私が尊敬するベテラン広告プランナーの『猫爺』さんから、「『杯が乾くまで』を毎日楽しみにしているので、更新がない日は寂しい」というおたよりをいただきました。尊敬する人からこんなふうに言われるなんて、本当に感激。「みなさんに読んでいただくのに恥ずかしくないのものを書こうと心がけています。毎回文章修業です」とメールでお返事しました。
今日は、カメラマンの成岡正之さんと、『吟醸王国しずおか』の新しいロケ先を2軒訪問しました。午前中は杉錦の醸造元・杉井酒造(藤枝市小石川町)のみりん造りの撮影、午後は初亀醸造(岡部町)のロケハン。磯自慢(焼津市)、喜久酔(藤枝市上青島)とあわせると、今のところロケ先は志太地域の4蔵です。別にこちらがこの地域に限定しているわけではなく、たまたま現時点で、映画製作に支援の手を差し伸べてくれたのがこの4蔵だったから。それだけ志太地域の蔵元の意識が高いということだと思います。
杉井さんで打ち合わせをしていたとき、事務所の情報閲覧ボックスに、私が10年前に、静岡アウトドアガイドという雑誌に書いた『静岡の地酒を楽しむ』の記事コピーがありました。10年前の記事をいまだにこうして飾ってくれるなんて、ライター冥利につきること。
先日、東京有楽町イトシアの丸井地下1階のヴィノスやまざきに行ったときは、日本酒コーナーに、私が作ったやまざきの静岡新聞全面広告(93年3月1日朝刊掲載)の手描きコピーが飾られていました。15年も前の広告コピーを、一番新しい店に掲げてくれるなんて、これまたライター冥利につきる話。全面広告ながら手描きの筆文字を思い切って生かしたデザインで、広告大賞奨励賞をいただいた記念すべき作品でした。
10~15年前というのは、酒の取材を始めて5~10年経った頃で、ライターとして一番脂が乗っていた時期だったと思います。そういうときに、静岡アウトドアガイドを創刊したフィールドノート(現・しずおかオンライン)の海野尚史社長や、ヴィノスやまざきの山崎巽社長(当時)に〈書く場〉を与えてもらえたことは、本当に幸せなことでした。毎日新聞静岡支局の網谷利一郎支局長(当時)には1年間、週1回の連載「しずおか酒と人」を書かせてもらい、要点をコンパクトに伝える新聞記事の書き方を指南されるなど、自分の筆力を大いに伸ばしていただきました。
それを思うと、今の若いライターさんたちは気の毒な気がします。雑誌やタウン誌からは、じっくり読ませるコーナーが減り、ライターが筆力を発揮できる場が極端に減りました。ブログが普及し、国民誰もが自分で書いたものを自由に発信できる時代。職業ライターがどこにアイデンティティを置くべきか・・・若いとき、そんなことを考えずに思い切った執筆活動ができた自分は、運がよかったとつくづく思います。と同時に、今の若いライターさんたちに何をしてあげられるのか、自分の世代がちゃんと考えなければならないとも感じます。
とりあえず、今は、職業ライターが書くブログは、それなりに読ませるものでありたいというメッセージを、ここから発信できれば、と思っています。
今日は、10年前の拙文で恐縮ですが、記事を大切にしてくれる杉井さんに感謝の気持ちも込めて、『静岡の地酒を楽しむ12~杉錦』を再掲させていただきます。
『静岡の地酒を楽しむ12~杉錦
地道に造り丁寧に売る、地酒の王道を行く志太美酒銘醸 取材・文 鈴木真弓』
フィールドノート社刊・静岡アウトドアガイド18号(1997年12月17日発行)より
私が主宰している「しずおか地酒研究会」で、97年5月、“志太美酒物語の語り部たち”という勉強会を開いた。志太地区の酒蔵9銘柄をテーマに、各蔵の熱烈なファンにその魅力を語ってもらうという趣向。その中で、杉錦について述べた神奈川県の酒販店主の言葉が印象的だった。
「杉錦は磯自慢や喜久酔ほど洗練されていない、どっちかといえば田舎っぽい酒。でも最初に飲んだとき、なんてやさしい酒だろうと思った。社長に会ったら、この社長の人の善さが酒の味になっているんだなあと実感した」。
そのひと月前の4月中旬、静岡市の浮月楼で開かれた『静岡花見の会』で地酒を紹介したとき、おそらく今まで地酒をこだわって飲んだことのない女性たちから最も評判が高かったのが杉錦だった。「一番飲みやすい。やさしい味がする」と。
私もこれら意見と同感である。地酒らしい、地味だけど実のあるやさしい酒。ちょうどこの原稿を起草しているとき、サッカー日本代表のW杯出場が決まり、はたと思った。そうだ、杉錦って岡田監督みたいな酒だ・・・。
杉錦は県内の地酒の中でも、地元消費率の高い酒だと言われている。藤枝の知人の多くも、地酒といえば真っ先に挙げる銘柄だ。社長の杉井均乃介さんは「代々桶売りに頼らず、地元で売る努力をしてきましたからね。二級酒と言われ続けながらも地元では安定していました」と振り返る。
