東大寺法華堂(三月堂) (つづき)
法華堂には、東大寺の創建に由来する秘仏もある。毎年十二月十六日(良弁忌)の一日だけ公開される執金剛神立像で、ふだんは不空羂索観音像の背後に置かれた厨子に納まっている。金剛杵を持つその姿は仏教の守護神にふさわしく、荒々しさと威厳に満ちあふれ、筋肉や血管の写実描写も生々しい。秘仏であったため、鮮やかな色彩もよく残っている。造られたのは天平期で、戒壇院の増長天立像とよく似ており、同じ工房で造られたのではともいわれる。
秘仏にふさわしい逸話が残っている。この像は東大寺が建立される前、この地にあった金鐘山寺で修行していた良弁僧正の念持仏で、あるとき像の足から光が放たれ、聖武天皇の宮殿まで届いたことから、天皇は良弁に帰依するようになった。良弁はのちに東大寺初代別当となる。
さらに二百年ほど後に起きた平将門の乱では、像の元結から蜂が飛び出して賊軍をおびやかし、乱を治めたという。厨子の柱に、蜂の彫り物が施された灯籠があるのは、この伝説に基づいたものだ。
何より“特別”なのは、この像だけが北(二月堂側)を向いていること。北方に位置する天皇のお住まいをお守りするためと伝えられるが、唯一人、北方から攻めてくる敵から本尊と諸仏を守るような体勢にも見える。背丈は一七〇センチと人間の大人とほぼ同じ。良弁にとっては、同じ眼の高さで寄り添ってくれるボディガードのような存在だったのかもしれない。
開扉日は秘仏との対面を待ちわびた信者や仏像ファンで大いに賑わう。
太平洋戦争末期の昭和二十年四月二十日。米軍の空襲から文化財を保護するため、国の命で大仏殿袖廻廊と二月堂登廊が解体された。法華堂も解体が決まり、七月十三日に揆遣(ばっけん)法要が行われ、まず乾漆像の四天王のうち二体が円成寺に、残り二体と木造の地蔵菩薩・不動明王が正暦寺に疎開した。
塑像で造られた日光・月光像は移動に耐えうるかどうか懸念されたが、解体に向けて屋根瓦をはがす作業も始まったため、両菩薩を箱に収め、運び出す直前の八月九日、朝日新聞の記者から「まもなく終戦」との極秘情報がもたらされた。
清水公俊管長が県知事に解体作業を一週間延期したいと申し出た際、理由を問われ、やむなく事情を打ち明けたところ、知事は「憲兵隊にバレたら役人も僧侶も皆やられる」と青くなったという。しかしこの命がけの決断によって法華堂解体は寸前でまぬがれた。当時の様子は筒井寛秀長老の近著『誰も知らない東大寺』に詳しく紹介されている。
疎開していた四天王像が戻ってきた十一月十七日、偶然その場に居合わせたのが入江泰吉氏だ。
ふと二月堂裏参道のあたりに目をやると、こちらに向ってくる異様な行列がある。青い詰襟服をまとった一団がいくつかの担架をかついでくるのだが、近づいてきた一行の顔には生気がなく、疲れきった足どりだった。
担架の数は四つで、それぞれに積まれているのは白布にくるまれた人間のように見えた。私はそれを目にして、一瞬息をのんだ。が、さらに目をこらしてよく見ると、四つとも人間の姿ではあったが、それよりはるかに大きく、やっと、仏像だとわかった。(中略)はるばる担いできた人夫たちは、囚人だったのである。私は、うす暗い礼堂の床に白布にくるまったまま寝かされた四体の像を目にして、複雑な気持ちに引き込まれ、心のなかで合掌した。(大和路のこころ)
入江氏はそのとき、アメリカが戦争の賠償として接収するという噂を耳にして愕然とし、これらを写真に記録しておかなければと思い立った。結局噂はデマだったのだが、のちの氏の功績を思うと、法華堂のみほとけのお導きだったのかもしれない。
法華堂を訪れるたび、国の至宝である彫像を、天平の香りを残す御堂で、自由に拝観できる幸せを思う。しかも内部には畳一枚幅の腰掛も用意され、みほとけとじっくり対面できる。
早朝の法華堂で、人が少ないのをいいことに、足を投げ出して転寝をすることもある。静謐な御堂に響くのは、裏山の龍神の滝の水音だけ。行儀が悪いと叱られそうだが、これほどぜいたくな癒しの空間がほかにあるだろうか。(文・鈴木真弓 『あかい奈良34号 2006年冬より』)
東大寺法華堂(三月堂)
住所 奈良市雑司町406―1
電話 0742―22―5511
交通 近鉄奈良駅よりバス「大仏殿春日大社前」下車(所要時間約10分)、南大門より徒歩約10分
拝観時間 4~9月/7時30分~17時30分、10月/7時30分~17時、11月~2月/8時~16時30分、3月/8時~17時
拝観料 大人500円
執金剛神立像の開扉日/12月16日
9時30分~16時
(参考文献)
東大寺法華堂の研究(近畿日本鉄道編纂室・編/吉川弘文館)
大和古寺風物誌(亀井勝一郎・著/新潮文庫)
大和路のこころ(入江泰吉・著/講談社文庫)
東大寺(東大寺・編/学生社)
新・日本仏像一〇〇編(町田甲一・入江泰吉・編/秋田書店)
大仏開眼1250年東大寺のすべて(奈良国立博物館・東大寺・朝日新聞社・編/朝日新聞社)
仏教発見!(西山厚・著/講談社現代新書)
誰も知らない東大寺(筒井寛秀・著/小学館)