杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

和歌山海南・中野BCと鈴木姓発祥の地訪問

2011-11-22 11:34:27 | ニュービジネス協議会

 今日も少し遅めの報告です。11月10~11日と日本ニュービジネス協議会連合会の全国フォーラムで大阪に出張しました。11日はアテンドしてくれた関西ニュービジネス協議会のオプショナルツアーで、和歌山県海南市の中野BC株式会社を訪問しました。

 

 

 

 ツアー企画は、他に、大阪(オペラパーク&海遊館見学)、京都(薫香会社で匂い袋づくり体験)、兵庫(最先端テクノパーク見学)、滋賀(琵琶湖周辺のベンチャー企業訪問)、奈良(三輪そうめん作り&大神神社見学)があり、どれも魅力的で迷ったんですが、和歌山をチョイスしたのは、中野BCが日本酒『紀伊国屋文左衛門』『長久』の蔵元で、かつ特産の梅を活用した機能性食品&ドリンク&化粧品等の開発で、伝統の醸造業から、新進気鋭のBC(Biochemical Creation)企業に見事に転換したから。

 

 さらに、海南市は『鈴木』姓の発祥の地で、熊野古道のスポットの一つ・藤白神社の近くにある元祖鈴木邸を一度は観ておきたかったため。当日はあいにくのお天気で、ツアー参加者は私と、大阪のウェブコンサルタント会社の社長さんの2人だけでしたが、かえって懇切丁寧に案内していただき、大変充実した視察でした。

 

 

 

 

 

 

 海南市って聞いても、静岡人の私にはパッと位置がわからなかったけど、大阪駅からJRきのくに線(紀州本線)の快速で約2時間、和歌山市よりもさらに南で、ローカル線にちんたら乗るのが好きな私にとっては飽きない2時間でした。

 

 

 海南駅に中野BCの部長さんが迎えに来てくれて、車で数分の中野BCに到着。さっそく社長の中野幸生さん(左)にお話をうかがいました。中野BCって酒造会社っぽくない社名だなあとImgp5200思ってましたが、中野幸生社長にいろいろうかがって、“BC(Biochemical Creation)”という言葉へのこだわりがよく解りました。

 

 

 

 

 

 

 同社はもともと昭和7年、中野社長のお父様・中野利生氏が20歳で独立し、醤油造りからスタート。利生氏はもともと独学で醤油製法を身につけ、大豆蒸熟法という独自の醸造技術を開発したアイディアマンだったんですね。紀州はご存知の通り、湯浅とか御坊が醤油造りのメッカで、海南にも62軒ぐらい造り醤油屋があったそうです。

 

 

 戦中戦後、原料の大豆が入手困難になり、昭和24年、利生氏は焼酎造りに転換します。藤白神社にちなんだ焼酎『富士白』は、醸造の匠・利生氏の手腕によって品質のよさが評判を呼び、発売開始3年目で県下最大規模の生産量に。昭和29年には果実酒免許を取得、昭和33年には市内酒造会社から醸造免許を譲渡してもらい、日本酒造りも本格スタートします。主力銘柄は『長久』『紀伊国屋文左衛門』です。

 

 

 日本酒造りでは半年間、工場が空いてしまうので、地元JAからみかんジュースの加工・充填作業を請け負い、さまざまな飲料を手掛けるように。

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 みりん、梅酒、ワイン、機能性食品、ヘルスケア製品とさまざまな分野に進出し、現在は主力商品の梅エキスはテレビショッピング等の通販市場で5・5億円を売り上げるなど、醸造会社の範疇を超えた躍進ぶりです。

 

 

 

 敷地内にある迎賓館みたいなお座敷には、血流チェックするコーナーがあったり、ビックリするようなスゴイ日本庭園が。『長久邸庭園』として観光パンフレットにも載っています。

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 ここで梅エキスの効能を解説するセミナーや試飲会なんかも開かれるんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「社長も理系ですか?」とうかがったら、「自分は文系。だからこそ、この手の製品の良さをアピールするには、エビデンス(科学的実証)が何より大事だということを実感している」と明快なお答え。大豆、米、地元の特産である梅やみかん・・・「日本人が長く食べてきたからには、何か理由があるはず」と早くから着目し、大学や外部研究機関と連携して基礎研究にしっかり取り組み、農産物の“高度利用”に取り組んできました。

 

 

 

 中野社長は、会社の屋台骨を支えるのが1本だけでは、これからの企業はやっていけないと考え、事業の多角化を取り組み、一方で家業を継いだ時、社員には、“思想で経営させてくれ”とおっしゃったそうです。

