杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

酒蔵の守護神

2008-04-20 12:48:23 | しずおか地酒研究会

 18日(金)午後、『吟醸王国しずおか』のロケハンで訪れた岡部町の初亀醸造では、社長の橋本謹嗣さん、カメラマンの成岡正之さんとじっくり話をしているうちに、日本酒造りを映像化する上で見逃してはならない大切な視点を改めて認識しました。

  それは、酒が、日本人の信仰心と深くつながっている、ということ。

 

  

  酒蔵の玄関の軒先に吊るされている杉の玉―酒林(さかばやし)をご覧になったことのある人も多いでしょう。秋に収穫された新米を酒に醸し、新酒が搾りあがる晩秋~初冬にかけて、“今年も無事、新酒が出来上がりました”のサインとして吊るすもの。杉の葉を束ねて刈り込む酒林づくりは、かつては杜氏や蔵人の仕事でしたが、今は、酒造道具屋さんで既製品の酒林、売っているんですね。

 

  しずおか地酒研究会でも、2004年の浜名湖花博で地酒テイスティングサロンを開催したとき、会員からカンパを募って道具屋さんから買いました。ちなみにその時買った3つの酒林は、1つは我が家に、後は花博に協力してくれた会員2店(御殿場の「みなみ妙見」さん、清水の「河良」さん)にプレゼントしました。

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  そうはいっても、酒林づくりが杜氏さんたちの仕事…つまり酒造りの一環であることや、そもそも杉の葉をこうやって飾るようになった由縁を知らずに、単なるディスプレイ扱いするのはいけない、と思い、今でも毎年必ず社員総出で酒林を作っている「出世城」の醸造元・浜松酒造に協力してもらい、花博会場で酒林作りの実演をしていただきました。

 

 

  酒林の発祥は、奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)といわれています。三輪山を神体山とし、お祀りするのは国造りの神である大物主神(おおものぬしのかみ)。農業、工業、商業、方除、治病、造酒、製薬、交通、航海、縁結びetc…人間のあらゆる暮らしの守護神で、ご神体である三輪山では、生息する杉、ヒノキ、松、榊など40種以上の一木一草にいたるまで神が宿ると信じられています。中でも不浄のものを清める効果(今でいう殺菌効果)があるとされた杉を酒林にし、ご神体のご加護に与りたいという酒造家の願いが、酒林づくりの伝統となったようです。

 

 

  

  この、大神神社の分霊社である神神社(みわじんじゃ)が、初亀のお膝元・岡部町にあります。644年、皇極天皇の時代、東国に疫病が蔓延したのを鎮めるために建立されたそうで、高草山が神体山。高草山はその昔、三輪山と言われていたそうです。「なぜ、岡部に大神神社の分霊社が造られたのかは真意はよくわかりませんが、酒造家の守護神をこの地に頂くことを大切にしたい」と語る橋本社長。

   

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 昭和7年築の仕込み蔵の中には、ヒノキや杉の見事な梁、一枚板などが、しっかり現役で酒造りを支えています。「撮りがいがあるなぁ」と目を輝かせるカメラマンの成岡さん。ただ古くて立派というだけでなく、たとえば左の写真は、昭和12年に増設した冷蔵庫のトビラで、中は、空調システムが整った近代的な吟醸酒用貯蔵庫。伝統と革新が無理なく融合しているのです。

 

 

  

  橋本さんと成岡さんには、昨年夏、『吟醸王国しずおか』の製作を相談したとき、参考映像として、日本酒造組合中央会から借りた岩波映画『南部杜氏』(昭和62年製作)を観ていただきました。大正末期から昭和初期にかけての南部杜氏の酒造りを、ひと造り、完全に再現したドキュメンタリーで、搾り上がった酒を蔵人全員で神棚にお供えするシーンや、出来上がった酒を貯蔵する杉の木桶が、現代のホーロータンクにフッと切り替わり、「当時の伝統を伝えるものは今はない」と物悲しいナレーションがかぶる最後のシーンが、いたく心に残りました。

 木製の酒造道具は確かに少なくなりましたが、酒蔵にある杉やヒノキを単なる建材ではなく、ご神体の力を宿したものとして大切に守る酒造家も、単なる製造業者ではないように思えてきます。

 

