杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

江戸のトラベルライター菅江真澄

2010-08-19 20:40:10 | 歴史

 暑い時期は外を出歩かず、極力涼しい室内に居るようにしているズボラな私。先日、久しぶりに取材資料を借りに静岡県立図書館に行ったら、朝一番(10時)すぎなのに閲覧デスクには人がいっぱい! 学生から年配の方まで幅広い年齢層で埋まっていました。この酷暑続きでは、少しでも早い時間から図書館に涼みに来る人が多いのも無理ないんですね~。

 

 

 さて、10冊ほど借りた資料のうち、半分は『菅江真澄遊覧記』全5巻(内田武志・宮本常一編訳/平凡社)。菅江真澄とは宝暦4年(1754)~文政12年(1811)に生きた江戸後期のトラベルライターで、生まれは三河(現在の豊橋市あたり)。国学や本草学を学んでフィールドワークに出て、信濃~出羽~奥羽~蝦夷地まで長い旅をした後、久保田城下(秋田市)で秋田藩の地誌づくりに取り組み、仙北郡神代村(秋田県田沢湖町)で現地調査をしているときに亡くなった、という人です。

 

 

 

 民俗学の世界では知られた人のようですが、恥ずかしながら私、全然知らなくて、先日、取材で国立劇場の演出プロデューサー田村博巳先生にインタビューしたとき、先生が手掛ける『平泉毛越寺の延年の舞』の元ネタが、菅江真澄遊覧記にあると聞いて、あわてて勉強し出した次第。

 

 

 平泉を訪ねたエピソードは、彼が南部・津軽路を歩いた時の日記『かすむ駒形』に登場します。延年という舞は、平安時代から、京の都の諸大寺で法会(常行三昧供の修法)のあとに奉納されていた歌舞で、能や狂言の原型になったもの。京や奈良の寺では江戸時代までに廃絶してしまったのですが、奥州藤原氏の平泉文化が華開いた毛越寺では800余年間、伝承され続け、今も1月14日から始まる常行三昧供の結願日(1月20日)夜の二十日夜祭で奉納されています。

 

 毛越寺には800年前の仏像や宝物類はほとんど残っていないのに、延年の舞という無形文化財だけは所作や台詞や音楽などもちゃんと残っている。その価値を多くの現代人に伝えようと、田村先生が劇場舞台版にアレンジし、来年3月、静岡音楽館AOIでも上演されることになりました。その舞台版のナレーション原稿に使ったのが、菅江真澄の日記。227年前の天明5年(1785)1月20日に彼が観た延年の舞を、2011年の舞台で再現することになったわけです。

 

 

 「ふつうなら最も早く消滅してしまうはずの、形のない伝承だけの〈舞〉が、最もよく伝えられていることが素晴らしい」と田村先生。長い間、地元平泉の人しか共有できなかったこの伝統芸能の価値を、現代の東京や静岡で紹介できるようになったのは、菅江真澄がバトンリレーをしてくれたおかげですね。

 

 真澄にしてみれば、延年の舞を何が何でも書き遺そうと意気込んで書いたわけではないと思いますが、彼の「ニッポンを自分の足で歩いてウォッチングしよう!」というライター魂?が、貴重な文化伝承の一助になっていると思うと、ライターという仕事が改めていとおしく思えてきます。

 

 

 

 

 

 毛越寺を後にし、北上した彼の日記『岩手の山』には、私が地酒の取材で南部杜氏の故郷を訪ねた時に馴染んだ地名がたくさん出てきます。

 

 

 「黒石(北上市)という村に来ると、家ごとの門の柱の左右にわらの人形を作り、これに弓矢、剣を持たせ、しとぎのようなものを、そのくびに鈴のようにかけてあった。風邪などが流行るとこのような人形を作り、餅、だんごなど家々に住む人の数だけつくって、人ごとにそれでからだをなでながら、糸に餅を通し、人形の首にかけて門に結びたてて置くという」

 

 「走湯山高水寺(紫波郡紫波町)はむかし郡山にあった。そのころ称徳天皇が建てられたのは、そのたけ一丈あまりの観世音である。伊豆の国走湯山権現(熱海の伊豆山権現)を、清衡がここにうつしてまつられたという」

