杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

EQコミュニケーション&蒲原はしご酒

2011-11-16 13:39:32 | ニュービジネス協議会

 昨日(15日)はブケ東海沼津で(社)静岡県ニュービジネス協議会主催の『静岡県ニュービジネスフォーラムIN沼津』が開かれ、丸一日取材に駆け回ってました。

 

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 今朝の静岡新聞朝刊にもあったように、今年の静岡県ニュービジネス大賞は浜松の大学発ベンチャー・㈱ブルックマンテクノロジ。ムチャクチャ高感度なのに小っちゃくて低電圧のイメージセンサを開発し、携帯やスマホの動画でも、ハイスピードカメラで撮った超絶スローモーション映像が観られるようになるんだそうです。取材そっちのけで、社長の青山さんに、思わず、「大吟醸の米粒に麹菌が一点くっくつ映像って撮れますか?」と食いついてしまい、「できると思いますよ~」と嬉しいお返事。

 ・・・現実に撮れるかどうかは別にして、夢のあるワクワクした新技術にふれ、ちょっぴり未来に希望が持てました。

 

 

 

 

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 フォーラムの基調講演では、石川県小松市にある医療法人社団愛康会加登病院の加登康洋院長が、『EQ(感性指数)がもたらす生命の力』という、経済人向けの講演会としてはちょっと珍しいテーマで興味深いお話をされました。

 

 

 IQ(知性指数)というのはよく知られていますが、EQ(感性指数)って一般にはあまり馴染みがないですよね。遺伝的要素が高いIQに比べ、EQは人格的・社会的知性というのか、自分の心掛け次第で高めることができ、アメリカでは学問として能力開発の分野で研究されています。

 

 

 

 これから取材記事をまとめて、11月28日(月)の静岡新聞朝刊に掲載予定のニュービジネスフォーラム特集(全面広告記事)で紹介しますので、ここでも後日改めて紹介するとして、EQを高めるポイントって、コミュニケーションの基本中の基本なんですね。

 

 

 

 

挨拶は大きな声で明るく → 苦手な人にこそ笑顔で。

「ありがとう」を一日10回言う。

 “うんそう屋”さんになる → 会話の中で、「うん」「そう」の合槌を上手に使う。

会話では意識して明るい・積極的な言葉(大丈夫、できるよ、やってみようよ等など)をそれぞれ5個以上言う。

時には自信過剰な言葉(私にまかせて等など)も使ってみる。

決断は“3秒以内”の訓練をする。

机の上に鏡を置き、笑筋(頬と唇の間)を鍛える。

 

 

 

 こういうのって社会人1年目の新入社員を対象にする話じゃ・・・と苦笑いしちゃいましたが、改めて教えられるとなるほどと思います。

 今日の午前中、さっそく仕事先で、いつもより大きく明るい声で挨拶しちゃいました。徹夜同然で必死に用意してきた原稿を目の前でほとんどボツにされて、いつもならムッとしちゃうところですが、“EQを高めるための訓練だ”と思えば、「よりよい情報を効果的に発信するためだ」と前向きになれるんですね。修正したものは、結果的に、クライアントが「いつもより面白くなった」と満足してくれたのでホッとしました。・・・気持ちの持ちようって大事だな~としみじみ実感しました。

 

 

 

 

 

 

 

 さて、今日はイベントのお知らせを。11月20日(日)に、静岡市清水区蒲原地区で、『蒲原宿場まつり』が開かれます。その前夜の19日(土)16時から21時まで、『蒲原宿場まつり前夜祭2011~酔まち散歩』というはしご酒イベントが予定されています。

 

 

 JR新蒲原駅周辺には、地酒研のお仲間である『よし川』さん、地酒の名店『鮨処やましち』さんがあります。この2店に、『酒場岩科』『THe 69 COWBOYS』が加わった4店を、時間内にブラブラはしごしてもらおうというもの。1軒あたり700~1000円の「酔まちセット(ワンドリンク&おつまみ)」が楽しめます。

 

 

 よし川の女将さんから「初めての試みですが、ぜひお越しくださいな」と丁寧なご案内を頂戴しましたので、なんとか仕事を片付け、参加しようと思います。

 

 

 はしご酒のようなイベントでは、初対面同士が相席になるので、EQコミュニケーションの能力を高める訓練にもなりますね! お時間のある方はぜひいらしてくださいね!