  私は、いい意味で、彼らは〈選ばれし者〉だと考えています。神様から賜った米や水や微生物を、酒というかたちに組み替えて、ふたたび神様にお返しする、そんな役目を与えられた人たちのような気がするのです。映像で、その意味をどこまで表現しきれるかわかりませんが、厳しい労働を果てしなく続ける彼らは、目に見えない、まさに神のような存在に惹かれ、畏敬を持ち、絶えず挑み続ける登山家か修行増のように思えるときがあり、観る人にもそんなビジョンを感じてもらえる画が撮れたら…と願っています。

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  岡部町では、今年、3年に1度、若宮八幡宮で行われる大祭〈神ころばし〉があります。世話役である橋本さんは「岡部町として最後の神ころばしになります」と感慨深げ。橋本家は代々、町の発展に尽力し、町長も務めた家柄だけに、来年1月、藤枝市と合併して岡部町の名が消えることに、一抹の寂しさもあるよう。そういう年に映画づくりをするのも神様のお導きのような気がして、神ころばしで、まさに神と対峙される橋本さんの姿もぜひ撮影させていただこうと思っています。

 

 


10年前の杉錦

2008-04-18 20:47:42 | 吟醸王国しずおか

 私が尊敬するベテラン広告プランナーの『猫爺』さんから、「『杯が乾くまで』を毎日楽しみにしているので、更新がない日は寂しい」というおたよりをいただきました。尊敬する人からこんなふうに言われるなんて、本当に感激。「みなさんに読んでいただくのに恥ずかしくないのものを書こうと心がけています。毎回文章修業です」とメールでお返事しました。

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 今日は、カメラマンの成岡正之さんと、『吟醸王国しずおか』の新しいロケ先を2軒訪問しました。午前中は杉錦の醸造元・杉井酒造(藤枝市小石川町)のみりん造りの撮影、午後は初亀醸造(岡部町)のロケハン。磯自慢(焼津市)、喜久酔(藤枝市上青島)とあわせると、今のところロケ先は志太地域の4蔵です。別にこちらがこの地域に限定しているわけではなく、たまたま現時点で、映画製作に支援の手を差し伸べてくれたのがこの4蔵だったから。それだけ志太地域の蔵元の意識が高いということだと思います。

 

 杉井さんで打ち合わせをしていたとき、事務所の情報閲覧ボックスに、私が10年前に、静岡アウトドアガイドという雑誌に書いた『静岡の地酒を楽しむ』の記事コピーがありました。10年前の記事をいまだにこうして飾ってくれるなんて、ライター冥利につきること。

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 先日、東京有楽町イトシアの丸井地下1階のヴィノスやまざきに行ったときは、日本酒コーナーに、私が作ったやまざきの静岡新聞全面広告(93年3月1日朝刊掲載)の手描きコピーが飾られていました。15年も前の広告コピーを、一番新しい店に掲げてくれるなんて、これまたライター冥利につきる話。全面広告ながら手描きの筆文字を思い切って生かしたデザインで、広告大賞奨励賞をいただいた記念すべき作品でした。

 

 10~15年前というのは、酒の取材を始めて5~10年経った頃で、ライターとして一番脂が乗っていた時期だったと思います。そういうときに、静岡アウトドアガイドを創刊したフィールドノート(現・しずおかオンライン)の海野尚史社長や、ヴィノスやまざきの山崎巽社長(当時)に〈書く場〉を与えてもらえたことは、本当に幸せなことでした。毎日新聞静岡支局の網谷利一郎支局長(当時)には1年間、週1回の連載「しずおか酒と人」を書かせてもらい、要点をコンパクトに伝える新聞記事の書き方を指南されるなど、自分の筆力を大いに伸ばしていただきました。

 

 それを思うと、今の若いライターさんたちは気の毒な気がします。雑誌やタウン誌からは、じっくり読ませるコーナーが減り、ライターが筆力を発揮できる場が極端に減りました。ブログが普及し、国民誰もが自分で書いたものを自由に発信できる時代。職業ライターがどこにアイデンティティを置くべきか・・・若いとき、そんなことを考えずに思い切った執筆活動ができた自分は、運がよかったとつくづく思います。と同時に、今の若いライターさんたちに何をしてあげられるのか、自分の世代がちゃんと考えなければならないとも感じます。

 