 

 「三本木平(十和田市)は故郷三河のもとの野原、信濃路の桔梗が原、遠江の三方が原などにたとえられよう。行きかう人もまれで、朝露をふかくわけいってくると、下男を連れた法師が煙草をくゆらせながら、お休みなさいと語りかけた。(新続古今集で中務卿宗尊親王が)“故郷の人の面影月に見て露わけあかす真野の萓原”と読まれたのはこの野原であるなどと話し合って別れた」

 

 

 

 北上は、磯自慢の杜氏多田信男さんの実家が、紫波町は喜久醉の前杜氏富山初雄さんの実家があります。真澄が、訪ねたかの地で故郷三河や遠江の風景を想起したように、私もこの地を、静岡の酒と連動せずにはいられません。

 あ~あ、旅に出たいなぁ・・・(もちろん涼しくなってから)。

 

 


東京酒紀行

2010-08-15 11:18:17 | 地酒

 8日(日)夜は、松崎晴雄さんの日本酒市民講座が終わった後、平野斗紀子さん、里見美香さん、富板敦さんの雑誌編集者トリオにくっついて有楽町ガードレール下の酒場へ。ふだん飲んだことのないチューハイを頼んでみましたが、こんなジュースみたいなのじゃあ飲んだ気分にならないなぁと思いつつ、酔わないおかげで出版文化について熱く語る3人の話がたっぷり愉しめました。

 もっともこの日は、昼間、新宿ライオンで生ビールをガバ飲みし、夕方は松崎さんの会で88種の日本酒をほとんど網羅し、すでに結構なアルコール蓄積量だったんですけど(笑)。

 

 

 

 

 この夜は神田のビジネスホテルに泊まり、翌9日は午前中、谷中~根津界隈をブラ歩きしました。古い街並みや商店街を散策しようと思ったんですが、月曜のせいか定休日のお店が多くて、お目当ての古本屋や骨董屋も入れず、うろうろしてたら、汗のかきすぎでクラ~ッと立ちくらみ・・・。こりゃ軽い熱中症かと焦って、かろうじて見つけた『谷中ボッサ』という喫茶店へ。古い民家をリユースした、ボサノバが流れる雰囲気のあるお店で、ブラジルを一人旅したことがある平野さんは大喜び。「アサイーのデザートボウル」を頼み、ビタミンCをしっかり補給しました!

 

 

 

 お昼は広尾の日赤医療センター近くにある『一汁三菜』へ。谷根千界隈とうってかわった広尾の高級マンション群を縫って歩くと、改めて「東京って複雑だな~」と実感します。

 

 一汁一菜のオーナー朝川佳子さんには、7月の安東米店カミアカリドリーム勉強会でお会いし、安東米店の長坂店長とは大学の同級生で、店では定食にカミアカリを出していると聞いて、楽しみにうかがいました。カウンター7席しかない小さなお店で、30分近く待ってやっと入れました。

 

 でも待ったかいがあって、ご飯もおかずもホントに身体の芯からほっこりする美味しさ!定食は魚料理がメインで、私は銀だらの粕漬け、平野さんは鯖の味噌漬けを焼いてもらい、ごはんは玄米が売り切れで白米でしたが、お釜で炊くのでほどよい硬さで旨みがギュッと凝縮したような食感。性懲りもせずまた昼間からエビスビールを頼んでしまい、ごはんもしっかりお代わりしてしまいました。日本酒では唯一、喜久醉松下米50を置いてあって、食指が動きそうになりましたが、ここで飲んだら寝ちゃいそう…と、グッとガマン。

 

 

 

 

 時計を見たら15時。飲み疲れのせいか、平野さんも私も、ブラ歩きよりもマッサージがいいなぁと意思統一し、六本木ヒルズに移動し、『コリとれーる』という店名通り?のマッサージ屋さんを見つけ、飛び込みで入ったら、これがなかなかよかった! 長風邪でいろいろ薬を飲んでいたせいか2カ月以上生理が止まっていたのに、翌日いきなり来たので、効果てき面だったようです。

