杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

『剣岳~点の記』親子鑑賞記

2009-06-21 12:08:35 | 映画

 昨日(20日)は両親を誘って、映画『剣岳~点の記』を観に行きました。この歳になって親と一緒に映画を観るなんて自分でもビックリですが、ふだん完全アウトドア派で映画館には数十年入ったことのない2人でも、山の映画なら興味を持つだろう、MOVIX清水なら20日は1000円で観られるし、お昼に鮨でもご馳走してやれるし、ついでに篠田酒店ドリプラ店で酒でも買ってやれば、格好だけでも父の日の親孝行した気分になるし…と、混雑覚悟でドリプラへ。

 

 ドリプラのMOVIXで映画を観る時は、たいてい朝一番とか夜の最終上映なので、土曜日真昼間でしかも1000円割引デーとなると、人の多さが、今日はお祭りかってなぐらいに感じます。映画館に慣れない年寄りを連れてくるのは不向きだったなと内心反省しつつ、事前に希望の席を指定確保できるネット予約が奏功し、チケット売り場に並ぶことなくすんなり入館できました。

 

 

 昨日は公開初日とあって3分の2ほどの入り。夜の最終上映でたった一人だったなんてこともあったので、これだけ人が入っている映画は久しぶりです。しかも年齢層が高っ!両親と同様、山登りが趣味の中高年が多いんでしょう。

 

 ふだん映画館で映画を観る習慣のない中高年世代って、言っちゃ悪いけど、マナーに欠けます。自宅の茶の間と同じ感覚で、周りにお構いなく、上映中にあーだこーだしゃべり出す。ちょうど1年前、静岡市民文化会館で開かれた山本起也監督の『ツヒノツミカ』凱旋上映会で後ろの席のおばさまたちが上映中終始しゃべりっぱなしだったのに閉口したことがありますが、昨日は、隣の両親が、「明治村の撮影だね」とか「あの山小屋から行くルートだな」などなど、いちいち確認し合っているのに閉口…私に「あの道はね」と解説しようとした母を「シー!」とにらみつけてしまいました(苦笑)。

 

 でも気が付くと、後ろのほうでもゴチャゴチャしゃべっているお客さんが。1組2組じゃありません。私に叱られてシュンとなった母も、周囲から漏れ聞こえる話し声に安心したのか、要所要所で会話再会。測量隊メンバーが滑り落ちるシーンでは「あーっいたたたた」と効果声?まで付ける始末です。それだけ映像にのめり込んでいるのかと思うと、しかる気も失せてしまいます(苦笑)。

 

 母は1年前に剣岳に登ったばかりで、山小屋の主人や山岳ガイドから撮影の裏話をさんざん聞いていたらしく、登山仲間から新田次郎の原作も借りて読み、特典写真集付きの前売り券を早くから買って昨日の公開を待ちわびていたそうです。

 母と一緒に日本百名山踏破を目指していた父は、志半ばで心臓病を患い、今は負担の少ないウォーキングツアーぐらいしか参加できない身体になってしまいましたが、もともとは土木技師だっただけに、主人公(測量士)の作業や、どのルートを登っていくのかに関心を持ったようです。チョロっと横眼で確認したら、椅子の背にもたれるどころか、ほおずえをつき、身を乗り出して観入っています。根っからのアウトドア派で同じ場所に30分もじっとしていられないせっかちな人が、上映中、大人しくしていられるかなぁと心配したのがウソみたい(苦笑)。

 終了後、2人は、「松田龍平が演じた生田信は静岡出身なんだよね」なんて登山家仲間から仕入れたレア情報を自慢げに語り合っていました。

 

 

 映画は、プロの撮影職人が、プロの技術師の姿を真正面から描こうとした、セミドキュメンタリー的な作品でした。私は映画制作に関してはアマチュアですが、酒造り職人たちを取材・撮影している立場から観て、主人公が登山家ではなく、測量士と山岳ガイドだったという点にとても感銘しました。剣岳初登頂を目指して張り合う民間の登山家たちや、「民間人に初登頂させるな」と圧力をかける陸軍幹部との対比によって、主人公たちの、仕事に対する崇高な職業意識が際立ちます。

 

 その辺りの人間同士の葛藤や、山頂に立つクライマックスシーンなどは、手慣れた映画監督なら、もう少しドラマチックに描いたかもしれませんが、この作品は、撮影カメラマンが初めてメガホンを取ったものだけに、撮った映像にウソやごまかしや過剰演出はない、というカメラマンらしい職業意識を感じます。

 人物描写にしても、大げさな演出や、俳優が作り込んだような演技はなし。それは、CGペインティングをしなくても圧倒的に美しい自然に対する畏敬と、実際に山に関わる人々の多くの助けをもらった以上、彼らに恥ずかしくない、山と人間の本来の姿を残したいという謙虚な気持ちがそうさせたんだと思います。

 

 

 

 比べようもない未熟なレベルながら、わが『吟醸王国しずおか』も、現場に長く張りついて、自然醗酵のいとなみや、淡々と与えられた仕事をこなす職人たちへの畏敬の念が積み重なっていくうちに、よけいな演出や説明はじゃまに思えてきます。それが観る人に対し、不親切だったり、わかりにくかったり、(ドラマチックな展開を期待する人に)物足りなさを与えるとしたら、そこは真摯に考えなければならず、どこまで“加工”するかが難しいところなんですが…。