 とりあえず、今は、職業ライターが書くブログは、それなりに読ませるものでありたいというメッセージを、ここから発信できれば、と思っています。

 今日は、10年前の拙文で恐縮ですが、記事を大切にしてくれる杉井さんに感謝の気持ちも込めて、『静岡の地酒を楽しむ12~杉錦』を再掲させていただきます。

 

 

『静岡の地酒を楽しむ12~杉錦  

 地道に造り丁寧に売る、地酒の王道を行く志太美酒銘醸    取材・文 鈴木真弓』 

      フィールドノート社刊・静岡アウトドアガイド18号(1997年12月17日発行)より

 

 

 私が主宰している「しずおか地酒研究会」で、97年5月、“志太美酒物語の語り部たち”という勉強会を開いた。志太地区の酒蔵9銘柄をテーマに、各蔵の熱烈なファンにその魅力を語ってもらうという趣向。その中で、杉錦について述べた神奈川県の酒販店主の言葉が印象的だった。

 「杉錦は磯自慢や喜久酔ほど洗練されていない、どっちかといえば田舎っぽい酒。でも最初に飲んだとき、なんてやさしい酒だろうと思った。社長に会ったら、この社長の人の善さが酒の味になっているんだなあと実感した」。

 そのひと月前の4月中旬、静岡市の浮月楼で開かれた『静岡花見の会』で地酒を紹介したとき、おそらく今まで地酒をこだわって飲んだことのない女性たちから最も評判が高かったのが杉錦だった。「一番飲みやすい。やさしい味がする」と。

 私もこれら意見と同感である。地酒らしい、地味だけど実のあるやさしい酒。ちょうどこの原稿を起草しているとき、サッカー日本代表のW杯出場が決まり、はたと思った。そうだ、杉錦って岡田監督みたいな酒だ・・・。

 

 杉錦は県内の地酒の中でも、地元消費率の高い酒だと言われている。藤枝の知人の多くも、地酒といえば真っ先に挙げる銘柄だ。社長の杉井均乃介さんは「代々桶売りに頼らず、地元で売る努力をしてきましたからね。二級酒と言われ続けながらも地元では安定していました」と振り返る。

 創業は天保12年(1842)。高州村と呼ばれた現在の藤枝市小石川で、豪農杉井本家から分家した杉井才助が酒造りを始めた。酒銘は明治中頃まで「亀川」、大正時代までは「杉正宗」、昭和初期になって現在の「杉錦」に落ち着く。

 戦前から全国鑑評会で金賞を取るなど酒質の向上に努め、戦時中の企業統合の時代も造りをやめず、金魚が泳げるくらい薄い“金魚酒”が出回った戦後の混乱期も、酒質を落とすことなく地道に造り続けてきた。

 杜氏は昭和初期まで地元の志太杜氏が務め、一時、長野県からやってきて、昭和30年代以降は南部杜氏(岩手県)が務めている。現在の杜氏・佐々木清さんは10年目。それまで栃木県の蔵の麹屋だった。繊細な突き破精麹を造る名人として評判で、杉錦には晴れて杜氏として招かれた。

 

 静岡県の酒蔵を見回すと、本当に腕のいい杜氏さんが多いと実感する。以前、他県の蔵に勤める南部杜氏に、「最近の酒造りは酵母の酒類が増えて大変ですね」と話したところ、その杜氏は半ば羨望のまなざしで「静岡の蔵に勤める杜氏なら、どんな難しい条件でも造ってのけるだろう」と答えた。佐々木さんのように静岡に来て杜氏になり、腕が開花したという人も少なくない。それだけ静岡県の酒造りのレベルが高いということだろう。

 優秀な杜氏が集まる第一の要因は、静岡の蔵の酒質向上にかける姿勢にある。杉井酒造では佐々木さんの前任の南部杜氏が20数年勤めていた。杜氏が長く勤める蔵は「蔵人を大切にする蔵、蔵元と杜氏の意思疎通がしっかりできている蔵」と評価され、南部杜氏組合でも優秀な人材を率先して紹介する。蔵のそんな功績もあって、静岡の、杉井酒造の酒は安定した酒質を保ち、地元に供給されているのだと思う。

 

