私が携帯する文庫本の一冊に、道元禅師の『典座教訓』があります。
ご存知の通り、典座(てんぞ)というのは禅寺の修行僧の食事係のこと。『典座教訓』は、料理を作ること、ただその中に人格完成の道を見出す名著で、1237年、道元38歳のとき著しました。
私は20代のころ、かなり禅にかぶれて、いきなり『正法眼蔵』の訳書に挑んだのですが、あまりの難解さに頓挫し、代わりに救いを求めたのがこの書でした。今でも紐解いて読み返すことがありますが、昨年、角川ソフィア文庫のビギナーズ日本の思想シリーズから、(ページ数が少なく)読みやすい解説書が出たので、取材カバンに携帯するようになりました。
典座の仕事を、
『一日いかにして、その食材を生かしきるか、皆がいかに満足してくれるか、心をその一点に込め、ただただひたすらに、煮たり炊いたりするだけだ。忘己利他、我をなきものにして、人々に心豊かになってもらう。この専一道心のみである』
と解説した部分は、酒蔵を取材するときに目の当たりにする杜氏や蔵人の姿と重なり、修行僧にも見える彼らの一挙手一投足に感動させられます。
『吟醸王国しずおか』を撮り始めてからは、映像として美しいと感じる酒蔵とは、修行道場のように清潔で、規律がはかられ、典座のように真摯に作業する人々が映っている、と改めて実感しています。この実感は、私だけでなく、実際にカメラを回す成岡さんが図らずも「修行僧みたいだ・・・」とつぶやいたことでも証明できます。
『典座教訓』の教えは、この映画でどの蔵をどれだけ撮るかを決める上で、大きな指針になっているといえます。
今日(23日)、吟醸王国しずおかオフィシャルサイトにアップロードされた私の連載コーナー『読んで酔う静岡酒』その4では、1995年に開催した静岡市立南部図書館食文化講座のレジメを紹介しています。レジメでは、それまで5~6年かけて県内の酒蔵を取材して見聞きした静岡吟醸の製法のポイントを、専門書の助けを借りて解説しました。
今の静岡吟醸の造り方とは多少のズレがあるかと思いますが、「米をよく洗う」「搾った後の酒袋をよく洗う」というポイントは、波瀬杜氏や多田杜氏や河村先生はじめ、私が教えを乞うた“修行道場の典座”のような匠たちから、再三強調された、永遠の教えだと思います。
典座教訓にもこういう記述があります。
『食を造るの時、すべからく親しく自ら照顧すべく、自然に精潔ならん・・・お米をとぐとき、全体をしっかりと冷静に点検して、小さな石や砂、ごみを取り除いていけば、雪のように純白米となる』。
このあと、とぎ水もけっして無駄にせず、畑の野菜や木の幹に撒くように、と教えている。米と砂は区別しなければならないが、米が「正」で砂が「邪」ではないというのが禅の教えのようです。
きれいに精米された米を、潤沢な湧水で洗う酒蔵では、とぎ水を大事にするなんて発想は、今は無用なのかもしれませんが、いつか再点検する時代が来るかもしれませんね。
浅学非才の身のほど知らずで解説者ぶって書いた「レジメ」も、今読み返してみると、『典座教訓』の前では赤子同然だ、と自嘲してしまいます。それでも、静岡吟醸の匠たちの修行に通じる精神だけは、その行動と実践から汲みとっていただけたら、と願ってやみません。