杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

「駿府から始まる江戸の町」その2~人形町からくり櫓

2012-04-25 08:35:20 | 歴史

 貨幣博物館の次は、人形町にある「からくり櫓(からくり時計)」を見学しました。駿府静岡にからくり時計を設置しようという会にとってはとても参考になる事例です。

 

 

 

 人形町からくり櫓は、人形町通りリニューアルを記念し、街の新しいシンボルとして2009年11月に設置されたもの。高さがおよそ8mあります。人形町交差点付近に「町火消しタイプ」、水天宮近くに「江戸落語タイプ」の2台が置かれ、毎日12時から19時まで1時間ごとに2~3分のからくり人形が動き出します。

 

 

 

 
 

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 まず、12時を待って「町火消しタイプ」をウォッチング。鳶職人の木遣り唄が流れて櫓の屋根がせり上がり、回転ステージがくるっとまわって人形が登場します。人形町は江戸の町火消しでは「は組」の管轄だそうで、は組の衣装と纏を持った人形がはしご乗りと纏上げを披露
しました。

 2~3分のアトラクションだけど、街中のメイン通りで毎時観られるって楽しいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ちょうどお昼なので、甘酒横丁の豆腐料理店「双葉」でヘルシーな豆腐づくし定食をいただきました。湯豆腐がお代わり自由なんです。豆腐の食べ放題なんて初めて!しかも作りたてだから本当に美味しい♪ ・・・お昼だけど無性に日本酒が呑Dsc00178みたくなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 でもせっかく甘酒横丁に来たんだから甘酒を。通り沿いで1杯100円で売っている甘酒、曇り空の肌寒い日だったDsc00180_2
から身体にジーンと来ました。おばちゃんの笑顔にもほっこりです。

 

 その後、「甘酒横丁」の名の由来となった尾張屋さんという老舗和菓子店の特製甘酒の素を買いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 13時に「江戸落語タイプ」のからくり櫓をウォッチング。通りをブラブラしていたら時間になってしまって、赤信号で足止めを食らい、真下で観ることが叶いませんでしたが、通りの向かいから広角で観ると、なるほど、街中に、時を告げるからくり時計がある風景って、通りが華やいで、いつもお祭りをやっているみたいでいいなあと実感できました。

 

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 「江戸落語タイプ」は下の段に噺家の人形が登場し、上の段では江戸の街並みと町人の人形が出てきて、立川談幸さんの「人形町の由来」という創作小噺を披露します。

 

 

 

 

 

 

 街の歴史文化を凝縮し、時を刻む機能を持たせ、住む人にも訪れる人にも大切な存在になっていくからくり時計。駿府静岡にはどこに、どんな形状のものが創られるのかワクワクしますね!

 


「駿府から始まる江戸の町」その1~貨幣博物館

2012-04-24 10:08:21 | 歴史

 昨日の記事の通り、週末の21~22日に、しずおか時の会の研修旅行で東京・江戸のからくり時計視察をしてきました。しずおか時の会は、こちらの記事でも紹介したとおり、徳川家康公がスペイン国王から贈られた洋時計の鐘の音を静岡の街中で復活させようという活動をしています。家康公が亡くなって400年の節目となる2016年の完成を目標に、歴史好きの人々が地道に研鑚を積み重ねているところ。一過性のイベントではなく、このように地に足のついた街づくり活動、とてもイイですね!

 

 

 

 今回の視察は郷土史研究家の黒澤脩先生の案内で、東京・江戸に残る今川・徳川ゆかりの地を訪ねました。こういうテーマで東京を歩いたことはなかったので、本当に愉しくて勉強になりました。

 

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 最初に訪問したのは、日本銀行金融研究所貨幣博物館。ここには駿府で鋳造された「駿河小判」が保管されています。以下は黒澤先生が用意してくださった視察資料の一文です。

 

 

 駿府大御所政治、それは「朝廷文化」に対抗して「武家文化」を完成させるための巨大な実験室だった。駿府の政治・経済・文化が江戸に移り、後の江戸の行動様式の基となって江戸幕府を強固なものとした。

 

 「幕藩体制」は駿府で準備され、三代将軍家光の時代に完成した。経済面では全国統一貨幣「駿河小判」が駿府で鋳造され、度量衡は今川時代の制度(吉川守随の秤座)を家康が江戸幕府に採用した。小判はそのまま使える通貨として生まれ、駿府で鋳造されていた。金本位制度や度量衡制度も、駿府での影響がとくに強い。

 

 

 

 

 

 

 また以下は貨幣博物館でいただいた資料の一文。

 