 当主の杉井均乃介さんは、大学卒業後、1年間、東京滝野川にある国税庁醸造試験所で研修を受け、実家に戻った。地元に顧客の多い杉井酒造では、きめ細かな営業サービスがモットー。杉井さんに客通いに明け暮れた。仕込みに時期には未明から佐々木さんの麹作りを勉強しがてら手伝い、8時からは営業事務。「造りは杜氏にまかせきりではなく、自分がお客様のところへ持っていく酒がどのように造られるのか、きちんと知っておきたかった。蔵元が自分の蔵の造りを知らないでは話になりませんから」。

 94年に当主になり、以前にも増して多忙な日々を送る杉井さん。最近、お客回りをして痛感するのは、やはり以前のバブリーな時代に比べて高額商品が売れなくなったこと。「1升瓶で2500円前後のクラスでいかに高いレベルの酒が造れるかだと思います」。

 最近のトレンドは、味のある純米吟醸、香りがあって飲みやすい特別本醸造。両方とも杉錦の特徴に合っており、杉井さんも営業に熱が入る。「酒造や酒販を取り巻く環境は厳しいといわれますが、値ごろ感があってきちんとした酒を造れば、販売力のある店がきちんと売ってくれる。蔵も店もまさに実力の時代ですね…」。

 

 全国の杜氏がレベルの高さを認める静岡型の酒造り。しかし杉井さんや佐々木さんが意識しないところで杉錦独自の味が出てくる。「河村傳兵衛先生が言うとおりに造っても、不思議とサラサラとした静岡型ではなく、味のしっかりしたタイプになる。これは水の違いではないかと思うんです」。

 一口に、静岡県の水は軟水だといわれるが、地域によって水の硬度が違う。同じ大井川の伏流水を使用する志太地域の蔵でも、微妙な差があるという。「うちの水は少し硬度が高い。だから静岡の中では味のあるタイプになるんでしょう。私自身、こういうタイプが好きなので、自然とこれが杉錦の味になってしまったのかもしれません」と杉井さん。生まれてこのかた、この家の、この水で育ったのだから至極当然だ。

 

 酒造りに良質な酒米や優秀な杜氏が必要なのは言うまでもないが、その蔵の水で育ち、味覚を形成してきた蔵元の判断力…つまり硬質の水で育った杉井さんが、味のある酒が好きになり、そういう酒を造りたいと思い描いた姿が、杉錦になるのだ。

 

 昨年のこと。県内のAという蔵で杜氏が交替した。前任杜氏は他県のBという蔵に移った。それまでAの酒を扱っていた酒販店主が、Bに押しかけたという。飲み手から見たら妙な話だ。杜氏が替わるたびに酒の味が変わるなんて、本来、地酒にはありえない。地酒の味は、その土地の味であり、蔵元が責任を持って築くものだ。

 

 冒頭の「社長の人柄が杉錦の味だと思う」といった酒販店主に意見に戻る。私も、蔵と、蔵元の人となりを見聞きして選ぶ飲み手でありたいと思う。蔵の味を守り、価格の厳しい制約の中で精一杯いい酒を造ろうという杉井さん。岡田監督のように華開くときが来るに違いない。(了)

 

  

 杉錦は、杉井均乃介さん自らが杜氏になって、今年で8造り目になります。山廃仕込みや生酛造りなど一昔前の伝統的な造りにこだわり、杉井さん自身が大好きな味わい深い酒にますます磨きがかかっています。

 

 


世界一ダンディな男

2008-04-17 16:19:57 | 映画

 久しぶりに図書館にこもって調べ物をしました。伊豆の観光マップの制作で、キャッチコピーに方言を使うためです。しかし、いざ、調べようと思ったら、ないんですね、郷土の方言の資料。そもそも伊豆の方言を静岡市の図書館で調べるのに無理があるのかもしれませんが、郷土の方言資料が少ないというのはコピーライターとして看過できない事態です。静岡コピーライターズクラブさんあたりで、研究テーマにしてもらえないでしょうかね。

 

 

  図書館で調べようと思った分野はもう一つ。パレスチナ出身の世界的知識人エドワード・サイードに関する資料です。先日、NHK-BSで、20世紀で世界一ダンディな男を選ぶという番組を見ました。男性知識人6人が、それぞれの分野から5人ずつ推薦し、互いに議論しあいながら世界一を決めるというもの。最終審査で画家のダリと争って、世界一に選ばれたのがサイードでした。