創業は天保12年(1842)。高州村と呼ばれた現在の藤枝市小石川で、豪農杉井本家から分家した杉井才助が酒造りを始めた。酒銘は明治中頃まで「亀川」、大正時代までは「杉正宗」、昭和初期になって現在の「杉錦」に落ち着く。
戦前から全国鑑評会で金賞を取るなど酒質の向上に努め、戦時中の企業統合の時代も造りをやめず、金魚が泳げるくらい薄い“金魚酒”が出回った戦後の混乱期も、酒質を落とすことなく地道に造り続けてきた。
杜氏は昭和初期まで地元の志太杜氏が務め、一時、長野県からやってきて、昭和30年代以降は南部杜氏(岩手県)が務めている。現在の杜氏・佐々木清さんは10年目。それまで栃木県の蔵の麹屋だった。繊細な突き破精麹を造る名人として評判で、杉錦には晴れて杜氏として招かれた。
静岡県の酒蔵を見回すと、本当に腕のいい杜氏さんが多いと実感する。以前、他県の蔵に勤める南部杜氏に、「最近の酒造りは酵母の酒類が増えて大変ですね」と話したところ、その杜氏は半ば羨望のまなざしで「静岡の蔵に勤める杜氏なら、どんな難しい条件でも造ってのけるだろう」と答えた。佐々木さんのように静岡に来て杜氏になり、腕が開花したという人も少なくない。それだけ静岡県の酒造りのレベルが高いということだろう。
優秀な杜氏が集まる第一の要因は、静岡の蔵の酒質向上にかける姿勢にある。杉井酒造では佐々木さんの前任の南部杜氏が20数年勤めていた。杜氏が長く勤める蔵は「蔵人を大切にする蔵、蔵元と杜氏の意思疎通がしっかりできている蔵」と評価され、南部杜氏組合でも優秀な人材を率先して紹介する。蔵のそんな功績もあって、静岡の、杉井酒造の酒は安定した酒質を保ち、地元に供給されているのだと思う。
当主の杉井均乃介さんは、大学卒業後、1年間、東京滝野川にある国税庁醸造試験所で研修を受け、実家に戻った。地元に顧客の多い杉井酒造では、きめ細かな営業サービスがモットー。杉井さんに客通いに明け暮れた。仕込みに時期には未明から佐々木さんの麹作りを勉強しがてら手伝い、8時からは営業事務。「造りは杜氏にまかせきりではなく、自分がお客様のところへ持っていく酒がどのように造られるのか、きちんと知っておきたかった。蔵元が自分の蔵の造りを知らないでは話になりませんから」。
94年に当主になり、以前にも増して多忙な日々を送る杉井さん。最近、お客回りをして痛感するのは、やはり以前のバブリーな時代に比べて高額商品が売れなくなったこと。「1升瓶で2500円前後のクラスでいかに高いレベルの酒が造れるかだと思います」。
最近のトレンドは、味のある純米吟醸、香りがあって飲みやすい特別本醸造。両方とも杉錦の特徴に合っており、杉井さんも営業に熱が入る。「酒造や酒販を取り巻く環境は厳しいといわれますが、値ごろ感があってきちんとした酒を造れば、販売力のある店がきちんと売ってくれる。蔵も店もまさに実力の時代ですね…」。
全国の杜氏がレベルの高さを認める静岡型の酒造り。しかし杉井さんや佐々木さんが意識しないところで杉錦独自の味が出てくる。「河村傳兵衛先生が言うとおりに造っても、不思議とサラサラとした静岡型ではなく、味のしっかりしたタイプになる。これは水の違いではないかと思うんです」。
一口に、静岡県の水は軟水だといわれるが、地域によって水の硬度が違う。同じ大井川の伏流水を使用する志太地域の蔵でも、微妙な差があるという。「うちの水は少し硬度が高い。だから静岡の中では味のあるタイプになるんでしょう。私自身、こういうタイプが好きなので、自然とこれが杉錦の味になってしまったのかもしれません」と杉井さん。生まれてこのかた、この家の、この水で育ったのだから至極当然だ。
酒造りに良質な酒米や優秀な杜氏が必要なのは言うまでもないが、その蔵の水で育ち、味覚を形成してきた蔵元の判断力…つまり硬質の水で育った杉井さんが、味のある酒が好きになり、そういう酒を造りたいと思い描いた姿が、杉錦になるのだ。
昨年のこと。県内のAという蔵で杜氏が交替した。前任杜氏は他県のBという蔵に移った。それまでAの酒を扱っていた酒販店主が、Bに押しかけたという。飲み手から見たら妙な話だ。杜氏が替わるたびに酒の味が変わるなんて、本来、地酒にはありえない。地酒の味は、その土地の味であり、蔵元が責任を持って築くものだ。
冒頭の「社長の人柄が杉錦の味だと思う」といった酒販店主に意見に戻る。私も、蔵と、蔵元の人となりを見聞きして選ぶ飲み手でありたいと思う。蔵の味を守り、価格の厳しい制約の中で精一杯いい酒を造ろうという杉井さん。岡田監督のように華開くときが来るに違いない。(了)
杉錦は、杉井均乃介さん自らが杜氏になって、今年で8造り目になります。山廃仕込みや生酛造りなど一昔前の伝統的な造りにこだわり、杉井さん自身が大好きな味わい深い酒にますます磨きがかかっています。