 

 

 

 

 帰りは新宿から高速バス。新宿高島屋地下のイタリアンの惣菜店奥のイートインコーナーで、またまた性懲りもせず、私はスパークリングワインを、平野さんはイタリアの地ビールを頼み、さらにつまみと缶ビールを買ってバスで帰りました。

 

 ビール党の平野さんと、洋酒ではウイスキー派の私としては、いつの日か、『地酒をもう一杯欧州編』を作ろうと意気投合した2日間でした(笑)。

 

 


酒米88種の呑み比べ!

2010-08-12 13:42:01 | しずおか地酒研究会

 8月8日(日)は、八ならびの日ということで、今回で88回目を迎える松崎晴雄さんの日本酒市民講座『飲み比べ!88種の原料米』に参加しました。先日、静岡新聞を退職し、フリー編集者兼農業コーディネーターとして新たな一歩を踏み出したばかりの平野斗紀子さんをお誘いしました。平野さんはしずおか地酒研究会の活動や『地酒をもう一杯』編集時に松崎さんと知己を得ており、久しぶりの再会を喜んでくれました。

 

Imgp2792  今、地酒の原料にする酒米って、全国各地で開発が進んでいるんですね。88種の内訳をみると、静岡県はご存知『誉富士』。近年開発された米で今回試飲できたものだけでも、北から、吟風・彗星(北海道)、吟ぎんが(岩手)、吟の精・美郷錦・秋田酒こまち(秋田)、出羽燦々・山酒4号・出羽の里(山形)、蔵の華・星あかり(宮城)、夢の香(福島)、ひたちにしき(茨城)、とちぎ酒14(栃木)、さけ武蔵(埼玉)、ひとごこち(長野)、雄山錦・富の香(富山)、越の雫(福井)、夢山水(愛知)、神の穂(三重)、白鶴錦(兵庫)、神の舞・佐香錦(島根)、千本錦(広島)、西都の雫(山口)、さぬきよいまい(香川)、しずく媛(愛媛)、吟の夢・風鳴子(高知)、夢一献(福岡)、さがの華(佐賀)、吟のさと(熊本)・・・。

 

 

 これに、一般米で酒にも使われる、きらら397・ゆきひかり(北海道)、むつほまれ(青森)、トヨニシキ(岩手)、あきたこまち(秋田)、ササニシキ・ひとめぼれ(宮城)、しらかば錦(長野)、コシヒカリ(新潟)、右近錦(滋賀)、朝日・アケボノ(岡山)、中生新千本(広島)、松山三井・あいのゆめ(愛媛)、

 

 

 さらに復活した古い品種で、陸羽132(秋田)、改良信交・京の華・亀の尾(山形)、渡船(茨城)、山田穂(兵庫)、強力(鳥取)、造酒錦(岡山)、八反草(広島)、穀良都(山口)、鍋島(佐賀)、神力(熊本)・・・。

 

 

 そして現在各地で主流になっている代表品種として山田錦、五百万石、美山錦、雄町、八反錦などが加わり、日本酒が、実に豊かで多彩な米の醸造酒であることを、改めて認識させられました。

 

 

 

 松崎さんは、

Imgp2796 「酒米の世界は下剋上が激しい。新しい品種が次々に生まれても、栽培上や醸造上の欠陥があって、未だに昭和初期に生まれた『山田錦』を超える米が出て来ない」

「新品種の米を醸造するとき、杜氏や蔵人はどうしても慎重にならざるを得ない。吟醸型の、硬く締めた造りになるので、初期の酒はすっきりしすぎて素っ気ない味になりがち。米の潜在的な力が未開拓の状態の酒も少なくない」

「山田錦は全国で一千軒を超える酒蔵で使われ、膨大な仕込みデータが蓄積されている。長く使われているメリットがそこにある。山田錦を超える米が出るか出ないかは、21世紀の酒造業界の大きなテーマです」

と解説します。

 

 

