父親が撮った8ミリ映像しかなく、ほとんどが家族や知人のインタビューと、イスラエルとパレスチナの現在の映像。中東事情に冥い自分が1回観ただけでは、サイードが世界一ダンディな男に選ばれた理由がピンと来なくて、図書館で改めて佐藤さんの本やサイードの著作物を借りてきたというわけです。

 佐藤さんが映画を企画し、ニューヨークにいるサイード本人に会いに行こうと決めたのは2003年9月25日。なんとその翌日、サイードが白血病で亡くなったことを知り、愕然とし、サイード不在のまま、彼をたどる長い旅を始めざるをえなかったそうです。

 

 

  私も、佐藤さん本人とお会いできる機会をなくしたことで、サイードを失った佐藤さんの悔しさと寂寥感が理解できるような気がしています。つい最近も、この春から1年かけて撮らせてもらうつもりだったある蔵の杜氏さんが、体調を崩し、この春で酒造りをやめると聞いて愕然としました。

 今は、自分たちが撮ろうとしているのは、時を逸したらとりかえしがつかなくなる、それだけ伝え残す価値のあるものだ、と自分と周囲に言い聞かせるしかない、と思っています。

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  それはさておき、静岡市立御幸町図書館のすぐ上階、静岡市産学交流センターには、昨年『朝鮮通信使』を制作したスタッフルームがありました。何日も徹夜し、病人が続出しながらも必死に働いた涙と汗のバックステージ。その『朝鮮通信使』のDVDを貸し出します、という案内が、図書館の階段側壁にポツンと、ポスターとはいえないモノクロペラ1枚の紙で貼られていました。階段の真正面には、静岡市アートギャラリーで開催中の『宮沢賢治展』のポスターが堂々と飾られています。

 

 宮沢賢治といえば、『朝鮮通信使』の主演・朗読の林隆三さんがライフワークとして全国朗読公演されているテーマ。静岡市の職員の中に、朝鮮通信使と宮沢賢治を林隆三でつなげる発想を持つ人がいたら、市税を投じた2つの事業を有効に盛り上げることができただろうに…と思いました。

 それよりなにより、すぐ上のフロアで心血注いで作った『朝鮮通信使』が大事に扱われていないという現実が悲しかった。・・・いやいや、モノクロペラ1枚でも、貼ってあるだけありがたいと思わなければいけませんね。