 詳しくはこちらのよし川さんの告知を。


井植さん、三谷さん、マルクスさん、青島さんに感動!

2011-11-14 10:15:27 | アート・文化

 ここ数日、やたらと時間に追いまくられ、疲れているのも忘れるぐらい疲れてしまってましたが、パニックにならずに済んだのは、いいお話、いい音楽、楽しい映画に触れたおかげでした。忙しいときほど、気持ちを「弛緩」する時間をちゃんと持つって自己管理上、とても大事だと思います。

 

 

 10日、大阪国際会議場で開かれた『新事業創出全国フォーラムIN関西』では、三洋電機㈱の元会長・井植敏さんが意外な?ニュービジネスへの取り組みを披歴されました。井植さんといえば、岐阜にあるノアの方舟みたいな巨大太陽光発電装置「ソーラーアーク」を造ったユニークな経営者としても知られていますが、三洋の最高顧問を退かれ、“後期高齢者”になってからの夢として現在、取り組んでおられるのが、「タップダンス」「ペット乳牛」「魚礁」。

 

 タップダンスというのは、高齢者でも楽しめる、椅子に座ったままの腰掛けタップで、30分タップを踏めば、30分ウォーキングしたのと同じ効果があるとのこと。これを井植さんが提唱し、スクールを立ち上げ、「いずれ特許を取る」と闊達にお話されました。

 

 ・・・実はつい一昨日、街中で道路の段差につまづいてドターンとすっころんでしまったのです。土曜の夕方で、通行人の往来も多く、「大丈夫ですか」と声をかけられ、何事もないふりをしてそそくさと立ち去ったのですが、後で左足首が痛くて痛くて・・・(苦笑)。ひと月前、自転車に乗っていて道路のど真ん中ですってんころりんして、通行人に憐みの声をかけられたばかり。まだ40代なのに、この衰えは何なんだ~と自分が情けなくなりました。年齢って下半身に着実に来るんだと実感していたので、井植さんの「腰掛けタップを広めよう」という試みにはビンビン感じるものがありました。

 

 「ペット乳牛」というのは、井植さんがペットとして乳牛を飼い始め、MY牛乳、MYチーズ、MYヨーグルトを作るという試み。作った製品は他の人に売ろうとすると大変なコストがかかるので、あくまでも自家消費分だけなんですが、「自分で牛を育て、チーズやバターを作ってみて、酪農の未来を考えるいい機会になった」と井植さん。ふだんは牧場に飼育を委託し、パソコンやスマホで飼育状況をウェブチェックするというIT活用も抜かりなし。「都会の金持ちが地方にカネを落とす方法」として仲間を増やしているそうです。

 

 「魚礁」も、故郷の淡路島に4トンのアオリイカが集まる魚礁を作り、漁業の未来を考える活動に展開されているそうです。井植さんのような経験豊富な経営者が、一次産業に真剣に向き合えば、何か新しいものが生まれるのでは、とお話を聞きながらワクワクしましたね。

 

 

 TPPが実現すると、トレーサビリティしにくい農畜産物や水産加工物が海外から安価で大量に入ってくるでしょう。子育てファミリーにとって、本当ならば国産の、さらにいえば、自分で育てた牛から作った牛乳やチーズを子どもに食べさせたい。でもそんなぜいたくは、子育て世代には出来ない。スーパーの安売り品につい手が出る・・・。そんなとき、お金に余裕のあるおじいちゃんおばあちゃん世代が、こういう事業に参加して、自分の孫に安心安全なものを食べさせようって運動につながれば、子育て世代にとっても、一次産業従事者にとってもメリットがあるのかもって感じます。若者が高齢者を支える一方ではなく、元気な高齢者が若い世代を支えるしくみがあってもいいですよね。同じ日本人同士なんだから。

 

 

 

 大阪から夜行バスで帰る前、時間があったので、大阪ステーションシネマという駅ビルに出来た映画館で、ちょうど時間的に合った『ステキな金縛り』を観ました。時間つぶしのつもりだったんですが、おそらくウン十年ぶりぐらいに、映画館で映画を見ながら声を出して笑ってしまった。人前で笑うこと自体、本当に久しぶり。意味があるのかないのかわからないけど、法廷内でタップダンスを踊るシーンがあって、よけいに笑けてしまいました。

 