 …確かに、『誉富士』の酒を飲んでも、どこに新しい米らしさがあるんだろうと首をかしげたくなるほどきれいすぎて、素っ気なさを感じることがありますが、それは米の品質上の欠陥というよりも、造り手がまだおっかなびっくり使っているせいかもしれないんですね。

 

 新しい酵母を使うときも、最初はそうだったのかもしれません。たった1回の仕込みの失敗が、その1年を台無しにし、失敗のレッテルを貼られたら蔵の名に傷がつくかもしれない・・・そんな大きなリスクを、雇われ杜氏や社員蔵人では背負い切れない、という部分もあったでしょう。

 そう考えると、蔵元経営者が杜氏になるケースが増えた今は、リスクがあっても新しい米や酵母に挑戦しやすい環境になってきたといえます。今回、全国から13社の蔵元が参加し、造り手の立場で解説をしました。

 

 

「山田錦の山廃仕込みでは櫂入れを一切せず、麹や酵母の力だけでどれだけのもろみが出来るか試してみた」(雪の茅舎・秋田)

「陸羽132は亀の尾や愛国のルーツとなる伝統品種で、冷害に強く、戦時中は朝鮮半島でも造られていた」(刈穂・秋田)

「五百万石の田んぼで、通常より40㎝も穂の長い突然変異種を発見し、蔵の単独品種“人気しずく”として品種登録もできた」(人気一・福島)

「渡船は山田錦の男親にあたる伝統品種で、脱粒性が高く育てにくい野生種。吸水がものすごく速く、柔らかくて融けやすい」(府中誉・茨城)

「ひとごこちという美山錦系の新品種を自社酵母で醸し、ワイン風に飲めるとお客さんには好評だったが、専門家の先生には高い酸度(1.9)が評価されない(苦笑)」(七賢・山梨)

「広島の伝統品種八反草は、他の伝統品種とは違い、硬くて融けにくい。引き際のきれいな酒に仕上がるので精米歩合を40・50・60%と変えて仕込んでみた」(富久長・広島)

「新品種吟のさとを地元で菜の花農法(3月に菜の花を植えて6月に刈り、その後に田植えする=除草剤が要らない)に取り組む栽培者グループとともに育てて純米酒菜々という酒にした」(瑞鷹・熊本)

 

 等など、酒造りにも米作りにも直接携わる醸造家ならではの興味深いお話をしてくれました。

 

 

 試飲タイムでは、米の個性というよりも、その銘柄の従来の持ち味や使用する酵母の特性のほうが強いという酒もありましたが、1本の酒を介して、造り手との会話がこれだけ弾む会というのも久しぶりで、米の情報とともに、その米に挑戦する蔵元自身の人となり、地域ぐるみの熱の入れようも伝わってきて、その銘柄と地域に対する印象度が以前よりも強まった思いがします。ご当地米で醸すということは、地酒のブランド力を、専門家が品質面にあれこれ講釈を付けるよりもストレートに、より具体的にわかりやすく浸透させるのではないかと実感しました。

 

 

 

 さて、今回の会場の外国特派員協会(有楽町)では、2年前に松崎さんが『吟醸王国しずおかパイロット版第1弾』の試写と静岡吟醸を味わう会を開いてくださった関係で、私に「いまだにあんなすごい酒の映像は観たことない」「完成が楽しみ」とImgp2798 エールを贈ってくれる方もいました。エッセイストの藤田千恵子さんや、オレンジページムック編集長の比留間深雪さんには「早くお渡ししたかった!」と映像製作委員会への入会金までいただきました。本当にありがとうございました。

 

 日本でおそらくもっとも進んだ(業界主導ではないニュートラルな)日本酒の勉強会に参加する、酒の情報感度が最も高い層の人々に期待していただけるのは、制作者としてこの上ない励みになります。

 

 私は今まで、自分は地元静岡に根を下ろしたライターなんだから、外でも静岡の酒しか飲まず、静岡の酒のことだけ応援していればいいと自分を律してきましたが、日本酒の世界は、米だけでもこれだけ地域性が豊かで、造る人それぞれに理想があり、日本を、地域を、そして日本人のモノづくりの息の長さやきめ細やかさを知る価値を、もっと柔軟に学ぶべきだと痛感しました。