 

 

 とにかく、商業映画で人気俳優を起用しながらも、可能な限り造作的なものをそぎ落とし、自然と人間の素の価値を汲み取ろうとした監督の意欲には真に共鳴できるし、少なくとも、映画鑑賞の習慣のない人々を2時間以上、スクリーンに張りつかせた力はすごい。CGの剣岳じゃ両親をここまで惹きつけることはなかったでしょう。…大いに刺激をもらいました。

 

 帰宅して映画の公式サイトをチェックしたら、撮影の裏側を密着取材した面白い特典映像(ロケ日記)を見つけましたので、関心のある方はこちらをどうぞ。


200ナノメートルの超微粒子粉末緑茶

2009-06-17 14:10:52 | ニュービジネス協議会

 台北から帰国した翌8日、自宅で昼食にギョーザを食べていた時、右上の奥歯の詰め物がポロッと取れてしまいました。歯肉炎と虫歯に苦しんだところです。食べたのはギョーザみたいに硬くないものなのに、なんで取れちゃったんだろう…確かに台湾旅行に行く前は〈吟醸王国しずおかパイロット版〉編集の疲労がたまって歯肉炎の痛みがぶりかえしたけど、旅行中は支障もなかったしなぁ・・・。腑に落ちないまま、「ギョーザ食いの後はまずいかな」と後ろめたさも抱きつつ歯医者へ行ったところ、「歯茎が炎症し、奥歯が前後に真っ二つに割れている、抜くしかない」と言われてしまいました。

 

 詰め物をつけ直す程度だと思ったのに、いきなり抜歯~!?とドギマギし、心の準備がないまま、麻酔を打たれ、学生時代に親知らずを抜いて以来の・・・。顔半分がドヨ~ンと麻痺した状態で、そのまま取材仕事に行く羽目になり、すっかり凹んでしまいました。

 歯肉炎にさいなまれてから、アメリカで看護師をしている妹からわざわざ電動歯ブラシを送ってもらって、一生懸命磨いていたのに、「磨き過ぎて歯茎が痩せている」「歯ブラシだけではダメ、歯間ブラシや糸楊枝でまめに掃除するように」と言われてしまいました。歯のケアがこれほど難しくて面倒だとは…、みなさんもお気をつけくださいまし。

 

 

Imgp0992  この日の取材は、(社)静岡県ニュービジネス協議会の定例サロン。講師は08年度静岡県ニュービジネス大賞を受賞したやまと興業㈱の小杉昌弘社長です。同社は浜松市旧浜北にある創業65年の自動車部品メーカーで、二輪や四輪のコントロールケーブルやパイプ部品を得意とし、高齢者や女性を積極的に雇用して天竜には工場長以下全員女性という工場も設置するなど、県西部の優良中堅メーカーとして知られています。

 

 ニュービジネス大賞を受賞したのは2度目。2度とも自動車部品製造とはまったく異なる、文字通りの「ニュービジネス」。2度とも「農業」がキーワードになっています。画期的な農機具でも開発したのかと思ったら、1度目の受賞は、次世代発光ダイオードLEDを活用した植物の発芽・育成促成装置の開発でした。

 

Imgp0993  同社では景気に左右されがちな下請部品製造だけに依存せず、自社開発製品づくりを目指そうと、超高輝度LEDを利用した光事業をスタートさせました。店舗ディスプレイ商品、クリスマスのイルミネーショングッズ、アイドルのコンサートでは必需品のペンライト等を商品化してきましたが、赤、青、黄緑など色や波長のバランスによって植物の成長を促進させる効果がある点に着目し、ビニールハウスの天井に付ける植物育成ロープライト、LED照射育成室と冷暗育成室がセットになった〈花芽誘導装置バーナリくん〉を開発しました。

 

 このバーナリくんのおかげで、春しか採れないチンゲンサイの花芽・青菜花(チンツァイファー)の周年収穫が可能となりました。青菜花はチンゲンサイに比べてビタミンCと鉄分が4倍、βカロテン・レチノール・ビタミンEが2倍含まれ、抜群の甘みと加熱時の色の鮮やかさが特徴で、静岡県西部発の新野菜として農業関係者を大いに勇気づけました。これが大賞受賞理由となったわけです。

 

 昨年2度目の受賞理由は、200ナノメートルという超微粒子の粉末緑茶の開発です。

 200ナノメートルと聞いてもピンと来ませんでしたが、100ナノメートルになると人間の血管の中を自在に移動できる大きさだとか。受賞発表と表彰式を兼ねた昨年の静岡県ニュービジネスフォーラムにたまたま参加していた焼津水産化学工業さんが、「うちでは500ナノが限界だったのに…」と驚愕し、さっそく取引を始めたとか。食品を微粉砕するには含有水分がネックになり、無理に乾燥させると風味や色や栄養分を損ないます。やまと興業には、どんな金属でも細かく砕く刃物を作る特殊技術があるので、これを応用し、一般の食品加工メーカーでは実現不可能な高精度の粉砕刃を開発。ネックとなった水分は、実験を重ね、減圧状態では水が40~50℃で沸騰することがわかり、高温乾燥で色や風味を損なってしまう今までの課題をクリアできたそうです。