 映画を観る時って、ややもすると、監督の演出や脚本や俳優の演技力等など、〈要素〉であれこれ理解しようとするクセがあるんですが、そういう小癪な鑑賞方法がくだらないって思えるぐらい作品の世界観を素直に感受できました。三谷幸喜監督が、そういう世界観を醸し出すまで、本当はウ~ンと緻密な造りをしているんだろうと想像すると、よけいに、人間が創るモノって素晴らしいなあと思います。

 

 

 

 人間が創り出すモノの素晴らしさ。音楽もそうですね。12日夜はAOIでマルクス・パヴリックのベートーヴェン・ピアノソナタ23番『熱情』、29番『ハンマークラヴィーア』を聴きに行ったのですが、ピアノ1台でかくも壮大な音の世界観を醸し出せるのかと身震いするほどでした。

 

 この演奏会のことは、以前、AOI会報誌の取材で芸術監督の野平一郎先生から「世界ナンバーワンのベートーヴェン弾き」とうかがって、そんなすごいピアニストが静岡に来るのかと驚いてすぐにチケットを買ったのです。なんでも第29番『ハンマークラヴィーア』は、交響曲並みのスケールで、完璧に弾きこなせるピアニストは世界を探してもなかなかいないそうです。

 途中でマルクスさんがミスったみたいで、一瞬、「I`m sorry」と両手を鍵盤から離した瞬間があったのですが、どこをどう間違えたのか素人にはまったく判らず。ご自分でミスが許せなかったのかなと思うと、よけいに職人魂みたいなものを感じて、感動してしまいました。

 

 

 

 13日午後は以前、お酒のお話をさせていただいたことのある藤枝ライオンズクラブさんの創立50周年記念チャリティーコンサートに行ってきました。テレビの音楽番組の軽妙なトークでお馴染みの青島広志さんが指揮を務められ、これが終始、笑いっぱなしの爆笑コンサート。拍手のタイミングとか、スタンディングオベーションのマナーの(押しつけがましい)教え方が、ライオンズ関係のおじさま・おばさま衆に大受けでした。音楽界のきみまろさんみたい??

 

 

 

 プログラムは「カルメン」「フィガロの結婚」「アイーダ」「魔笛」「トゥーランドット」等などオペラの有名歌曲が中心で、最後に、青島さんの指揮で、静岡交響楽団の団員杉浦邦弘さんが編曲したという静岡ゆかりの抒情歌メドレー「ふるさとしずおか・こころのうた」を、静響と藤枝順心高コーラス部&藤枝少年少女合唱団が演奏しました。

 

 私、初めて聴いたんですが、「コレが静岡の歌です」って世界に出しても自慢できるハイレベルの、実に素晴らしい合唱曲でした。「ふじの山」とか「茶摘」があんな気品あふれる交響曲にアレンジされるとは・・・。青島さんも絶賛し、編曲者杉浦さんをさかんにタテておられました。

 バックに美しい静岡の風景の映像でも流れたら、立派な舞台芸術になると思います。ぜひふじのくに自慢のソフトに育ててほしい!!

 

 

 人を感動させ、やる気を出させるものって、やっぱり人間が創り出すモノなんですね。

 さあ、感性の英気を充電し、新しい1週間の始まりです。今週もバタバタしてますが、頑張りまっせ。

 


中日新聞富士山特集「富士山画」掲載

2011-11-12 09:39:19 | アート・文化

 11月10~11日と、大阪で開かれた、ニュービジネス協議会の全国連合組織・日本ニュービジネス協議会連合会&中小企業基盤整備機構が主催する『第7回新事業創出全国フォーラムin関西』に参加しました。昨年、静岡県ニュービジネス大賞に選ばれた、嚥下誤飲防止用の介護食(本物そっくりに成形したソフト食)開発のウェルビーフードシステム(静岡市清水区)が、なんと、『ニッポン新事業創出大賞』企業部門最優秀(経済産業大臣賞)を受賞しました!!つまり新事業創出(ニュービジネス)分野の全国ナンバーワンに選ばれたわけです。

 

 

 

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 ウェルビーフードの古谷博義社長は、静岡県ニュービジネス協議会草創期からのメンバーで、私もかれこれ20年余のおつきあい。とても温厚で懐の熱~い方で、『吟醸王国しずおか』映像製作委員会にも入ってくださっているんです。会場には静岡県ニュービジ協から5人駆けつけたんですが、みんなで我が事のように小躍りしてしまいました いやぁ~嬉しいですね、ホント。