 

 学ぶべき対象が、まずは地元静岡県内で、次から次へと湧いて出てきてくれれば有難いのですが、今回の勉強会に関係者が一人も参加していないところをみると、期待薄かな・・・。

 


障害者の人権とマスコミを考える会

2010-08-10 12:31:21 | NPO

 7日(土)は静岡市障害者協会と静岡人権フォーラムが共催する『障害者の人権とマスコミを考える会』に参加しました。

 

 私は『朝鮮通信使』の脚本監修をしていただいた金両基先生のご縁で、先生が世話人代表を務める静岡人権フォーラムに、たまにしか参加できませんが会員登録をし、情報を扱う仕事をする上でいろいろと勉強させてもらっています。日頃、福祉分野のNPO団体の取材や福祉事業の広報物を制作する機会も多いので、自分の活字表現が被取材者の人権に配慮が欠けていないか、逆に配慮し過ぎたりしていないか、行政プレスや大手マスコミの報道に問題はないか等など、以前から関心の強いテーマでもありました。

Imgp2790  

 この日は障害を持つ当事者の立場から、北川俊哉さん(市障害者協会理事)が問題提起をし、当事者、その家族、支援者などさまざまな立場の方が意見交換をし、会を取材に来て、唯一最後まで立ち会っていた静岡新聞の記者さんや、フリーライターでは唯一参加の私も発言の機会をもらいました。

 

 

 障害を持つ人が報道対象になるのは、①スポーツや芸術や起業など“障害を乗り越えて素晴らしい成果を残した”例か、②事件の被疑者や被告に“精神障害があった”“入院歴・通院歴があった”という例。

 

 ①では、「車いすの弁護士」とか「盲目のアスリート」など等、障害がその人の“まくら言葉”にされることがありますが、意見を述べた当事者の一人からは「自分が車いすで生活しているのは、たまたまそういう病気を持っていただけのこと。障害を持つ人が全員、障害を乗り越えて努力しているわけではなく、アスリートだって障害を乗り越えるために頑張ったんじゃなくて、スポーツが好きで普通に打ち込んだ結果のひとつ。何かに打ち込んで頑張る人は頑張るし、多くの障害者は、無理せず障害とつきあって適当に暮らしているんですよ」と率直な声を聞かせてくれました。

 

 これは、障害者固有の問題ではなく、ある職業や属性の人の中から特別な人がマスコミに露出するとき、全員が同一視あるいは類似視されるケースと同じかもしれません。

 ・・・属社会の枠組みが濃い農耕民族社会固有のケースというべきでしょうか。同列に語るのは申し訳ない例かもしれませんが、たとえばコピーライターと聞くと、多くの人がテレビに露出している、テレビCMのキャッチフレーズをネーミングするだけで高い報酬を得るバブリーな業界人、みたいなイメージを持たれるでしょう。でも多くのライターは、いろんな「書く」仕事や「企画する」「調べる」地味な仕事で汗を流しています。世間のイメージなんて、いい加減なんだと割り切るしかない部分もあるんじゃないでしょうか・・・。

 

 行政施設で障害者が運営するカフェを、県内テレビ局2社が取材した際、代表のSさんは「障害という言葉をなるべく使わないで、自分のパーソナリティや考えをしっかり取材してほしい」と頼んだそうです。

 

 静岡第一テレビは彼の自宅での日常生活にも密着し、“障害者の暮らし方が変わるきっかけにしたい”と熱く語る彼に、ディレクターが“どうやって変えたいの?”と問いかける。そんなやりとりが障害者への理解につながるだろうし、VTRの後のアナウンサーのコメントも「Sさんの活動は普通の若者にも刺激を与えてくれるんじゃないでしょうか」と前向きなトーンでよかったと。…最近の第一テレビのニュース特集は、私も日頃からディレクターの誠実な姿勢を感じることが多く、アナウンサーのコメントも的確で好感を持っています。

 