 

 

 伝統的な石臼挽きの抹茶は、20~30ミクロンという大きさで、茶の細胞膜の大きさに相当します。この細胞膜の中に、SODという有効成分があるため、小杉社長は細胞膜を壊して1ミクロンまで細かくすることに。いざ細胞膜の粉砕に成功したら、今度はその中に活性酸素を吸収するORACという抗酸化成分が1700μmoLも含まれていることが判明しました。このORAC、ブルーベリーに多く含まれていると言われていましたが、それでも50μmoL。ハンパじゃない数値でした。

 

 このように、お茶にはまだまだ解明されていないスゴい有効成分があり、血管吸収できる100ナノに近い超微粒子にできれば、身体にすぐに効果が出るとわかった小杉社長は、ミクロン(100万分の1)からナノ(10億分の1)の世界へ果敢に挑戦したのでした。

 

Imgp0997  完成した200ナノメートルの超微粒子粉末緑茶を、北京オリンピック女子バレーチームに提供したところ、「疲れが貯まりにくくなった」「フルセットまで身体がよく動く」と高い評価を受けたそうです。テストマーケティングの相手としてはこの上ない方々ですよね!

 この日も、実際、500mlのペットボトルウォーターに溶かして飲ませていただきましたが、さらっと水に溶けて底に貯まらず、緑茶本来の風味が十分楽しめました。「既存のペットボトル茶よりも美味しい」「静岡らしい特産品になる」と参加者も大絶賛でした。

 

Imgp0991  小杉社長は「価格が落ちる二番茶や三番茶の廉価品に付加価値を付け、少しでも茶農家の収益につながれば」と、主力品種のやぶきた茶で商品化しました。

 そこへ、ある茶業者から「べにふうきで作ってみないか」という提案。花粉症に効果が期待される注目のべにふうき、もともと紅茶用(=醗酵茶)品種で、抗アレルギー成分メチル化カテキンを活かすために緑茶仕上げ(=不醗酵)で売り出しましたが、味がイマイチという評判です。

 そこで200ナノの超微粒子化したところ、お湯で溶かして飲めば紅茶らしいまろやかな味わいが楽しめ、繊維に織り込めば花粉用マスクに変身。この春、東急ハンズのマスクコーナーで売上ナンバーワンとなり、新型インフルエンザのニュース以降は品切れ状態になりました。

 

 

Imgp1000  「お茶を一生懸命細かくしようとやっていたら、細胞膜の中からお宝のような有効成分が出てきた。他の農作物にもまだまだ秘めた成分があるかもしれないし、超微粒子化することで新しいモノが生まれるかもしれない。出口(用途)が見つかればすごい技術になると思う」

「農家の方と知り合って、日本の農業の問題点が見えてきた。一生懸命作ってもJAは形の良いものしか引き取ってくれず、結果的に半分は廃棄するという。こんなに歩留まりの悪いモノづくりでは、後継者が育たないのも無理ない。我々の技術が生かせるならなんとか役立てたい」と熱く語る小杉社長。実際、社長のもとには、いろいろな農作物が持ち込まれています。

 

Imgp1001  大葉は大きさが揃わないものは廃棄されますが、これを200ナノまで細かくしたところ、なめらかで風味の良いドリンクに変身しました。わさびの葉は良質の染料に、折れて商品にならない大和芋はソバやお好み焼きのつなぎに、青島みかんは皮に香りがあるので、粉末にして廉価な蜂蜜にまぜると、高価なオレンジ蜂蜜に変身しました。

 Imgp1002 いちごのべにほっぺとあきひめは、微粉末にしたところ、これだけ色に違いがあることが判明しました。

 

 

 

 話を聞きながら、「(栄養成分の塊の)酒粕を微粉末にして、アルコール度ゼロの健康冷酒ができないかなぁ」なんて想像しちゃいました!

 気が付くと、超微粒子粉末緑茶をいただいた後は、抜歯後の鈍い痛みがスーッとなくなったような…。緑茶には優れた抗菌効果もあるので、ぜひワンランク上の口腔ケア商品を作ってほしいなぁ!

 

 

 やまと興業の〈超微粒子粉末緑茶スーパーミクロン健康緑茶〉は通信販売していますので、興味のある方はぜひお試しを。こちらを参照か、フリーダイヤル0120-039604へ。

 「これを超微粒子化したら面白い」というアイディアをお持ちの方も、ぜひお問い合わせしてみてください。

 


しずおか地酒サロン~金谷のコップ酒場体験

2009-06-15 13:48:32 | しずおか地酒研究会

 昨日(14日)は、しずおか地酒研究会の定例サロン〈コップ酒場で昭和の酒呑みレトロ体験〉を開催しました。

 会場は、島田市横岡新田(旧金谷町)の中屋酒店さん。大井川鉄道の五和(ごか)駅から徒歩3~4分にある、この周辺では一軒しかない、酒場併設の酒屋さんです。

 15時から始める予定で、14人の参加者は、14時20分に金谷駅に集合し、大井川鉄道に乗って4つ目の五和で下車。無人のホームと駅舎がなんともレトロで、参加者の野木村さんファミリーの子どもたちが「こんな駅、初めてみた!」とおおはしゃぎ。オトナたちの「レトロ体験しに行く!」気分を大いに後押ししてくれました。