 

 “思想”を持って経営するということは、誰にも共通できることですね。いただいた名刺には『手の届きそうな夢をもち、技術・研究・開発で、世界に通ずるニッチトップのモノづくりを目指す』という目標・思想がしっかり書いてありました。企業活動は、単に儲けじゃないってことですね。

 

 

 

 

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 社長と懇談した後、「スズキさんのような方ならぜひ」と仕込み中の酒蔵を、若き杜氏・河嶋雅基さんに案内していただきました。ほとんど自動化しているようなビッグファクトリーを想像していたら、洗米場には静岡の蔵でも見慣れた小型の機械が数台、蒸機や麹室の大きさもそこそこで、手作業の部分を大切にされていることが解りました。大きな酒蔵であればあるほど、「職人仕事を大切にしたい」という杜氏の思いは強いんだろうなと思いました・・・。

 

 

 

 

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 驚いたのは、見学をご一緒した大阪のウェブコンサル会社・㈱パワー・インタラクティブ岡本充智社長が、「僕は日本酒の中では静岡がイチバン好きなんですよ」とおっしゃったこと。リップサービスかなと思ったら、「日本酒はいつも(静岡・蒲原の)市川酒店から買っている。喜久醉が一番のお気に入り」というからビックリです。

 

 

 私、中野さんのお話を聴きながら、ぼんやりと、青島酒造さんとの違いをいろいろ考えていたんですね。醤油、焼酎、日本酒・・・いずれも農産物が原料ですから、経営拡大を目指すうえでは、どれか1本で、というのはリスクが大きいでしょう。そこで、いろんな分野に進出し、酒造業の看板も、あえて隠した。

 一方、青島さんは日本酒1本で、しかも商品アイテムを絞って品質向上に努めています。同じ文系出身の経営者でも、経営資源や経営環境によって180度変わるんだな・・・と。

 

 

 そんなふうに感じていた時、初めてお会いして、酒蔵見学をご一緒した大阪の社長さんから、「喜久醉が一番好き」と言われ、不思議な気分でした。

 

 

 

 

 

 

 

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 中野BC見学の後、熊野三山の遥拝所として知られ、悲劇のプリンス・有間皇子の墓のある藤白神社を訪ねました。熊野聖域への入口(熊野古道「紀伊路」の始点)なんですね、・・・時間があったら歩いてみたいところでしたが、神社をちょこっとお参りして、すぐそばの料理屋さんでお昼をいただき、隣接する「鈴木」姓のルーツ・鈴木屋敷を外から眺めました(中には入れないようです)。

 

 

 

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 観光資料によると、鈴木氏は熊野旧三家のひとつで、勝浦湾を拠点とした豪族。始祖は神武天皇東征軍が熊野に立ち寄った時、天皇から稲を献じて飼料に供したので、天皇から穂積姓を賜りました。穂積(稲わら)のことを紀州ではススキというので、鈴木氏を名乗るようになったとか。平安時代に藤白に移り住み、この地を拠点に全国に3300もの熊野神社を作って熊野信仰を広めたため、それに伴って鈴木という名字も全国区になったそうです。

 

 

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 ・・・鈴木という姓が、和歌山ゆかりで熊野神社に関係あるらしいことはなんとなく知っていましたが、改めてその“始点”に立つと感慨深いものがありますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 午後は一人で、漆器作りが有名だという黒江の町をブラブラ歩き。真っ先に『黒牛』醸造元の名手酒造店を訪ねたら、「女性にお勧めです」と梅酒や果実酒ばかり試飲させられました(苦笑)。この試飲コーナーはどちらかというと味応えじゃなくて、見応えがありますね!!

 

 

 

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 平日、しかも小雨まじりで、ブラブラ歩きをしているのはほとんど私一人・・・。ちょっと寂しかったけど、“のこぎりの歯”のようにギザギザ並んだ紀州連子格子の町並みは、本当に風情がありました。

 醸造文化が残る町は、それにともなった道具や器の伝統も残っていて、酒造りが一つの文化圏の核なんだと実感しました。

 

 

 静岡の蔵は、質の高い酒は造るけど、文化発信力がイマイチですね・・・。資料展示や文化活動ができる余裕のある大店が少ないからっていうのもあると思うけど、小さな蔵こそ、これからは情報発信力が大切になってくるでしょう。

 

 

 

 

 

 本当に、いろんな示唆を与えてもらった、有意義な和歌山視察でした。中野BCのみなさま、岡本さん、本当にありがとうございました。