 ところがもう一社は「作業所で働く障害者は外に出る機会がなかったが、こういう場所が出来てよかった」というありきたりのトーンだったとか。Sさんは「取材ディレクターは自分の話をきちんと聞いてくれたが、局の上司の指示でそういうトーンになってしまったそうです」と残念そうに振り返ります。

 

 これも、マスメディアにありがち、というのか、大きな組織ならどこでも「現場」と「デスク」、上下の温度差はあるんでしょうね。現場記者の気持ちをよく理解し、そのとおりに報道させてくれるメディアが今の日本に存在するのかしら・・・。

 大きな組織の中にいては現場の思いが伝わらないとあきらめ、腹をくくって独立したフリージャーナリストやビデオジャーナリストもたくさんいますが、彼らに陽の目が当たるのは「日常に密着した映像」よりも「非日常を切り取った刺激的な映像」が多い。

 

 取材される側にしたら、自分の考えをまるごと伝えてくれるメディアを探そうと思ったら、今の静岡では自分で映像を作り、テレビ局の番組枠を買うしかないでしょう。極論かもしれませんが、テレビ取材を受けた経験のある人なら、不本意感や不十分感はだれでも実感することだろうと思います。限られた時間内で不特定多数の視聴者に伝えるため、あらかじめ練っておいた企画や筋書きどおりに編集せざるをえない番組制作者の事情がそこにあります。

 そういうメディア側の問題も、障害を持つ人に理解してもらう必要があると思いました。

 

 

 一方、②の事件報道に関しては、とくに精神障害を持つ人に対し、報道従事者は真摯に配慮すべきではないかと私も思います。事件を起こした背景をわかりやすく説明しようとするあまり、警察発表をうのみにし、深く取材せず、「容疑者は精神科に通院歴・入院歴あり」「意味不明の発言を続けている」というような文章表現をします。北川さんたちがマスコミに抗議をすると、決まって「報道の自由」や「読者に知らせる義務がある」と返ってくるそうです。

 

 私見を言えば、殺人を犯すような人は、どう考えたってまともな精神状態であるはずはないんで、通院歴や入院歴があるなしなんて報道する意味はないと思います。「意味不明の発言をしている」なんて報道も、情報として何の意味があるんだろう・・・事件と精神障害の因果関係がよくわからない時点なら「慎重に取り調べ中」でいいじゃないのかと思います。

 このような一方的な決めつけ報道が、精神障害の治療やリハビリに努力している人々の人権を深く傷つけているということを改めて知り、こういう勉強会に参加して、耳を傾ける報道記者は静岡にいないのか・・・と暗い気持ちになりました。

 実際、主催者は県内全マスコミを訪問して参加を呼び掛けたそうですが、実際に参加どころか、取材に来たのも静岡、中日の新聞2社だけでした。

 

 

 

 最後の質問時間でマイクを振られた私は「私はライターなので率直にうかがいたいのですが、みなさんが使ってほしくない言葉や、気になる活字表現はありますか?」と聞いてみました。

 

 参加者からは「授産所という言葉は、仕事が出来ない障害者に作業を授けてやる、みたいな上から目線言葉でとても嫌です」、「障害のために働きたくても働けない娘が、家に引きこもっているからといって、ニート扱いされるのが辛いと言っていた、なぜこんな言葉が一般に使われるようになったんでしょう」、「『更生施設』の更生は、本来、犯罪者を更生させるという意味なのに、障害者に対しても平気で使われる」など等、活発な答えをいただきました。こうして実際にうかがってみないと、気がつかないことばかりでした。

 

 参加者の一人から最後にうかがった、「できれば、障害者という言葉に変わるものがあってほしい。障害は、個人にあるのではなく、社会にあるのだから」という言葉はとても重かった・・・。

 

 

 主催者は、11月6日(土)13時からこのテーマのシンポジウムを開く予定です。この時はマスコミ側からもパネリストに招いて、当事者同士の意見交換を行う予定だそうです。詳細が決まりましたら、お知らせしますので、ぜひ一人でも多くのライターやメディア関係者に来てもらいたいと思います!