 

2009061511310000  参加蔵元の大村屋酒造場副杜氏・日比野哲さんは、地元ながらいつもは車移動がほとんどで、呑みに行く時はタクシーを使うので大井川鉄道に乗るのは初めてとか。「この電車、近鉄の特急車両ですよね、車内に伊勢志摩の表示が残っていましたよ」とすかさずチェックしてました。名古屋出身の日比野さんは、近鉄の車両に親近感があるようです。

 私も奈良に1年住んでいたことがあるので、関西の私鉄の中では近鉄を一番多く利用したかな。特急は別料金がかかるので、この車両にはめったに乗りませんでしたが、まさかここで乗れるとは…(苦笑)。

 

 

 Imgp1014 中屋酒店については、アットエスの拙文(文末リンク先)を参照していただくとして、昨日は16時開店のところ、我々のサロンのために特別に15時に開けてもらい、この6月に新発売となった店のオリジナル酒〈かなや日和〉のテイスティングを楽しみました。

 

 

 酒販店や飲食店のオリジナルPB酒は珍しくありませんが、その多くは、既存の酒のラベルを張り替えたり容器を特注したりしたもの。一方、〈かなや日和〉は、中屋酒店オーナーの片岡博さんと地元農家・大池道儀さんが、自ら米を育て、地元の酒蔵である大村屋酒造場で醸造してもらい、自らラベルを手描きで仕上げた、正真正銘のオリジナル酒です。

Imgp1006  米は「あいちのかおり」という一般米。これを60%精米にした純米酒ですが、米の等級審査を通していないため、「純米酒」と表示できないのです。

 

 

 純米酒と表示すればそれなりの値段を付けて売ることもできますが(大手メーカーのCMでは“米だけの酒”な~んて強調してますよね)、片岡さんは、付加価値を価格に付けるどころか、

「いかに美味しい酒を安く呑んでもらうかと考えて、1升瓶2000円以下で売る、店では1杯300円で売ると決め、原価計算をして、米はあいちのかおり100%で、自分たちで栽培することにした」

「僕と大池さんが育てた米を、大村屋酒造場の杜氏菅沼さんや副杜氏日比野さんが丹精込めて醸してくれた、正真正銘、造り手の顔が見える酒ですから、等級審査のお墨付きや純米酒のレッテルは、あったほうがいいかもしれないけれど、絶対必要なものではありません。地元で商売している人間だから、地元の人にウソやごまかしはできないことは一番わかっています。それをお客さんもちゃんとわかっている。そう考えたら、別にお墨付きやレッテルは要らないなって(笑)」と語ります。

 この酒の付加価値というのは、造り手(=売り手)と飲み手の信頼関係そのものなんですね。

 

 

 Imgp1007 会が始まると間もなく、常連参加の日比野さんから「いつものサロンと違いますねぇ」と耳打ちされました。

 これまでのしずおか地酒サロンは、酒蔵を見学したり、ゲストがタメになるウンチクを語ったり、スペックの違う酒を飲み比べをするといったスタイルですが、確かに今回は、簡単なあいさつと自己紹介が済んだ後は、ただひたすら呑んで食べるだけ。「手抜き企画だってバレたかな」と一瞬ヒヤッとしました(笑)が、日比野さんが続けて「こういうの、いいですねぇ、僕、好きです」と言ってくれたのでひと安心。〈かなや日和〉の醸造担当として一言お願いしたら、それは熱く熱く語ってくれました。

 

 気が付くと、開店時間16時を待たずに、次から次へとお客さんが入ってきて、16時の時点ですでに満席! 事前に片岡さんから、「土日は町内の集まりや野球の試合なんかが多くて、終わった後みなさんがドッとやってきて、バタバタしちゃうので、申し訳ないけど1時Imgp1015間早く来てください」と言われていた、そのとおりになりました。

 

 子ども連れのファミリー、ご年配の酒友同士、若いカップルなどなど、客層は実にバラエティ。呑まれているアルコールは、ビールや焼酎が多いようでしたが、〈かなや日和〉がデビューしてからは、1杯300円という値ごろ感も手伝って、「たまには日本酒も呑んでみるか」「日本酒ってこんなにうまかったのか」という声が聞かれるようになったそうです。

 

 

 酒の小売店の併設酒場は、かつては数多く見られました。食品衛生法の規制がかかり、飲食店としての営業許可が必要になったとき、多くの小売店は、大事な納品先である一般飲食店と競合してまでやる必要はない、酒だけ納入するほうが楽だと考え、許可を取らず酒場を廃業するか、火を使う料理は出さず、コップ酒につまみ用の缶詰を出す立ち飲み酒場のスタイルを選択しました。

 中屋酒店は、近隣に飲食店が少なく、地元の要望もあって、先代がきちんと営業許可を取り、居酒屋併設スタイルを維持したのです。

 

