ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

東海道(島田宿)

2019年01月13日 | 旅行

蓬莱橋から大井川沿いにとぼとぼ歩いて島田宿、大井川川越遺跡にやって来ました。

近代的な橋の上の丘陵部分に「茶」の文字が見えます。

島田市博物館に入ってみましょう。

島田宿は日本橋から約203km、23番目の宿場です。

「箱根八里はうまでも越すが越すに越されぬ大井川」

川越しや川留めにまつわる物語がたくさん生まれました。

徳川家康が東海道に宿駅伝馬の制度を設けて街道整備を行ったが大きな河川にはほとんど橋が架けられませんでした。

特に大井川は渡船も禁止され、不慣れな旅人は自分で渡れないので川越しの手助けが必要になり川会所が出来ました。

何処の博物館い行ってもこんな場面がありますね。

大井川を渡るには川札を川会所で買い、人足に手渡しして人の肩や蓮台に乗って川を越しました。

この川札の値段は毎朝、待川越しが水の深さと川幅を測って定めたそうです。

肩車・・・川越人足の肩にまたがって越した。川札は一枚。常水以上は補助者がつくので川札は合計二枚必要。

大高欄蓮台は担ぎ手だけでも16人が必要。川札52枚が必要。

着物の女性が肩車されるのも嫌だろうし大名行列なんかでは莫大な費用が掛かって大変だったでしょうね。

川越え人足の数は金谷・島田合わせてそれぞれ350人と定められていてお金が回って地元は繁昌したのでしょうが経済的価値はないですよね。

島田市博物館分館。

芭蕉の俳句がありました。

「馬方は しらじ時雨の 大井川」 「さみだれの 空吹きおとせ 大井川」

芭蕉も大井川を肩車してもらって渡ったのでしょうか。

難しい話は別にしてのんびりしていていいですよね。

弥次さん喜多さんも川越賃を値切って恥をかいたりします。

二人も川越しの値段を交渉して、一歩蓮台に乗り込んで四囲を眺めやると、大井川の濁水は逆流奔流し、

逆巻く渦に、目もくらむばかりで、命の瀬戸もこの川かぎりと思うほどの恐ろしさだ。

まさに、東海道第一の大河、水勢は矢より早く、岩石多く流れきて、渡るになやむ難所であるが、

ほどもなく向こう岸に着き、蓮台を降りた時のうれしさは、言う言葉もなく安堵感が湧きあがる。

もうすぐ島田駅です。

ご隠居は電車であっという間に大井川を越して掛川市に向かいます。

なお市内の大井神社の大祭は3年ごとに行われる帯祭りとして有名です。10月中旬に開かれます。

 

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