 

 江戸時代は金貨・銀貨・銭貨という3種類の性格の異なる貨幣が並行的に通用する独自の三貨制度がとられた。産金地域の東国を基盤に天下を統一した徳川家康は、最初、金貨を中心にした貨幣制度を導入しようと考え、1枚ずつ数えて使う計数貨幣を発行した。また小額貨幣については、中世から渡来銭などの銅貨(銭貨)が庶民の日常生活で使われ、全国的に定着していた。

 

 一方、銀の産地の多い関西では、重さを計る銀貨(秤量銀貨)が使用されていた。当時、強い経済力を持つ大坂商人たちが中国などの東洋諸国との貿易に銀塊を使ってきた背景もあり、家康の力をもってしても、関西での「銀遣い」の習慣を変えることはできなかった。このように関東の金遣い、関西の銀遣いといわれる慣習が成立し、また銅貨は渡来銭に替わり、幕府が発行した寛永通宝に統一され、庶民に使われた。

 

 金・銀・銭という3種類の貨幣が流通していたということは、たとえば日本という一つの国の中で、円・ドル・ユーロといった独立した貨幣が同時・並行的に使われたようなもの。離れた地域間の商取引や旅行の際には、その時々の相場で貨幣を交換することが不可欠となり、それを仲立ちする存在として両替商が発達した。つまり両替商が現在の外国為替公認銀行のような役割を果たしたわけである。

 

 江戸時代半ばの明和期(18世紀後半)になると、秤量に手間のかからない一定重量の銀貨(五匁銀)が作られ、次いで純銀に近い良質の銀を使い、一定額の金貨とリンクさせた計数銀貨(二朱銀)が作られた。この計数銀貨は、便利なものだということで需要が増え、江戸後期には秤量銀貨の流通量をしのぐまでになった。

 

 金貨とリンクした計数銀貨の二朱銀(二朱銀8枚=16朱と小判1両が交換できた)が作られたことで、銀貨が金貨の補助貨幣として使用されるようになったため、この時期にわが国で金本位制が確立したとする考え方もある。この考え方によると、イギリスの金本位制度の成立(1816年)よりも早いことになる。

 

 

 

 

 

 

 世界に先駆けた金本位制度や重要な度量衡制度も、駿府から発信されたものだと思うと、駿府大御所時代はもっと高く、正しく評価されるべきではと実感します。・・・大事な大事なお金の成り立ちについて、あまりにも無知でした。

 

 

 ちょうど企画展として「版木からみた江戸・明治期の銭譜」というのをやっていて、江戸時代にさまざま編集・出版された貨幣図鑑を観ることができました。当時の印刷・出版技術を知ることも出来て、ライター&エディターの眼から観ても大変興味深かった(5月6日まで開催中)。

 

 貨幣博物館、最近観た博物館の中では飛びきり面白くて、時間を忘れるほど見入ってしまいました。しかも入館無料。おススメです!

 


朝鮮通信使時代の新東名

2012-04-23 09:03:45 | 朝鮮通信使

 週末の21~22日に、しずおか時の会の研修旅行で東京・江戸のからくり時計視察をしてきました。郷土史研究家の黒澤脩先生の案内で、人形町のからくり櫓、セイコー時計資料館、そして国立科学博物館に展示されている田中久重の万年時計(実物)を博物館名誉研究員佐々木勝浩先生の解説付きで観ることができました!他にも浅草や皇居東御苑や新宿歴史博物館等など江戸に残る今川・徳川ゆかりの地を、“ブラタモリ”風にブラ歩きした歴史ファンにとっては密度の濃~い視察旅行でした。追ってじっくりご報告しますね!

 

 

 さてさて、4月14日に開通した新東名高速道路。1週間遅れで、21~22日の視察旅行で清水―御殿場間の往復を走りました。道路はスイスイ快適でもサービスエリアは混んでいて、新清水SAでちょこっとトイレ休憩してお店を素通りしただけですが、テレビで紹介されていたこだわりホットドッグやハンバーガー、とても高くて手が出なかった(苦笑)。今は開通御祝儀相場で売れるんでしょうけど、長続きするんだろうか・・・。

 

 

 新東名については、実は14日開通日に中日新聞特集紙面で、計画から完成までの歩みと、工事技術の高さや環境保護の工夫等をかんたんに書きました。新しい副知事に(やっと)就任された森山誠二さんが、先月、県交通基盤部長在任時に静岡県ニュービジネス協議会総会でお招きしてレクチャーをしていただいた内容も組み合わせて、“東海道の新時代”というくくりでまとめてみました。書きながら実感したのは、東海道がいろんな時代の変革の時に、新しい顔を見せてきた、ということです。