 地域それぞれの事情の違いがあるとは思いますが、片岡さんが、一家で朝から小売や配達をし、夜は遅くまで居酒屋を切り盛りするパワーの源とは、この店がこの地域に必要なんだという地元の後押しに違いありません。

 

 静岡酒にこだわって呑ませる店や付加価値の高いサービスを提供する店は、繁華街を歩けばそこそこ見つかるでしょう。でも、飲み手側に「この店は地域になくてはならない!」と言わしめる存在感のある店や、純米吟醸並みのスペックの酒を、純米酒とさえ謳わず1杯300円で呑ませ、日本酒を呑まなくなった人を振り向かせる努力をする店は、そうそう見つかりません。

 …そんな酒場が今も存在しているんだということを、ややもすると頭でっかちになりがちな(自分も含めた)地酒マニアが体験し、酒場のあるべき姿を考えるというのが、今回の趣旨でした。

 〈かなや日和〉という酒を味わい、16時には満席になる店を体験したことで、参加者にも少しは伝わったのでは、と思います。

 

 

Imgp1005

 ちなみに今回の参加者は、日比野さんのほか、篠田酒店(清水区)、飲食店の河良(清水区)と湧登(駿河区)のご主人がた、陶芸家の安陪均先生(伊豆の国市)と奥様の絹子さん、家具職人の野木村敦史さん(駿河区)ファミリー、天晴れ門前塾生の中西さん、吟醸王国しずおか映像製作委員会メンバーでもある堀田さん(駿河区)、荒川さん(富士市)。

 右写真の壁絵は、店の前の駐車場屋根の壁に、片岡さんの知人のスプレーアーティストが「電車から見えるように」と描いてくれたもの。酒杯を持っているのがイキですよね!

 

 

 テレビ〈しずおImgp1009か吟醸物語〉を観てコンタクトをくれた野木村さんの奥様は、父親が大の日本酒好きだったのに感化され、東京農大醸造学科に進み、酒蔵でインターン修業したこともあったとか。社会人1年生になった中西さんは、門前塾をきっかけに日本酒・・・造りではなくなぜか酒税法に興味を持ち、税理士資格取得の勉強も始めたとか、不思議な酒縁が広がっていきます。日比野さんは「農大醸造学科卒業で家具職人の奥さん?」「なんでなんで酒造法なの…!?」と女性2人に大いに食いついていました(笑)。

 

 〈しずおか吟醸物語〉の日比野さん登場シーンは、過去ブログでも紹介したとおり、天晴れ門前塾生たちの酒蔵見学時に撮ったもので、Imgp0612一番熱心に聴講していた中西さんがちゃんと画面にも映っていました。ちなみに、このとき日比野さんが洗米し、中西さんたちもちょこっと作業を手伝っ たのが、〈かなや日和〉の原料米である「あいちのかおり」でした!

 

 

 

 安陪先生が提供してくれた自作の盃で、ぬる燗の〈かなや日和〉を味わうと、うんちく屋さんだったら1杯1000円ぐらい付けるんじゃないかと思えるほどの味わい! 家具職人&デザイナーの野木村さんも、「酒も料理も家具も同じ、モノづくりはこうでなきゃ」とメンバーとの語り合いを満喫されImgp1013ていました。

 

 ただ仲間を集めて電車に乗って呑みに行っただけ、のサロンでしたが(苦笑)、感度の高い参加者には、たぶん、「ただ呑んで食べただけ」以上のものが受信できたのでは、と思っています。

 

 ちなみに今回かかった予算はさんざん呑んで食べて一人2630円…勘定書きを見た時は「ここは台湾?」と目を疑いました(笑)。たぶん少しお勉強してくれたんだと思いますが、この店はふだんでも3000円でお釣りがきます。「電車やタクシーを使ってもモトが取れる」って決して誇大表現ではアリマセン。

 片岡さん&中屋酒店のみなさま、本当にありがとうございました!

 中屋酒店の紹介記事はこちらへ。

 ついでに河良さんはこちら

 湧登さんはこちら

 安陪絹子さんの店シルクロードはこちら

 野木村カンパニーはこちら

 

 なお、しずおか地酒研究会に参加してみたいと思われた方は、ぜひ鈴木真弓のメールアドレス(プロフィール欄参照)へご連絡くださいまし!


富士山静岡空港フライト体験記その6・最終話

2009-06-14 01:57:19 | 旅行記

 6月6日台北3日目は昼過ぎまで故宮博物院で過ごし、地下鉄の最寄り駅・士林まで戻りました。

 

 同行のSさんが、初日の雨の夜歩きでスニーカーの下敷きを剥がしてしまったため、安くていいからサンダルを買いたいと行って、士林駅近くの市場を物色。車一台通れば目一杯という狭いアーケード街で、日本の感覚なら車両進入禁止にするのに、人が通ろうと店の前にモノが出っ張ってようと、平気で乗用車や軽トラが入ってきます。…こっちの道路規制の基準ってどーなってんの!?と私もSさんも目がテンです。

 

 

