薬師堂から一度仙台駅に戻り東北線で岩切駅に向かいました。
芭蕉は5月8日(陽暦6月24日)加右衛門に別れを告げ松島方面に向かいますが途中「おくの細道の山際に十符の菅(とふのすげ)」を見ました。
奥の細道は芭蕉が考えたのだと思っていましたが中世の文献にその固有名詞あるそうです。
この年になって初めて知りました。人生いくつになっても勉強かとも思いましたが知らなくても毎日の生活には困らないなとも考えました。
駅を降りるて七北田川に沿って35号線を歩きます。どこにでもある風景です。
その昔芭蕉と曾良さんはてくてく歩いて行ったのでしょうね。
今市橋が見えてきました。この先の信号を左に折れた場所のようです。
東光寺です。奥の細道の碑がありました。
本堂は改築中でした。かなり有名な古刹のようです。
路地を入ると「十符の菅」「十符の池跡」看板がありました。
十符の菅は網目が十筋あり、きれいな網目が浮き出てこれを材料にした菅菰(こも)は珍重されたそうで仙台藩でも大事に栽培したそうです。
なお「符」は網目のことです。
路地を歩いていくとつきあたりなってしまいました。この辺に池があったのかなと写真を撮っていました。
上のほうで農作業をしていた人が降りてきて「芭蕉の写真かい?」と話しかけてきました。
「うん。千葉の山ん中からはるばる来た物好き一行です」
「最近は小型のバスでもガイドさん付きでやって来るから物好きでもないけど12月にはあまり来ないねぇ」
「わしらは戦後満州から引き揚げてきてここで農業をやっているけど少し有名になって嬉しいよ」
そのあと苦労話を聞いてから帰ろうとしたら「十符の池はもう少し下ったところだけど案内するよ」
早く言ってくれればいいのに思いましたが親切なおじいちゃんでした。
この右側あたりだそうです。
いろいろネットで見てもきちんとした場所はあまりはっきりしませんね。
「奥の細道」のほうは今市橋を北に渡ったところから「六、七丁西に行所ノ谷間」にあった十符の菅の辺の「田の畦」の道をいうそうです。
岩切駅に戻って来ました。工事中か?プレハブの駅舎でした。
現在東北本線は東京駅から盛岡駅まででその先は第三セクターになってしまいました。
なお東北本線は利府支線(岩切・利府間4.2km)というのががあります。利府には別段用事もなかったのですがここまで来たので乗車してみました。
朝夕は仙台駅から直通があるみたいですが日中は岩切駅が始発です。
空いているなと思っていたら上りの東北本線、仙台行き列車が到着して乗り換え客がどやどやと乗って来ました。
進行左側は新幹線の車両基地になっていますが日中なのでみんな稼ぎに出ているらしく車両はあまり止まっていません。
列車は4kあまり走って利府駅のホームに滑り込みました。一応外に出てみましょう。
がらんとしていますが若い人には思い出の場所ではないんでしょうか。
昔、姪に「おじさん今度仙台の宮城スタジアムにコンサートに行くんだけど始まるのは夜だからそれまで時間つぶせるような観光地ある?」
と電話がありました。
「おめぇ、東京だって音楽なんかいくらでも聞けるのになんで電車賃かけて仙台くんだりまで行くんだぁ」
「年寄りはもの知らないねぇ。」と笑われました。
宮城スタジァムでしょうか(利府駅からバスで約10分)。EXILE、GLAYとか嵐の大きなコンサートが開催される場所です。
15年5月連休に開催された嵐の20万人コンサートの時には市内の何処のホテルも満員で電車もまた大きなホテルでは観光バスをチャーターしてすごい騒ぎでした。
ご隠居はそんなのがるとは知らずに松島に出かけたのですが新幹線も東京から満員でほとんどの人が仙台で降りたので不審に思っていたらコンコースがすごいことになっていました。
やっと予約したホテルも石巻でした。
コンサートが終わったあとには駅脇の横丁で一杯。青春の余韻に浸るのかな。
もっとも帰りの新幹線の時間が気になってそれどころではないかも。
それにしても不便な所にサッカー場を造ったものですね。
さて仙台駅に戻り仙山線に乗り換えて一つ目東照宮駅です。
芭蕉も5月7日に参拝しています。日光東照宮を参拝してからこちらはどんな気持ちだったのでしょうか。
石鳥居。伊達忠宗公の奉納。
家康公が1591年奥羽仕置の視察を終えて岩出山から江戸に戻る途中、当時天神様の境内であったこの地で休息されたという故事によって鎮座地に選ばれたそうです。
すごいですねぇ。休息したというだけで東照宮が造営されてしまうんですから。
現在では安倍総理に一極集中なんて言われていても歯医者の学校一つ作るのに便宜図ったと非難されたりして可愛いものです。
随身門。国・重要文化財。
扉も素晴らしいが中に入れないので残念でした。
12月というのに仙台では秋が残っていました。
さて仙台で芭蕉が訪れた場所はあと亀ヶ岡八幡宮(省略しました)だけになりました。
せっかく仙台に来たので次回は市内の名所旧跡を回ります。
宮城野(後半)
なほ、松島・塩竃の所々、画に書きて贈る。かつ、紺の染緒付けたる草鞋二足餞す。
(松島、塩竃などを絵に書いて贈ってくれた。紺の染緒をつけたわらじ二足も餞別にいただいた)
さればこそ、風流のしれ者、ここに至れりてその実を顕わす。
(このこころにくい贈り物に至ってまさに風流の本領を発揮した)
あやめ草 足に結ばん 草鞋の緒
(端午の節句にあやめ草を足に結んで、邪気を払い勇んで旅に出かけましょうか)
かの画図にまかせてたどり行けば、奥の細道の山際に十符の菅あり。
(絵図をたどって行くといわゆる奥の細道の山際に有名な十符の菅がある)
今も年々十符の菅菰を調えて国守に献ずといえり。
(今でも毎年菅菰を調達して藩主に献上するということである)