平野さんの旅立ち

2010-08-06 00:11:47 | しずおか地酒研究会

 3日(火)夜は、焼津にある日本料理『安藤』で、久しぶりに美味しい日本酒と料理をじっくり味わう時間を持てました。

 

 私のことを、ライターとして駆け出しの頃から今日まで、一番近い場所で支えてくださった静岡新聞社の平野斗紀子さんの退職慰労会。33年の勤務にひと区切りを付け、早期退職制度を利用されての新たな旅立ちです。

 

 

 思えば、静岡新聞社出版局が『静岡ぐるぐるマップ』というタウン誌を創刊した頃、下請けの編集プロダクションにバイトで入って、取材の仕事を一から覚えた頃からずーっとお世話になり、農と食の情報誌『旬平くん』、地酒ガイドブック『地酒をもう一杯』など、平野さんが企画された雑誌や単行本のおかげでライターとして大きくステップアップさせてもらいました。

 

 

 紙ベースの出版物がなかなか売れなくなって、出版局でも企画モノが影を潜め、最後の4年間は新聞のほうの編集局整理部に移って夜勤の激務に追われていた平野さん。夜、一緒に飲みに行く機会はすっかり減ってしまいましたが、「時々、夜勤の後、夜行列車ムーンライトながらに乗って京都へ遊びに行っている」と聞いて何度か同行させてもらい、『朝鮮通信使』のロケでお世話になった高麗美術館や興聖寺を案内したことも。高麗美術館学芸員の片山真理子さんには、その後、平野さんが担当する静岡新聞の農林水産面で朝鮮の茶文化について執筆していただき、出版から離れざるを得なかった平野さんをささやかながら側面支援できたことを嬉しく思ったものでした。

 

 

 7月一杯で退職すると聞いたときは、平野さんのことだから多くの同僚や後輩が盛大な慰労会をしてくれるだろうと思い、自分らしい慰労の仕方はないかと考えて、少人数でも平野さんが気を遣わず、美味しいものをゆったり味わえる食事会を思いつきました。

 そして平野さんが画集の出版を手掛けた染色画家の松井妙子先生、『地酒をもう一杯』を通じて親交を深めた喜久醉の青島秀夫社長、しずおか地酒研究会で平野さんも参加して南部杜氏の故郷岩手県を旅行したときのメンバー・青島酒造社長夫人の久子さん、利き酒師の萩原和子さんの4名に声をかけ、4名とも藤枝&島田在住なので、静岡組の我々と合流しやすい焼津の『安藤』に。

 

 昔は飲み会の話題といえば恋愛や結婚バナシに花が咲いたものでしたが、今回は出席者の平均年齢のせいか?病気や病院の話で盛り上がってしまいました(苦笑)。

 

 なんとか平野さんに長い勤務を振り返ってもらおうと話をふると、「NHK朝ドラの〈ゲゲゲの女房〉を観て思ったんだけど、自分の上司もガロを読んで熱くなった世代のはずなのに、管理職になってやっていることはまるでお役所仕事・・・」と本音をポロリ。この人は本当に出版の仕事を愛していたんだなぁと思いました。

 私も〈ゲゲゲの女房〉を通して、描き手や編集者の泥臭いまでの執念・情熱を感じ、今はそういう熱を身近に感じる機会が減ったことを寂しく思います。平野さんは私にとって、熱を伝えてくれる最後の編集者だったかもしれません。

 

 

 この会を平野さんが満足されたかどうかはまだ聞いていませんが、ふだんは飲めない松井先生が『喜久醉』を何杯もおかわりしたり、萩原さんからも翌日「いいお酒と申し分ない料理で、本音でくつろげる人たちとすごす幸せを満喫できた、素晴らしい演出でした」と感謝メールが届いたりして、食事会としては及第点だったのでは、と自負しています。

 

 

 これからはフリー編集者として、また農林水産紙面の担当で知己を得た県内の農業関係者とのネットワークを生かし、新たなコーディネートの仕事ができたらと夢を語る平野さん。私も、平野さんが魅力を感じ、情熱を投入してくれるような出版物を企画出来たらな・・・と思います。

 平野さん、本当におつかれさまでした!