 いろいろ探してやっとお眼鏡にかなったサンダル(300元=約1000円)をゲットしたSさん。その場で履き替えて、駅方面へ戻りかけたとき、左足のサンダルの飾りがなくなっているのに気づき、ビックリ! すぐさま来た道を戻ろうとしたものの、道幅一杯に渋滞している車両に前進を阻まれ、大弱り。車の隙間を縫って、必死に地面に眼を這わせ、サンダルを買った露天商の店の手前で運よく見つけました。「履いてすぐに取れたんだ…」と呆れ顔のSさん。これがちゃんとした靴専門店の、それなりの値段のものならアタマに来るけど、露天商の1000円サンダルじゃ怒るわけにもいかないか(苦笑)。

 

 気を取り直したSさんは、「時間があるから淡水から九份(チョウフン)まで行ってみようか」と言い、地下鉄で台北駅とは反対方向の終点駅・淡水まで移動しました。

 

Imgp0966  淡水は台湾島の北西にある港町で、淡水河の河口一帯は台湾のヴェニスといわれる夕陽のメッカ。人気のデートコースなんだそうです。九份(右写真)は台湾島の北東にある古い街で、名作『非情都市』の舞台で知られています。日本では宮崎駿の『千と千尋の神隠し』のモチーフの街として有名です。

 

 九份には、台北から内陸部を高速バスで行くのが定番のようですが、淡水からも基隆を経由し、バスで行けるようなので、とりあえず基隆行きの路線バスに乗った私たち。時間を見たら15時30分でした。

 路線バスなんだから終点までせいぜい30~40分ぐらいだろうと思っていたら、ちっとも目的地まで着きません。どうやら路線バスは、台湾島の北西部から陽明山国家公園を経て先端をグルッと回るコースのようで、海岸線を延々と進んでいきました。

 

 しかも台湾の路線バス、乗ったことがある人はおわかりかと思いますが、すんごい飛ばすんですね、スピード。座席がツルツルのカバーなので、どこかにしがみついていないと、座っていても転びそうになるぐらい。お年寄りが乗っていようと、子どもたちが集団で乗っていようとお構いなしにぶっ飛ばします。ちっとも基隆に着かないのと、ジェットコースター並みの運転に、初めの30分ぐらいは気分が凹みっぱなしでした…。

 

 やっと台湾バスのスピードに慣れ、徐々に日が暮れていく美しい海岸線や、近くに人家がなさそうな山合いのバス停からも、おばあちゃんや幼い兄弟が乗り降りするのを眺めていたら、テレビの旅番組でやっているような「路線バス人情旅」気分に。若い男の子や女の子がわんさと乗って、わんさと降りたと思ったら、海水浴場があったんです。「ああそうか、もうこっちは日本の真夏の気候なんだ」と初めて気がついたりして…。

 

 基隆に着いたのは17時30分。そこから九份行きのバス乗り場をうろうろ探して、見つけたはいいがプリペードカードeasy cardが使えず運賃が分からず運転手にガンつけられ、その様子を見ていた乗客の女の子2人組が中国語と身振り手振りで「私たちも九份に行くから」と声をかけてくれたりして、18時過ぎにやっと九份に到着。淡水からはかれこれ3時間以上かかってしまいました。

Imgp0965  

 

 でもこの時間に到着してラッキーでした。夕暮れの九份は、まさに『千と千尋の~』の舞台のように、狭い路地や石段に赤ちょうちんが灯り、ノスタルジック気分満点!

 

 清朝末期の1890年、金鉱の発見でゴールドラッシュに沸き、金の採掘で賑わったこの街は、土地の不便さにもかかわらず、当時はまだ珍しい映画館まであった一大歓楽街だったそうでImgp0969 す。

 

 

 石畳の小道の両側には土産物店や食堂が軒を連ね、長い石段の坂道には戦前の洋風館や古民家をリユースしたレトロな茶芸館。私は九份で一番古いとされる茶芸館『九份茶房』を訪ね、高山育ちの風味の良い台湾烏龍茶のテイスティングを楽しみました。スイーツに目がないSさんは、私がお茶をImgp0964飲んでいる間、通りの甘味処でフルーツかき氷をしっかり腹に納めていました。

 

 

 45 石段の坂道を下りたところにオシャレな洋館があって、私が写真を撮っていると、Sさんが「ここ、台北ナビに載っていたフルーツティーがおいしい喫茶店だ!」と目を輝かせます。『黄金之郷』というその店は、窓から海岸沿いの夜景が楽しめる絶好のビューポイント。Sさんはお目当てのフルーツティーを、私はブルーマウンテンが120元(400円弱)で飲めるとあってついオーダーしてしまいました。めったに注文がないのかコーヒー豆がかなり古くなっていた感じでしたが(苦笑)、夜景の素晴らしさが帳消しにしてくれました。

 

 帰りは台北行きの直行バスに乗ろうと、バス停探しにうろうろし、運よく来たバスに、バス停じゃないのに手を挙げてタクシーみたいに乗せてもらって、約1時間で台北市内に戻ってきました。

 時間を見たら21時過ぎ。さすがにクタクタで、夜市に出かける気力がわかず、いったんホテルへ戻り、近場の食堂で「魚丸汁」をすすりました。前夜、士林夜市で覚えた魚丸汁、夜市のほうがおいしかったけど、1杯40元(130円)で十分に満足できました。