 大阪出張の詳しい内容は追って、ゆっくりさせてもらいます。

 

 

 

 

 

 今朝(12日)、大阪からの夜行バスで帰ってきたばかりで(眠・・・)なので、とりあえずはご報告を。

 

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 12日の中日新聞朝刊に、富士山特集第8弾(私が担当して7弾目)が掲載されました。今回も富士山を描いた絵画の紹介ですが、静岡文化芸術大学の片桐弥生教授に、日本絵画史における富士山の存在と、富士山画を巡る画家たちの人間模様について、興味深いお話をうかがいました。

 

 あの、東海道五十三次の広重は、富嶽三十六景の葛飾北斎がキライで、「北斎の富士山は絵じゃない」な~んて批判的だったとか・・・。もう少し文字スペースと参考絵があれば丁寧に紹介できたんですが、限られた紙面で障りだけですが面白い記事になったと思いますので、ぜひご一読ください!!

 

 また本文はここでも追って掲載します。


安政大地震で本当に清水に津波が来たのか?

2011-11-09 14:49:17 | 朝鮮通信使

 報告が前後しますが、10月31日(月)夜、静岡県朝鮮通信使研究会第3回例会が行われました。地酒イベントでお世話になっている静岡観光コンベンション協会事務局のかたを「日韓交流事業のお役に立つ勉強会ですよ」とお誘いしたところ、女性スタッフさんが参加してくれました。・・・こういう広がりって嬉しいですね!!

 

 今回、北村欽哉先生が取り上げたテーマは2つ。一つは朝鮮通信使とは関係ありませんが、先生ご自身がまとめられた震災がらみの論文『安政の大地震と清水湊―清水湊八ヶ町に津波は来なかった』です。

 

 

 東日本大震災の後、学者の間では、過去の大地震津波の痕跡を調査し、“先人の経験や知恵に学べ”という論調がさかんですね。それはそれで正しいことだと思いますが、過去の痕跡を見誤ると、間違った対策を取りかねないことを先生は指摘されました。

 

 

 今年5月30日付けの静岡新聞夕刊に、「歴史津波に学ぶ・ゼロからの出発」シリーズ9として安政東海地震で清水湊が津波に襲われた記録が紹介されていました。

 記事には、

「津波は巴川河口東岸部の向島の浜を乗り越えて湊を襲った。停泊していた廻船や漁船の大破など甚大な被害をもたらした」

 「県の推計では、河口部の津波は高さ約3メートル、河口から約2キロ常住の専念寺にも、川水があふれて墓地が水浸しになり、魚が泳いでいたとの言い伝えが残る」等と書かれています。

 

 

 しかし、ご実家が清水湊の廻船問屋だった北村先生は、この記事に首をかしげたそうです。津波については、幼いころから「清水は三保が防波堤になるから津波は来ない」と聞かされ、ご実家の史料にも津波にやられたという記述はなかったからです。

 

 

 

 そこで、先生はあらためて古文書・古記録・古地図類を徹底的に検証されました。

 

 先生が論文で取り上げた『御救拝借懇願書』という古文書は、被災地の住民代表が役所に被害状況を伝え、資金援助を申し出たもので、安政大地震の基本的史料として知られています。これを丹念に読み解くと、津波は確かに向島に達したが、当時の向島(今のドリプラあたり)は人家がなく、停泊していた船が“逆波”で流された。清水湊八ケ町は向島に隣接しているが、ここまで津波が襲ったとは一言も書いておらず、地震によって発生した火災によって「家居、土蔵、金銀、米、銭、衣類、諸道具残らず焼失」と記されています。

 

 

 同じ安政大地震で被災した沼津の重須村(今の三津シーパラダイスあたり)の古文書には「地震が起こるとたちまち家が潰れ、そのあと大山のような津波が3回も来襲し、すべての建物が流出し、河原のようになってしまった。村の三役である百姓代は溺れ時に・・・」と、今日の東北の状況を彷彿とさせるような記述が残っています。津波に襲われたなら、清水の史料にもこういう報告があってしかるべきでしょう。

 

 

 清水側が老中に拝借金を願い出た文書でも、「地震出火による被害」と明快に謳っています。お上に被害を訴えるとき、わざわざ被害を少なめに見積もるようなことはしませんよね。津波にやられたのなら、そうハッキリ書くはずです。

 