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 エドワード・サイードの名前を知ったのは、ドキュメンタリー映画監督佐藤真さんが2005年に発表した『エドワード・サイード OUT OF PLACE』がきっかけ。去年の夏頃、酒のドキュメンタリーを作ろうと決心し、ドキュメンタリーに関する書籍を読み漁っていたとき、ここ、静岡市立御幸町図書館で出会ったのが佐藤さんの本です。その後、佐藤さんが紹介する過去のドキュメンタリーの秀作で、レンタルできるものを片っ端から借りて観て、遅まきながらドキュメンタリー映画というジャンルの面白さに魅了されました。佐藤さんが撮ったサイードの映画はレンタルできなかったので、そのときは本の中でサイードがどういう人かを大雑把に学びました。

 

 

  『朝鮮通信使』の山本起也監督が勤務する京都造形芸術大学映画学科で、佐藤さんも教鞭を取っておられ、山本さんの師匠格に当たられるので、いつか、山本さんを通じてご本人にお会いできるかも、とひそかに期待もしていました。

 去年9月、佐藤さんの突然の訃報を新聞で知り、愕然とし、すぐに山本さんにメールしたところ、「…残された僕らは前に進むしかない」と言葉少なな返事。志半ばで前途を絶つ映画人が少なくないことを、山本さんから聞いていたので、改めて、映画作りという仕事の厳しさと、命を賭すだけの深さと尊さがあることを思い知ったのでした。

  

 

  先週、東京国立博物館に国宝薬師寺展を観に行ったとき、ミュージアムショップで国立歴史民俗博物館の会報誌『歴博147号』が映像文化を特集しているのを見つけました。千葉にある国立歴史民俗博物館は、ちょうど1年前、『朝鮮通信使』の史料ポジを借りるのに再三面倒をおかけし、直接お願いにもうかがったことのある博物館。映像文化を特集する号に出くわすとは菩薩さまのお導きに相違ないと、思わず手にとり、さっそく購入。

 

 その中に、昨年9月開催の「歴博映像フォーラム2」で、ゲストにお招きする予定だった佐藤さんの出席が永遠に叶わなくなったという一文が。フォーラムは「映像をめぐる虚と実」をテーマに、佐藤さんがつねづねおっしゃっていた「映画によって映し出される現実は、技術や解釈の介入無しの所与としての現実ではない」ことを検証するものだったようです。

 

 

  撮影するとき、どこにカメラを向け、どういう撮り方をするかという時点で、すでに“選別”は始まっていて、編集段階で使うカットと使わないカットを選別して、もともとあった文脈とは別の文脈でつなぎ合わせ、音響や音楽の演出でさらに再構成する。あらゆる映像は作り手の願望であり、ありのままの現実ではない―そのことは、山本さんもつねづね指摘していました。

  NHK-BSでサイードの名前に再会したのは、歴博のこの会報誌を読んだ3日後。今、ドキュメンタリーを作ろうとしている自分にとって、得がたい指針になると直感し、すぐさまAmazonでサイードの映画DVDを購入したのでした。

 

 

  作品は2時間強の大作でした。サイード本人は、幼い頃父親が撮った8ミリ映像しかなく、ほとんどが家族や知人のインタビューと、イスラエルとパレスチナの現在の映像。中東事情に冥い自分が1回観ただけでは、サイードが世界一ダンディな男に選ばれた理由がピンと来なくて、図書館で改めて佐藤さんの本やサイードの著作物を借りてきたというわけです。

 佐藤さんが映画を企画し、ニューヨークにいるサイード本人に会いに行こうと決めたのは2003年9月25日。なんとその翌日、サイードが白血病で亡くなったことを知り、愕然とし、サイード不在のまま、彼をたどる長い旅を始めざるをえなかったそうです。

 

 

  私も、佐藤さん本人とお会いできる機会をなくしたことで、サイードを失った佐藤さんの悔しさと寂寥感が理解できるような気がしています。つい最近も、この春から1年かけて撮らせてもらうつもりだったある蔵の杜氏さんが、体調を崩し、この春で酒造りをやめると聞いて愕然としました。

 今は、自分たちが撮ろうとしているのは、時を逸したらとりかえしがつかなくなる、それだけ伝え残す価値のあるものだ、と自分と周囲に言い聞かせるしかない、と思っています。