 

 

 徳川家康が東海道宿駅制度を設けたのは1601年。400年目の節目を迎えた2001年には、東海道四百年祭というイベントがありました。

 私は2000年10月に発行された県広報誌『MYしずおか』の東海道特集で、こんな記事を書きました。

 

 

 

 東海道のような主要幹線は物流の大動脈と思われやすいが、江戸時代、物資の往来は大量輸送が可能な船舶が主体で、東海道の主役は人と情報。参勤交代で毎年約五万人が公的に往来し、伊勢まいりや秋葉まいりなど信仰を目的とした私的な旅の主要ルートにもなった。

 

  18世紀になると旅の諸施設もいっそう整備されて治安も安定し、庶民が安心して街道を闊歩できるようになり、東海道は観光街道になった。挿絵入りの道中案内記や『東海道中膝栗毛』などが相次いで出版され、庶民は巡礼を名目にし、各地の温泉や名所旧跡を訪ねては心身を癒した。東海道の旅は封建社会のもと、庶民の最大の娯楽だったのである。

 

 一方、街道周辺の住民たちは助郷(大名行列の運搬補助)の仕事から道の清掃まで義務付けられていた。負担は大きいものの、村や町の中央を通っていた道は人々の社交場になっていた。遠州横須賀の城主が江戸の神田祭礼囃子を地元に伝えたり、三ケ日ミカンの発祥が巡礼の際に持ち帰られた紀伊の小みかんの苗木である等など、東西の産業文化が静岡に定着した例も少なくない。県史編纂にかかわった中村羊一郎氏は「東海道は静岡人にとって情報がもたらす活力の蓄積・醸成・発散の晴れ舞台であり、その熱気が伝染するルートだった」と分析する。伊勢おどりや幕末のええじゃないか踊りは、その象徴ともいえる。

 

 21世紀を迎える今、静岡県では東海道の歴史的遺産を活かした活力ある地域づくりを進めている。東海道の主役が人間から電車・自動車に移って久しい。高速交通網や情報インフラが発達し、国道・バイパス・東名・第二東名と道路が多様化し、その役割分担が進めば、旧東海道が人間を主役にした街道として再生する可能性も出てくる。そんな“歴史的実験”ができることこそ、東海道が静岡県にもたらした恩恵といえるだろう。

 

 

 

 

 文末の文節は、歴史好きの素人考えでやや抽象的な表現になってしまいましたが、県広報担当者から珍しく「いい文章でした」とお褒めの言葉?をいただいたことを懐かしく思い出します。12年経て、新東名の初走行が、歴史探訪の旅だったってことも感慨深いですね・・・。

 

 高速交通網が発達するからこそ、歩く東海道の原点的価値を掘り起こす意味が出てくるでしょう。今週、そんな検証をするグッドタイミングな講座があります。

 

 

静岡県朝鮮通信使研究会例会

■日時 4月26日(木) 19時~21時

■場所 アイセル21 4階43集会室(アイセルの案内板では「静岡に文化の風を」の会)

■講演『朝鮮通信使の峠越え』  講師/北村欽哉氏(郷土史研究家)

■参加無料

 

東名がしばしば通行止めになる難所・由比の薩埵峠は、朝鮮通信使の通行のために造られた道でした。また東海道最大の難所・箱根峠を三千人を超える通信使一行が無事越えるために地元がどんな工夫をしたか・・・大変興味深いお話が聴けると思います。研究会では会員を随時募集していますので、興味のある方はぜひお越しください!

 


ラジオ番組制作の愉しみ

2012-04-18 20:30:26 | 映画

 風邪を引いてからかれこれ10日以上経つのに、なかなか完治しません。人と話すと咳がひどくなるので困ってしまいます。この間、FM-Hiで『かみかわ陽子ラジオシェイク』の収録があって、ティッシュ片手にひどい声で・・・。昨日(17日)のオンエアをお聴きになったみなさま、ホントのお耳汚しになってしまって本当にスミマセンでした。

 

 

 

 昨日の放送では、映画『マーガレット・サッチャー~鉄の女の涙』のことを紹介しました(トーク内容はこちらを)。メリル・ストリープのなりきりぶり、さすがアカデミー主演女優賞でしたね。

