杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

グランシップ文楽公演鑑賞

2011-10-19 15:02:36 | アート・文化

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 10月17日(月)はグランシップで開催された文楽公演を鑑賞しました。文楽は東京と大阪の国立劇場に観に行きますが、静岡で観るのは初めてです。

 なんとな~く、グランシップって伝統芸能の公演会場としてどうなのかなあと思っていたんですが、前から3列目の非常に見やすい席をゲットできて、人形遣いの技を間近に堪能できました!

 

 

 演目は2つあり、最初の『双蝶々曲輪日記・八幡里引窓の弾』は、大阪の相撲取りの長五郎が恩ある人を助けるために殺人を犯し、逃亡し、中秋の名月の夜、産みの母の再婚先の八幡の家にやってきます。年老いた母に心配させまいと事件のことは内緒にしていた長五郎ですが、ちょうど不在だった老母の継子・十次兵衛は、亡父を継いで代官職に就いたばかり。初仕事がおたずね者・長五郎の捕縛でした。

 

 事情を知り、実子・長五郎をなんとか助けたいという老母。育ての母の思いを知って初手柄をあきらめて、長五郎を逃がそうとする十次兵衛。継子の思いやりに胸を打たれ、長五郎を引窓の縄で縛る老母と、その思いを受け止めて捕縛される長五郎。窓が開いて明るい月光が射し込んだとき、十次兵衛は、「夜が明ければ自分の役目は終わるから」と、深夜にもかからわず長五郎を逃がす・・・という義理人情の物語です。

 

 

 実際に大阪で相撲取りが侍を殺した事件が題材になっていて、“双蝶々”とは、主人公長五郎と、彼と兄弟盃を交わした草相撲力士・長吉のこと。2人の交流は、今回のお話の前段で語られているようで、大阪の勧進相撲の大関を務めた長五郎と、草相撲の長吉のプロアマ対戦は当時の相撲ファンにとっても垂涎のビッグマッチだったそうです。格式を重んじる江戸の相撲ではありえない対戦だそうですが、大阪では相撲番付に草相撲の力士まで載せていたようで、江戸と大阪の文化の違いって、そんなところにも表れているんですね・・・。

 『引窓の段』で、長五郎が侠客のようなキャラクターで登場し、当時の人々の義理人情の描かれ方をみると、今も昔も、日本人の娯楽に対する感性って変わらないんだなあと実感します・・・。

 

 

 2つめの演目は『新版歌祭文・野崎村の段』。野崎村の久作は、侍から預かった養子・久松と、後妻の連れ子お光を夫婦にさせることが長年の夢で、久松が奉公先の大阪の油屋から戻ってきたタイミングを見計らい、祝言を挙げることに。重病の母を介護し、継父久作にも孝行を尽くす働き者のお光は、慕い続けてきた久松といきなり祝言を挙げることになって大喜びしますが、大阪からは、久松と深い仲になっていた油屋の娘・お染が追いかけてきたのです。

 

 久松とお染は心中を覚悟していたのですが、久作が必死になだめ、懐柔させ、2人は互いの非を悟って別れを決意します。ところが、心中を覚悟していた2人の深い絆を察したお光は、身を引く覚悟をし、剃髪し、出家すると宣言。花嫁衣装の綿帽子を取ると、髪を下ろした姿になっていました。大阪からはお染の母が駆けつけて、お染を船で、久松を駕籠に乗せ、別々に帰すのでした。

 

 

 私はこの演目は過去に大阪で鑑賞したことがあり、そのときは、後の段もあって、お染が実は妊娠していたことや、野崎村を別々に去った2人が、お光に犠牲を強いて自分たちだけが幸せにはなれないと思い詰め、結局は心中するという哀しい結末でした。

 

 

 今回のグランシップ公演では、お光が、お染に再三嫌がらせをしたり、ラストシーンで、お染が乗った船の船頭がひょうきんな仕草をして笑いを誘うなど、悲恋物語のイメージとはちょっと違うような・・・。終演後は「あれがラストなんてねえ・・・」と苦笑する人もいました。私は私で、演者によって演出をアレンジすることもあるんだなあと感心しました。

若干、違和感は残ったものの、とにかく現在、演目として残っている物語は、どれも本当にストーリーが素晴らしく、一人で語り部&登場人物すべてを演じる太夫の迫力といい、人形遣いのしなやかな動きといい、舞台上にいるのは「人形」なんだけど、生身の人間のチカラや熱をまざまざと感じます。

 

 

 太夫や人形遣いのみなさんのお名前や顔を覚えられるぐらい“ツウ”になれたら・・・ですが、まだまだ遠~い話。ちょっとずつでも鑑賞の機会を増やしていきたいと思います。