人生、50年近く生きてくると、お祝い事よりもお悔み事に接する機会が増えてきます。私は10代のころミッションスクールに通いながらも、仏像や仏教の本に興味を持って、大学では東洋美術や仏教伝来史を学びました。40代になってふたたび禅の本を紐解くようになり、実際に座禅にも通うようになり、死生観を持つ訓練をしている、と自覚もしています。
・・・そうはいっても、観念上の訓練は空論にすぎません。実際に近しい人の死に接すると、自分でも驚くほど気力が萎え、意味もなく(…いや意味はあるんでしょうけど)泣けてきます。
このブログでも何人かの近しい方の訃報をお伝えしてきましたが、今回も辛いお知らせです。
先週末、お2人の訃報が届きました。お一人は、敬愛する利き酒師・日本酒学師の萩原和子さんのご主人總三さん。76歳で今なお酒売り場に立つお元気な萩原さんを、陰ながら支え、82歳でお亡くなりになりました。突然死でした。
直前までお元気だったそうで、萩原さんもさぞかし驚かれたと思いますが、昨夜の通夜では、「私に一切世話をかけることなく、存分に働く時間を与え、旅立ってくれた、見事なお父さんです」と気丈に語っておられました。一緒に参列した地酒研メンバーが思わず、「失礼な言い方になるかもしれませんが、理想の最期ですね」と。總三さんとは一度お会いしたことがあり、お電話ではちょくちょくお話もさせていただいたことがあります。萩原さんが半世紀以上も販売員としてキャリアを重ねてこられたのは、こういう懐の深いパートナーのおかげなんだなぁと羨ましく感じていました。
『吟醸王国しずおか』映像製作委員会で、萩原さんが個人でポンと大吟醸会員になってくださったのも、ご主人のご理解の賜物だと感謝しています。
萩原さんは、しばらくお休みされた後、職場復帰されると思いますので、はぎさんファンの方、職場(篠田酒店ドリームプラザ店)でぜひ慰労してさしあげてください。
もうお一人は、静岡県の大吟醸を客に初めて呑ませた伝説の鮨職人こと、『竹島』の竹島義高さん(69歳)です。
竹島さんの功績については、過去の記事(09年3月4日)(09年3月20日)をご覧いただくとして、竹島さんの長い闘病生活の間、『吟醸王国しずおか』の撮影にご協力いただき、その後は力を合わせて『竹島』の暖簾を守り続けてきたご家族のみなさまに、まずはお悔やみと、心からの感謝を伝えたいと思います。
染色画家の松井妙子先生から、「竹島さんがかなりお悪いようだけど、映画の完成を心待ちにされているみたい」とうかがったのは今年1月半ば。すぐにお店にうかがって、お見舞いはむずかしいが映像を見てもらうことはできそうだとわかり、カメラマンの成岡正之さんに無理をお願いして、竹島さんで撮影したシーンだけを取り出してDVDにダビングしてもらい、お届けしました。
今月に入って、ふたたび松井先生から「映像はご本人も見たようだけど、こん睡状態で反応がないらしい」と連絡をいただき、不安な日々を送っていましたが、2月13日にとうとう逝ってしまわれました。
息子さんから一報をいただいた時は、不覚にも電話口で泣いてしまいましたが、冷静になってみたら、『吟醸王国しずおか』は、07年6月の酒米研究家永谷正治先生の死が直接の“着火”となり、08年8月に能登へ波瀬正吉さん(開運杜氏・09年7月逝去)を撮りに行き、直後に作ったパイロット版で故・栗田覚一郎さん(元静岡県酒造組合専務理事)ほか亡き功労者の写真を編集し、09年3月に竹島さんを撮影・・・。つねに先人の死と隣り合ってきたわけです。
このことの意味と、この映像プロジェクトの役割を理解してくれる人は、多くはないと思いますが、竹島さんの死は、自分が、先人たちと、後継者たちをつなぐポジションにいることを、痛いほど思い知らせてくれました。萩原總三さんの死も、間接的にこの映像プロジェクトを支える多くの力があるのだと、改めて知らしめてくれました。
竹島義高さんの遷霊祭(通夜)は2月18日(木)18時から。告別式は2月19日(金)10時30分から。場所は静岡市駿河区のあいネットホール新川です。本日(16日)付けの静岡新聞朝刊訃報欄もご参照ください。