楽天の球場(Koboパーク宮城)からさらに南下します。
JR貨物仙台貨物ターミナルがありました。夕方になると東北本線を通って東京の方に貨物が運ばれるのでしょうか。
観音堂
「木下地区」に入ります。芭蕉が訪れた頃にも日の光も通さないこんもりとした松の木に覆われた場所となっています。
今わすっかり市街地になっていて、一画にあった高校が移転して大きな公園となって整備されています。
木陰に薬師堂が見えてきました。
曾良の日記には5月7日(旧暦)快晴、加衛門と権現宮(東照宮)を拝、玉田・横野を見、つつじが岡ノ天満宮から木の下に行。
薬師堂、古へ国分尼寺跡あり。…省略・・・わらじ二足加衛門持参。
仁王門。写真が傾いてしまいました。これ一枚なのでご容赦を!へたくそ。
鐘堂
加衛門にもらった草鞋の染緒に菖蒲を結んで晴れた日を気分も良く旅を続ける楽しみみたいなものが感じられます。
紫色のあやめ草は魔除けであり、健脚を祈念して芭蕉を勇気づけたのでしょうか。
紺色の染緒とアヤメは実際にはマムシよけであり、ブルージーンズのインディゴブルーは毒蛇除けだそうです。
本堂
約1200年前聖武天皇の詣により建立された最北の国分寺です。当時は奈良の東大寺と同規模の大きさで南大門や講堂など七堂の伽藍が天平の甍をいただいて荘厳だったのでしょうか?
11899年に火災で焼けましたがその後伊達政宗公により再建されました。
大塔
隣の敷地には近代的に建てられた護国山陸奥国分寺本堂がありました。
宮城野(前半)
名取川を渡って仙台に入る。あやめ葺(ふ)く日なり。
(おりしも家々に端午の節句のあやめをかざる日だった)
旅宿を求めて、四、五日逗留す。ここに画工加右衛門といふ者あり。
いささか心ある者と聞きて、知る人になる。
(多少風流を解する者と聞いて知り合いになった)
この者、「年ごろ定からぬ名所を考え置きはべれば」とて、一日案内す。
(年来、名のみしられて所在のはっきりしない歌枕(歌に詠まれた名所)を調べておきましたと案内してくれた)
宮城野の萩茂り合いて、秋の気色思ひやらる。玉田・横野、躑躅が岡はあせび咲く頃なり。
(宮城野の萩はみごとに繁って(総合公園のあたりか?)古歌によまれた秋の景色のすばらしさが思いやられる)
日影も漏らぬ松の林に入りて、ここを木の下といふとぞ。
(日も差し込まぬ鬱蒼とした松の林にはいってここが木の下という)
昔もかく露深ければこそ「みさぶらひかさ」とよみたれ。
(古今集に「みさぶらひ御笠と申せ」(お供の人よ、ご主人にお笠をお召くださいませ」と申しあげよ)というほど昔も梅雨が深かったのか)
薬師堂・天神の御社など拝みて、その日は暮れぬ。