 静岡新聞で取り上げていた専念寺の文書には、「地震の節は火事を大一に、皆々防ぐ心得 大一に御座候也 後代の為、コレを記す者也」とあります。火事を第一に、と2度も(あえて“大一”という字を当てて)強調しているところが印象的です。

 専念寺が川水をかぶったという静岡新聞の記述に対しては、「専念寺が面していたのは巴川ではなく江川で、現在は暗渠となり姿を消した。巴川から最も遠い上町の西のはずれにある専念寺まで、巴川の水が来たとすると、上町は全面津波に襲われ、町中に魚が泳いでいたはず。そんな記述はどこにも残っていない」と解説し、「調査した史料全体の中で、圧倒的に多かったのは火事の記録」「史料を正確に読まずに、清水が津波に襲われたというイメージを流布させるのは怖い」と危惧されていました。

 

 先生はまた、当時の幕府の救援対策が、今の政府に比べてずっとスピーディーだったと述べています。史料によると、地震発生から1ヶ月後に清水湊の男性一人あたり7升、女性一人5升の米を支給し、40日後には清水湊の被災家屋760軒に対し、1軒当たり40万円ぐらいの義援金を支給しました。

 

 住民側も自治組織がしっかり出来ていて、被害状況をすばやく掌握し、「倹約しよう」「お祭りは当面自粛」「名主の給料は3年間半額」「湊の役金、海苔・蛤取り・三保渡船に震災復興税を課税する」といった取り決めをしているのです。・・・新聞記事ならば、不安をあおるばかりじゃなく、こういうエピソードも紹介してほしいですねえ。

 

 

 

 

 もちろん、先生は、津波の心配はないとおっしゃっているわけではありません。当時と今とでは状況が変わっているし、今、安政大地震規模の地震と津波が発生すれば、旧清水市中心部が被災する可能性は非常に高いと思われます。

 

 

 

 

 今回の東日本大震災では、想定をはるかに超えた津波が襲いました。先生は「自然災害を“想定できる”と考え、それを超えたものを“想定外”とするのは人間の奢り以外の何物でもない」とし、今、我々に出来ることは、過去に起きた被災状況を正確に理解すること、安政クラスを凌ぐ巨大地震と巨大津波が起きることを肝に銘じること、と真摯に述べられました。

 古文書を正しく読み解くためにも、地震学術会議には、ぜひ先生のような歴史専門家を加えるべきだと実感します。

 

 

長くなりましたので、例会メインテーマ「駿府城に朝鮮被虜がいた」はまた後日。


下田の街歩き

2011-11-07 17:48:50 | 地酒

 11月第1週の先週は、あちこちバタバタ飛び回っていて、報告が追い付かず終いでした。31日(月)は静岡県朝鮮通信研究会、1日は伊豆下田の取材、2日は浜松・静岡文化芸術大学の取材&茶道研究会、4日は市内で打ち合わせ&県立図書館で資料探し、5日は静岡市民文化会館大ホールで上川陽子さんの活動報告会のMC。3日と6日の日祝日も原稿執筆に追われました。関係各所でお世話になった方々には、この場を借りてお礼申し上げます&「ブログを楽しみにしてます」のエールにすぐにお応えできず、申し訳ありません・・・。

 

 今日はとりあえず、下田の取材でお世話になった方々へのお礼も込めて、1日の下田取材について報告します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 下田を訪ねるのは昨年5月に、植松酒店さんのお声掛けで『吟醸王国しずおかパイロット版』試写会をやらせていただいて以来(こちらの記事)。昨年は大河ドラマ『龍馬伝』の影響で、下田も「下田龍馬伝」というまちおこしで盛り上がっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 下田といえばペリーが日米和親条約を結び、ハリスが初代アメリカ総領事としてやってきた黒船開国ゆかりの町。ペリーの艦隊に乗り込んで密航しようとした吉田松陰や、ハリスの世話役になって数奇な半生を送った唐人お吉、そして、勝海舟が山内容堂に坂本龍馬の脱藩の罪を許してもらおうと、飲めない酒をイッキ呑みして赦免を勝ち得たという、歴史ファンにはたまらないお宝エピソード満載の町ですね。今回、依頼された取材は、下田の日帰り旅をフリーテーマで紹介するものなので、好きな歴史めぐりを満喫し、グルメやお土産モノを植松酒店さんにアテンドしてもらっちゃいました。

 

 

 

 

 

 

