25日(木)は、前夜、高速夜行バスに乗って京都へ。久しぶりの早朝着で、いつものように、近鉄の始発便に乗り換えて奈良へ。近鉄奈良駅近くのマックでコーヒーを飲み、トイレを済ませ、久しぶりの東大寺法華堂参拝です。
朝7時、真冬に逆戻りしたような寒さと雨で、開きかけた桜も凍えるように身 を硬くしているようです。でも、東大寺の手前にある氷室神社の境内では、白木蓮としだれ桜が可憐な競演を魅せてくれました。
早朝の東大寺境内は、いつもなら、犬の散歩や掃除をする地元の人をチラホラ見かけるぐらいで、あの広大な伽藍を独り占めしたような爽快な気分になるのですが、この日は悪天にもかかわらず、早くも観光客の姿が。氷室神社で花の写真を撮っていたら、「big buddha where?」と英語で話しかけられたりしました。やっぱり世間は春休みの観光シーズンなんですね。
ほとんどの人が大仏殿の入口へ向かうところ、私は柵越しに写真を1枚撮っただけで、そのまま二月堂・法華堂方面へ。
雨の境内は、しっとり濡れた石段が、また格別の情緒を醸し出しています。二月堂・法華堂に至る「ねこ坂」や、切通しの石段は、あと数日経てば桜の花びらに彩られ、それはそれは、絵画のような美しい姿を魅せてくれるでしょう。こういう坂道をのんびり歩くのも、二月堂・法華堂に行く楽しみの一
つです。
東大寺法華堂は、先のブログでも紹介したとおり、今年5月から工事に入り、堂内が現状態で観られるのもあとひと月余りです。そのニュースを知った時、いてもたってもいられず、 残り1カ月で何回観にいけるだろうと焦ったものでした。
8時開扉の法華堂に着いたら、一番乗りのつもりが、間髪の差で二番乗り。愛してやまないみ仏たちを独占できないもどかしさを感じつつも、正面の不空羂索観音と両脇の日光月光菩薩に対峙すると、いつにもまして、感動の波が打ち寄せてきます。
月光菩薩は、その時々で怖くも見え、優しくも見え、私にとっては、自分の心の状態を映し出すまさに月の光のような存在です。この日は最初に真正面でお会いした時、「怒られてる…」と直感し、萎縮してしまったのですが、お堂の一番隅に腰掛けて、小一時間、黙して過ごしているうちに、月光さまの横顔がだんだんお優しくなってきました。と同時に、「この天平の御堂で、不空羂索さまの横で、こんなふうに怒ったり癒したりしてくれなくなるんだ…」と思うと無性に哀しくなりました。
東大寺を後にし、近鉄奈良駅からバスに乗って大安寺へ。癌封じのご利益 で有名なお寺で、1月と6月の大祭では笹酒がふるまわれます。
しずおか地酒研究会の設立当時からお世話になっているKさんが、数年前に癌を患い、地酒研に参加できなくなったとき、愛読する奈良の文化情報誌『あかい奈良』でこの寺のことを知り、Kさんの祈祷に行ったのが最初でした。
闘病を続けながらも、大きな組織の女性管理職として懸命に仕事を続けていたKさんが、この3月、とうとう退職することになり、どんな慰労の言葉をおかけしたらいいのかを考えたら、大安寺に行くことしか思いつかず…。数年前の最初のご祈祷のときは何人かの方と一緒でしたが、今回は、私ひとりで、みっちり時間をかけてご祈祷していただきました。
「・・・Kさんのために私はここまで尽くしたって、しょせん、自己満足だよな」と、どこかで自嘲しながらも、ご祈祷の後、一杯の笹酒をいただいたときは、「医者でもない、家族でもない、親しい友人でも職場の後輩でもない、単なる酒飲みつながりの私には、これくらいがちょうどいいのかも」と勝手に満足してしまいました・・・。
昼前に京都へ戻り、この日一番の目的である佛教大学四条センター社会人講座『シルクロード新疆の文化財~キジル千仏洞壁画の魅力』を受講しました。当初は壁画研究家である安藤佳香教授が講義される予定でしたが、教授急病のため、佛教大学講師で僧侶の小島康誉氏が代役を務めました。
小島さんは20年以上前から、キジル千仏洞の修復保全活動に尽力する“国際貢献実践家”。学術研究家の話もさることながら、小島さんのように実際に募金を集め、現場で汗を流し、努力をしている方のお話は、具体的で人間味あふれ、とても楽しい90分でした。
小島さんたちの地道な貢献活動が奏功し、現在は中国政府も世界文化遺産登録を目指して本腰で保護に取り組んでいる新疆の仏教壁画遺産。・・・私が大学の卒論でキジルのことを書いた26年前というのは、小島さんたち篤志家がちょうど、この地域の調査と保護活動を始めた頃だったんですね。
社会に出てからすっかりキジルから離れてしまった自分の20数年に比べ、小島さんの20数年は、キジルというかけがえのない仏教遺産のため、確かな貢献を重ねてこられたわけで、「自分が死んだら骨はタクラマカン砂漠に埋めてもらう」と明言する小島さんの表情を見ていたら、途方もなく羨ましく感じました。…私も学生時代、もっと真面目に勉強し、キジルの研究を続けていたら、間違いなくこっちの道に進み、「砂漠の中で眠るように死ねたら本望だ」と思ったはず。
偶然にも拝聴できた小島さんの講義は、「こんなふうに死ねたら本望」という死に方を、堂々と語れる生き方をしたい、と改めて思わせてくれる濃密な時間でした。
夕方から京都市内で映画を2本はしごして、日帰り入浴施設で冷えた体を温め、京都駅23時55分発の夜行バスでとんぼ返り。桜の見ごろなのにお花見なしの、寒くて地味~な古都巡りでした。