 

 

 Sさんは、「台北最後の夜だから、心残りのないよう、もう1回マッサージしにいく!」と元気ノリノリです。疲労とバス酔いが抜けない私は、全身を揉まれて途中で気分が悪くなったら困るなと思いつつ、頭髪シャンプーと足裏マッサージだけならいいかと、前夜とは違う、今回のツアーガイドが紹介してくれた店に行くことに。もちろんホテルまで無料送迎してくれました。

 

 着いた店は、一見、ちょっと豪華なカラオケハウスのような作り。「ねぇねぇ、この店、カラオケハウスのなれの果てじゃない?」とSさんに耳打ちしていたら、呼ばれて通された部屋が、まさにカラオケボックス! ちゃんとテレビモニターとアンプまで残っていました(笑)。

 

 この店はまず全身コースを頼み、その上でオプションを付けるという方法だったため、やむをえず全身マッサージをしてもらうことに。マッサージ担当のおばさんと足裏担当のおじさんがテキパキと施術し始め、「気持ち悪くなるかも…」なんて言え出せない雰囲気。大丈夫かなぁと不安になっていたら、うつぶせにさせられ、おばさんが背中や腰の上に乗って、つま先やかかとでグリグリをやり始めます。「うわっ、ふんずけられている!」とギョッとしました。なにせ他人に全身を足で踏まれるなんて生まれて初めての体験ですから(苦笑)。

 

 ところが終わってみると、これがすっきり、不安がウソのように気分爽快です。同じマッサージを受けていたSさんは「足で踏まれていたらツボに入っちゃって…」と笑いをこらえるのに必死の様子。とことん明るい人だなぁと感心しました。

 翌7日、ツアー参加者とマッサージ談義をしたときは「台湾マッサージは一見過激だけど、絶対にツボは外さない。もみ返しみたいの、ないでしょう?」と言われ、そういえば首~肩~背中~腰にかけて、鉄の板が張り付いていたような重だるさがなくなったような…。

 

 

 7日は朝7時30分にホテルを出発し、免税店に立ち寄った後、空港へ。11時20分発の中華航空7532便で帰路につき、15時20分に静岡空港へ戻ってきました。

 マッサージばかりしていたのと、空港と自宅の往復が車だったせいで、この4日間は本当に海外に行って来たのかと不思議に思えるぐらい、疲れが残らない旅でした。

 

 

 疲れなかった理由はほかに、台北では日本語もある程度通じること、食事が日本人の口に合うこと、食事と交通費(バス、タクシー、地下鉄)がめちゃくちゃ安かったことなども挙げられますが、一番印象に残ったのは、台北の人が本当に親切だったこと。道を訪ねればちゃんと教えてくれるし、言葉が通じなくても一生懸命説明してくれました。

 

 言葉と言えば、台湾でこれほど日本語が通じるとは思いませんでした。日本人相手の客商売をしているからと言っちゃえば、身も蓋もありませんが、通行人に道を聞いたときも、「ニホンゴ、ワカリマス」という若者がけっこういました。年配の、日本の植民地時代の生活経験のある方ならまだしも、フツウの若者が日本の言葉やカルチャーを自然に受け入れていることがよく解りました。

 日本人が外国語をこれほど自然に操って、外国人ゲストにホスピタリティを与えられるだろうか、と考えさせられます。ややもすると、異なる言語、異なる習慣の人にひるんでしまい、慣れるまで時間がかかる日本人…。外国に支配された経験がなく、外国語が生活に浸透することもなかった私たちと、日本や西欧列強の支配を受けてきた台湾の人々の背景の違い、と理解すればいいのでしょうか。

 

 私は、京都や奈良や、日本酒造りといった、日本らしさを体現する場所やモノを愛好し、日本人とは何かを考え続けてきましたが、それを、ただ自己消化して終わるのではなく、外に伝える努力、理解してもらう努力が必要なんだと、台湾の人々を見て実感しました。

 

 

 今月発行の静岡県広報誌MYしずおか最新号の県観光政策特集で、通訳案内士の資格を持つ中国人の方を取材したのですが、その人が「観光で来日した外国人に日本のどこがよかったかをアンケート調査したら、京都や富士山ではなく、“日本人”という答えがナンバーワンだった」と教えてくれました。日本人は親切で清潔で、(とくに中国や韓国の人は)今まで持っていた日本人のイメージが変わったと。

 観光って、やっぱりそれが原点なんだって、今回の旅で身を以って確認できた気がします。

 

 


富士山静岡空港フライト体験記その5・故宮博物院編

2009-06-13 13:11:42 | しずおか地酒研究会

 6月6日台北3日目午前中は、待望の国立故宮博物院です。オプションツアーも用意されていましたが、私たちはできるだけ公共交通を利用したくて、地下鉄とバスを乗り継いで向かいました。行先等が漢字表記でなんとなくわかるってのが助かりますね。ハングルだったらちんぷんかんぷんでした。

 