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 この時期の平日なので、観光客はまばらでしたが、ポカポカ陽気で街歩きには最適。少し汗ばむくらいでした。

 お吉と龍馬ゆかりの「宝福寺」も、日米和親条約締結の「了仙寺」も、ペリーロードの柳並木も、前回、初夏の花ざかりに訪れたときに比べると色彩に欠けるというか、ちょっと寂しかったかなあ。紅葉する落葉樹が欲しいところですが、気候的に難しいのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 了仙寺からペリーロードを進むと、行きつく先は下田公園の小高い山。階段を上がると、写真機の開祖・下岡蓮杖の碑が待ち受けます。

 

 

 

 さらに公園内に進むと、日米の国交の始まりを記念した「開国記念碑」が。昭和28年に下田開港百年を記念し、建立されたもので、題字は当時の吉田茂首相。ペリー、ハリス、マッカーサー、カーター元大統領の言葉も刻まれているんですね。この公園はあじさいで有名で、花のないこの時期に訪ねるのは初めて。誰もいない静かな公園に、日本の近現代史を動かした、その名を知らぬ人はいないアメリカの偉人たちのレリーフ・・・このアンバランスさが面白Imgp5129
かったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沿岸道路まで降りて、港湾の一角にある「ペリー艦隊上陸記念碑」を撮ろうPhotoとしたんですが、海をバックに撮ろうとすると、ペリーの顔が見事に逆光になります。精一杯加工して、これがやっと。無理やりよじ登って撮ろうとしたら、カメラを手にした家族連れがやってきたので、そそくさと退散しました・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 商店街では、以前もおじゃました、植松さんや同志の楠山たちが活動するNPO法人下田にぎわい社中の事務局を訪ね、アンテナショップ「にぎわい交流館らくら」と、隣接する昔の看板ギャラリー(土藤酒店)、下田で一番勢いのあるひもの屋さん・小木曽商店、人気お土産ナンバーワンの下田あんパン(平井製菓)、ハリスの足湯(無料足湯スポット)等を回りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 植松さんがプロデュースする下田自酒倶楽部オリジナル酒『黎明(れいめい)』は、下田産キヌヒカリを原料にした純米吟醸で、以前は富士高砂酒造(富士宮市)に委託製造してもらっていましたが、今年から高嶋酒造(沼津市)で造ることになりました。若く、意欲的な蔵元杜氏・高嶋一孝さんの手によるオリジナル酒、“自酒倶楽部”らしさがますます発揮されるんじゃないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 お昼には植松さんが紹介してくれた大衆割烹なかがわで、キンメダイの煮付け定食を頼んだんですが、このサイズにはビックリ! でも味付けは見た目ほど濃口ではなく、ふっくらした身は食べ応え十分。ごはんがホイホイ進んで、残さずたいらげてしまいました!。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 日帰りImgp5077温泉スポットを紹介するコーナーには、金谷旅館の千人風呂を取り上げました。名物の千人風呂は、本来は混浴で女性も入れるんですが、女性専用の「万葉の湯」が出来てからは、男性しか

入らなくなったそうです。私も以前、万葉の湯には入ったことがあるんですが、千人風呂は写真でしか観ることはありませんでした。

 今回は、植松さんの紹介ということで、特別に千人風呂の写真を撮らせてもらいました。しかも入浴中のお客さん付き(笑)!もちろんお顔はわからないよう、ストロボ発光オフで撮らせていただきましたが、ホント、貴重な経験でした・・・(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 以前、同様の取材で真鶴を訪ねた時、町の酒屋さんに(事情通だと期待して)リサーチをかけようとしてアテが外れ、そのことをブログに書いたら、真鶴の人から「町の酒屋に聞くなんて・・・」と批判コメントをもらいました。でも植松さんのような酒屋さんもいるんです。私が知っている酒屋さんは、ほとんどそうです。生産者の姿勢を見て、自分の舌を信じて商品を選びぬく、商人としての矜持をきちんと持った酒屋さんは、同じような姿勢の商店とつながっているし、町を良くしようと活動する人々との人脈がある。そういう酒屋さんがいる町を取材するときは、本当に楽しいし、リサーチも楽だし、何度も通いたくなります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 植松さんのような酒屋さんが一人でも増えることで、観光地で地酒取扱店が増え、地酒ファンが増えることを心から期待したい。その意味で、今回の取材で本当に紹介したい主役は、植松さんなんです。植松さん、本当にありがとうございました。