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  それはさておき、静岡市立御幸町図書館のすぐ上階、静岡市産学交流センターには、昨年『朝鮮通信使』を制作したスタッフルームがありました。何日も徹夜し、病人が続出しながらも必死に働いた涙と汗のバックステージ。その『朝鮮通信使』のDVDを貸し出します、という案内が、図書館の階段側壁にポツンと、ポスターとはいえないモノクロペラ1枚の紙で貼られていました。階段の真正面には、静岡市アートギャラリーで開催中の『宮沢賢治展』のポスターが堂々と飾られています。

 

 宮沢賢治といえば、『朝鮮通信使』の主演・朗読の林隆三さんがライフワークとして全国朗読公演されているテーマ。静岡市の職員の中に、朝鮮通信使と宮沢賢治を林隆三でつなげる発想を持つ人がいたら、市税を投じた2つの事業を有効に盛り上げることができただろうに…と思いました。

 それよりなにより、すぐ上のフロアで心血注いで作った『朝鮮通信使』が大事に扱われていないという現実が悲しかった。・・・いやいや、モノクロペラ1枚でも、貼ってあるだけありがたいと思わなければいけませんね。


下請の姿勢

2008-04-15 17:52:53 | ニュービジネス協議会

 昨日(14日)は(社)静岡県ニュービジネス協議会の特別セミナーで、中小企業の経営戦略について、東京理科大学大学院教授の松島茂先生の講演を取材しました。

 

 

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 経営学を学んだ方にとっては耳なじみの、トヨタ自動車のサプライヤーシステム。私のような素人には、数百社にも及ぶ下請工場を使いこなし、“カンバンシステム”を確立したトヨタは、合理化経営の鏡に思えましたが、松島先生の史観的なお話をうかがって少しイメージが変わりました。

 先生のお話を要約すると、

 

 

 

 

 

◆GMやフォードから50年遅れて自動車産業に参入したトヨタには、GMやフォードのように、自社内一貫生産システムを築く時間も体力もなかった。

◆フォードは自前で製鉄工場まで持つ巨人企業。しかしトヨタは3万点にも及ぶ自動車部品の多くを外注せざるを得なかった。部品を他社から買うというやり方は、GMやフォードが捨てたやり方だった。

◆当初、トヨタに部品を納入する会社は、自動車部品を作るのは初めてという板金屋、金属プレス屋、サラリーマンなどで、創業者はいずれも20~30代の若者。まともな部品屋じゃないだけに、トヨタは必死に指導し、部品会社を育てた。

◆市場が変化し、多様な車種が求められる時代になり、GM、フォードの自社内一貫生産ではフレキシブルに対応できなくなった。

◆トヨタは異業種メーカーからもゲストエンジニアを積極的に招き、開発段階から他社のノウハウを活用していたので、スピーディーに対応できた。米国車がモデルチェンジに5年かかるところを2年でこなした。

◆知的所有権の権利意識が強く、ノウハウをクローズする企業が多いアメリカに比べ、もともと日本の企業は『知恵を出し合う』『情報を共有する』ことに抵抗は少ない。トヨタが部品A社と新しい部品を開発したら、A社は発売後3ヶ月間はトヨタ専売とし、以降は他の自動車メーカーにも売る。A社の業績が上がれば、その量産効果はトヨタにも還元される、という太っ腹な考え。

◆その代わり、トヨタはつねに他社より先の新しい開発に取り組み続けなければならない。トヨタカローラが大ヒットしたとき、月産1万台を達成するよう命じられた従業員200人の上郷工場で、1年後、目標を達成。本社から「もう1万台作れ、従業員はあと何人必要か?」と聞かれ、「200人」と答えた製造部長は、クビを言い渡されたという。つまり、「同じやり方で留まるな、足踏みするな」がトヨタの考え。

◆「目に見える商品の形状、性能は、いつかは他社に真似され、追いつかれる。目に見えないビジネスのシステムで勝負した」のがトヨタの勝因。

◆それを実現するには、まず、取引先や下請工場とどういう関係性を築くか、どこまで外注にまかせるかを見極めること。トヨタは最初に、パートナーを決めて、しっかりとした関係性を構築する。同じ部品を世界中で価格競争させ、かき集める日産ゴーン社長のやり方とは対照的。