 まだ20代の駆け出しライターだったころ、JR掛川駅新幹線口の地域物産所『これっしか処』のチラシ広告の仕事をいただいたことがありました。当時、これっしか処は掛川市と静岡伊勢丹の第3セクターで運営されていて、伊勢丹から出向してきた情報通の巻田荘次店長とともに、中遠~遠州地方の酒蔵をはじめ、手作り名産品の生産者を訪ね歩いて多くの情報や人脈を得ることができました。その中に陶芸家も何人かいて、窯場を何ヶ所か訪問するうちに、ただの土が、人の手によって生活民具に加工され、さらには芸術作品にまで昇華されてきた歴史に魅了されました。

 

 静岡酵母開発者の河村先生には「吟醸酒を味わう杯には、唇につけたときのあたりが軽く、器の存在感を感じさせない極限まで薄い磁器がいい」と教えていただき、九州有田や唐津、京都清水へ一人で器探しの旅をしたこともあります。しずおか地酒研究会では、陶芸家をゲストに招き、参加者もMYお猪口を持参し、陶芸談義を楽しむサロンを開いたことも。たしか千寿酒造の山下社長が値段が付けられないというレアもの古伊万里を見せてくれたっけ…!。

 

  

Imgp0960  そんなこんなで、陶芸―とりわけ白磁や青磁の世界に憧れていた私にとって、故宮はひとつの“聖地”。

 1日2日じゃ回りきれないだろう、ポイントを絞って回らないと…と覚悟して入館したところ、展示フロアは本館の1~3階のみ。新石器時代から清代皇室モノまで年代・テーマ別に分かれていて、とても観やすかった!

 

 

 

 ご存じのとおり、清王朝の至宝が結集した故宮博物院は1925年に北京の紫禁城に開設されたものの、31年、戦火を避けて持ち出され、国内を転々と移動し、49年の国共内戦で国民党が台湾に持ち出しました。その数約60万点。現在、総コレクション数は65万点に及んでいます。展示室にはそのごく一部が常設展示されていて、期間限定の特別展が定期的に併催されます。つまり、行った日に運よく観られるものと観られないものがあるんですね。

 

 この日はタイムリーというか、特別展は三国志の赤壁の戦いがテーマ。文書資料が中心でしたが、映画レッドクリフシリーズを観た者にしたら、実際、こうして文書や墨絵でしか伝承されていない三国志の世界観を、ああいう映像美に仕立て上げた映画監督というのは、やっぱり大変な才能とイマジネーションの持ち主なんだなぁと改めて再認識しました…。

 

 

 とにもかくにも、歴史をさかのぼって古い時代のものから順番に観ることに。各展示室ごとに、中国語、英語、日本語の解説パンフレットが置いてあって、この展示室が目指したコンセプトや鑑賞ポイントが説明してあります。土曜日とあって、館内は団体客や修学旅行生などでごったがえしていて、中国語、英語、日本語のツアーガイドの声が飛び交っていました。フリー客の多くは有料音声解説キットを耳にしていましたが、私はまずは先入観なしにモノを観てみたいのと、展示物解説なら、どこかの日本人ツアーにまぎれて日本語のツアーガイドの説明を聞けば済むというセコい根性(苦笑)で鑑賞に臨みました。

 

 お目当ての白磁・青磁器は、宋(960~1279年)・元(1279~1368年)の時代の展示室にありました。

 白磁の定窯(ていよう)、青磁の汝窯(じょよう)。陶磁器に興味のある人なら必ず耳にする名窯です。日本の陶芸ファンの“聖地”である大阪市立東洋陶磁美術館でも定窯や汝窯の名品を観ることができますが、宮廷御用達の官窯的立場だった汝窯には、宮廷秘蔵品がベースの故宮コレクションでしか見ることのできない貴重な逸品が多いとか。

 貫入(釉層に入ったヒビ)のない、澄みきった“雨過天晴”のごときスカイブルーの水仙盆は、さすが宮廷の秘蔵品!と唸らせる品格がありました。

 

 私が気に入ったのは定窯の白磁壺。ガイドブックなどに紹介されている有名な白磁蓮花文龍耳壺も素晴らしかったのですが、目に留まったのは、壺の表面には何の装飾もない、ツルっとしたシンプルな、いかにも壺らしい形の白磁壺でした。

 

 シンプルな白磁器というのは、現代のライフスタイルにも好まれ、カジュアル雑貨から高級料理用まで、あらゆる場面で重用されていますよね。この、シンプル=美しいという価値観を、1000年前の中国の職人や宮廷の目利きたちが持っていたというのが素晴らしい。

 そして宋代の白磁や青磁のクオリティが、それ以降の陶芸職人や作家たちのひとつの道しるべになった・・・。

 

 

 今回、観られた点数はそんなに多くはなかったけれど、素人の目から観ても、他の美術館やコレクション展で観てきたものとは違う、超一級品だけが持つ近寄りがたさというのか(うまく説明できないのですが)、多くの先人たちが必死で守ってきただけ重みがあるって解ります。

 

 モノづくりを志す人間は、どんなジャンルのものであれ、可能な限り一流のもの、ホンモノを観て、自分の基準値を養わなければならないんだなと実感しました。

 故宮は館内撮影禁止なので、画像はこちらでお楽しみください。

 つづきは次回へ。