 私はメリル・ストリープ出演作では、ごく普通の主婦が純愛に揺れる『恋に落ちて』や『マディソン郡の橋』のセンシティブな演技が好きで、サッチャーさんや、『プラダを着た悪魔』の鬼編集長のような“なりきりキャラ”は、どうも不自然に見えて仕方なかったのですが、陽子さんとのトークを通じて、実在の、伝説的な人物を演じるプロの役者としての矜持というのか、役柄に自分自身を投入させる俳優という職業の高潔さを感じました。・・・しかもサッチャーさん、まだご存命なんですよね。

 

 

 『かみかわ陽子ラジオシェイク』は4月から月2回の放送になって、前回は犯罪被害者等支援法、今回はIPU(世界列国議会連盟)、次回は海洋法と大陸棚・海洋利権等など、テーマがだんだんハードになってきて、台本作りもどんどん難しくなっているんですが、愉しいのは、毎回一曲、テーマに合いそうな音楽を選ぶこと。今回は、サッチャーさんのことと、子どもの権利を守るIPU世界女性会議の活動を取り上げたので、女性を勇気づけるような歌がいいなあと思い、ホイットニー・ヒューストンの『Greatest love of all』をチョイスしました。ホイットニーの歌の中では昔から一番好きで、改めて歌詞をチェックしてみたら、トーク内容にぴったりでした。

 

 誰もがヒーローを求めている

 尊敬する人を必要としている

 だが私の要求を満たした人はいなかった

 寂しいことだが、あてになるのは自分だけだと気づいた

 子どもたちは私たちの未来

 正しく教え、彼らに導いてもらおう

 彼らのうちにある美点を残さず引き出し

 生きる励みに誇りをうえつけよう

 たとえ失敗しようと成功しようと、

 自分の信じるままに生きたい

 私から何を奪おうと、尊厳だけは奪えない

 

 

 こんな素晴らしい歌を歌ったホイットニーなのに、哀しい最期でした。・・・でも遺した作品は本当に素晴らしい。昔から好きだった歌を、自分が制作に関わった番組のテーマにジャストフィットし、公共の電波に乗せて発信できるなんて、とても幸せです。

 

 

 歳をとってきて、観る映画、聴く音楽がだんだん保守的になってしまっているけど、こういう仕事をたまにすると、感性のアンテナを鈍らせてはいけないなと痛感しますね。・・・とりあえず最近はテレビよりもラジオを聴くようにしています。


沼津DEはしご酒参戦

2012-04-16 11:35:13 | 地酒

 4月14日(土)、沼津DEはしご酒に萩原和子さんと行ってきました。風邪がなかなか治らず、体調イマイチだったので、開催4店をひと通り回っただけでしたが、雨天にもかかわらず熱心なファンが各店で酒談議に花を咲かせていました。

 

 

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 最初にうかがったのが、『ご当地料理・さえ丸おじさんの店』。オーナーは元漁師さんだけあって、刺身&煮魚の酒肴はどれも絶品でした。今まで行ったはしご酒の店の中では、料理は一番よかったかなあ。酒は『白隠正宗』。高嶋さん入魂の生酛です。これDsc00160
で1000円は大満足です。

 

 

 

 

 

 

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 2軒目は『海鮮居酒屋半蔵2』。静岡県が震災復興支援中の町でもお馴染み・岩手県大槌町沿岸から仕入れたというイルカの刺身が出てきました。これに『高砂』の山廃辛口純米という組み合わせ。イルカの刺身には、高砂なら『楽』のぬる燗の丸さが個人的には合うんじゃないかなあと思いましたが、いDsc00163ずれにしても他の居酒屋では味わえないスゴイ組み合わせです。沼津のはしご酒、やるなあ・・・と2軒目にして大々満足でした。

 

 

 

 

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 3軒目は『創作居酒屋 縁』。ここでは『開運』のあさば一万石&開運の酒粕を使ったおつまみ&粕汁をいただきました。味は上品で酒との食べ合わせも申し分なかったけれど、オペレーションの合理化なのか、使い捨てプラカップや紙コップで出てきてちょっとビックリ・・・。雰囲気のいいお店なのに、器だけ野外のチープな宴会風なのが残念・・・!

 

 

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 4軒目は『くいもんや一歩』。『金明』の根上さんと久しぶりにお会いできました。ぬる燗と春巻き&筍の卵炒めでフィニッシュです。最後にホッとできる酒と肴で安堵しました。

 

 

 

 日本酒離れや居酒屋離れが叫ばれて、ノンアルコールやおつまみの宅配サービスなんかを始めた居酒屋チェーンがニュースになっているご時世、地域の店が、地酒と酒肴で真っ向勝負をかけるこの企画。本当に貴重な試みだと思います。運営する側は大変かもしれませんが、継続し、定着させることが大切です。がんばってほしいですね!