 

 

 

 

 

 部品工場と共存共栄で歩んできたトヨタが、彼らを下請扱いせず、大切なパートナーとして関係性を構築してきたという話は、私自身、下請業務で身を立てているだけに、心に染み入りました。

 

 

 

 

 

  ちょっと自慢話になっちゃいますが、実はこのセミナーが始まる前、数年来、請負ってきたある編集業務の打ち合わせがありました。クライアントは、発注先の印刷会社を今年度から変えることになり、その印刷会社の下請だった私も、本来ならば切られることに。ところが、クライアントから、「鈴木さんの仕事ぶりは余人をもって代えがたい」と言われ、「直接うち(クライアント)と契約してください。そうすればこの先また印刷業者が変わっても鈴木さんに頼めるから」と申し出ていただいたのです。

 こんなケースは初めてだったので、どうしたらいいのか戸惑いましたが、切られた印刷会社の担当者も、電話で「正直いえばタブーなケースですが、先方の強い希望なので、引き続き請けてあげてください」と言ってくれました。

 

 

 

  印刷費は価格競争のターゲットになるし、デザインも真似しようと思えば真似されるでしょう。でもコンテンツの中身は違います。雑誌の編集なら、どうやって情報を集め、テーマを決め、どんな切り口で紹介するかはエディターやライターの資質次第。年月をかけて築き上げた人間関係や情報網が、いざというとき、モノを言うのです。「それをどうやって作ったのですか?」と、そのクライアントから聞かれ、「酒ですよ」と即答した私(苦笑)。

 

 

  世界のトヨタとは比ぶべくもない話ですが、“パートナーを大切に”“足踏みしない”ことをモットーに走り続けるトヨタの姿勢は、私レベルの下請業者でも、大いに刺激になりました。下請を大事にしてくれるクライアントといかに関係性をつなげ、期待に応え続けていけるか、またそういうクライアントと出会えるか否かが、自分のライター生命を左右するともいえるでしょう。


スチールとムービーのはざまで

2008-04-13 13:13:19 | 地酒

 10日に東京でフォトグラファーの多々良栄里さんに会った時、10年前に彼女に撮影を依頼し、そのままお蔵入りになってしまっていた喜久酔の前杜氏・富山初雄さんの最後の造りのポジフィルムを久しぶりに見せてもらいました。

 10年ひと昔といいますが、富山さんと笑顔でフィルムに収まった青島社長は髪も黒く、「この前の真弓さんのブログに載っていた社長の髪の毛が真っ白だったのに驚いた」と栄里さん。洗米作業で富山さんに、吸水中の米の状態と水を切るタイミングについて教えを乞う青島孝さんの学生のような表情も、とても印象的でした。

 

  他人を被写体にしたドキュメンタリーを撮っていると、スチール(静止画)にしてもムービー(動画)にしても、ある程度の時間をかけて追い続けなければ感覚としてわからない、時間の流れや重みがあることを、つくづく実感します。

 栄里さんが土門拳奨励賞を受賞した『松下君の山田錦』も、3年ぐらいかけて膨大な本数のフィルムを使ったそうです。写真展の審査員の先生方からは「テクニックではなく重量だよ。どれだけ量を撮ったか、観る人が観ればわかる」といわれたとか。私も、松下さんの田んぼは毎年のように撮っていますが、取材の記録として撮る程度の意識しかないので、説明調のカットが多く、現場で感じた稲の美しさや力強さといったものは伝わってきません。しかし、栄里さんの写真は、稲そのものというよりも、田んぼに生息する虫や鳥たち、そして松下さん自身の表情や背中や汗を描くことで、松下さんが作る山田錦の素晴らしさを十二分に伝えてくれます。そういう写真は、時間をかけて彼と田んぼを観察し続けなければ撮れなかったでしょう。

 

  その米を酒にする青島孝さんの10年の変化と成長も、長く見続けていなければわからないし、変わったと思える瞬間を切り取る感性がなければ、画に残すことはできないでしょう。ゆうべ(12日)は彼に長い時間をかけて、今年、県知事賞を受賞した酒造りの、去年までとは違った変化や違いをじっくり聞かせてもらいました。カメラなし・食事しながらのリラックスした対話だったので、本音の部分もずいぶん聞かせてくれました。こういうときに限って、カメラで撮っておけば…と思えるようなイイ話が出てくるんですよねぇ。

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  酒造りの大きなポイントが、やっぱり原料の「米」だと解ったのは、10年かけて松下さんの田んぼで汗を流し、米作りを学んだ成果だったと、青島さんは信念を持って語ります。

 他の蔵元に聞くと、今年の喜久酔県知事賞受賞酒は、他を圧倒して図抜けた出来栄えだったそうです。多くの蔵元は「今年は米が融けなかった」といいますが、融けにくい=粒が揃わないときの麹米の吸水歩合をどうするか・・・喜久酔の受賞酒は、そのことを他の蔵元に問う結果にもなったと思います。

 

  もうすぐ、松下さんの田んぼで米作りが始まります。私が撮るのは酒造りのドキュメンタリーなので、酒になる米をどう育てるかを、青島さんの目線で撮ることになると思いますが、土門拳賞を取った写真家や、ダントツの県知事賞を取った酒造家の感性に、どこまで迫れるでしょうか。1年や2年で追いつけるレベルではないことは確かです・・・。

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  ゆうべ、青島さんに会ったのは、彼から今年の造りの写真を借りたいとの申し出があったからでした(近いうちに某メジャー新聞に載る予定)。私が自分のデジカメで撮ったスチール写真は、『吟醸王国しずおか』のメイキングとして、成岡正之さんの撮影風景を記録する目的で撮ったので、メジャー紙に使ってもらえるようなレベルではなく、見せるのは恥ずかしかったのですが、300枚ほどの写真をスライドショーモードで見せたところ、「麹作ってるとき、俺、こんな表情してたのか」とか「疲労と乾燥で皮膚の水分が干上がっているから、腕の血管が浮き出て見えるな」等々、初めて客観的に観る自分の姿に感慨深げ。「成岡さんの映像を観ればもっとスゴイよ」というと、「早く観たいなぁ」と子どものような表情に。

 

  

  素人のスチール写真でも、そんなに喜んで、映像の仕上がりを楽しみにしてくれるなんて、本当に作りがいがあるなぁと満ち足りた思いで帰宅し、夜、『吟醸王国しずおか』のサポートをしてくれるカメラマン山口嘉宏さんが、先週末、仕事で海外ロケに出発する前に送ってくれた自作DVDを鑑賞しました。

 

  

  山口さんは、成岡さんの会社で修業した後、100日間かけて世界一周をして各地の風景映像を撮りだめる仕事をこなし、一方でスチール写真作家としても活躍し、ナショナルジオグラフィック日本賞を受賞。送ってくれたのは彼が撮りためたアジア、アフリカ、ヨーロッパ、ニューヨーク、南米各地の風景を独自に編集した『東京経由』と、8ミリで撮ったインド・カシミール地方のチベット難民が暮らす古い町『オールドラダック』でした。中でもオールドラダックは、8ミリフィルム映像とモノクロスチール写真が見事に融合し、何度も観たくなる味わい深い作品でした。ただ珍しい異国の風景、というばかりでなく、今、再び世界から脚光を集めるチベット問題の一端を短時間ながら考えさせてくれます。

 何より、参考になったのは、スチールとムービーを組み合わせた編集効果。時間を流す、止める、という作用に着目したのは、たんに奇を衒うわけではなく、栄里さんや山口さんの感性が、成岡さんの映像にうまく融合するのではと直感したからです。

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 これは、先日、松崎晴雄さんを招いたしずおか地酒サロンで山口さんが撮った一枚。青島さん曰く「見た目はわからないかもしれないけど、すごく酔っている状態。まさに酔の一文字に尽きる」と笑っていました。こういう撮り方は、やっぱりプロだなぁと私も感心します。

 

  

  キャリアも個性もバラバラだったクリエーターたちを結びつけてくれるのは、ほかでもない、静岡の酒の素晴らしさ。こんな魅力的な被写体を追わずにいられないと、独りで走ってきた自分に、少しずつ同志が増え、一緒に作品を創れるまでになったことを、しみじみ嬉しく思います。

  栄里さん、山口さん、私の3人の作品が偶然、一緒に掲載された雑誌sizo:ka8号(特集・静岡お国自慢人養成講座)は現在、県内主要書店にて絶賛発売中です。ぜひお手にとってご覧くださいね!