東海道を少し離れて天竜浜名湖線に乗って旅しました。
天竜浜名湖鉄道は掛川駅~新所原駅間67.7km、戦時中東海道線が爆撃を受けた時のう回路として出来ました。
東海道線の掛川駅のわきにこじんまりと駅がありました。
イオンの旗艦店の近くで昔からやっていて繁昌している八百屋さんみたいな感じです。もっともお客の数は少なそうです。
さあ出発!車両も賑やかです。右側の列車に乗車。
遠州森駅に到着です。上りと交換です。みんな一両編成です。
森の石松の育った所です。(ガッツ石松ではない)
早速降りてみましょう。
駅を出ると駅長さんがいたのでレンタサイクルを借りようかと思いましたが坂が多くて大変だから時間がないならタクシーで行った方がいいよと言われました。
役場に行くと観光案内人もいるし資料も沢山あるよとのことでそこまで歩きました。
平成24年より全国京都会議に加盟して遠州の小京都町づくりが進められているそうです。
わが町は昔からの建造物が多いから〇〇小京都と宣伝しようなどとは簡単にはできないみたいですね。
森町役場。
ロビーを入るとすぐにポットとティバッグの遠州森の茶が誰でも飲めるようにおいてありました。
さすがです。
時間もないのでとりあえず石松の墓にやって来ました。
広沢虎造の浪曲でも石松の殺される場面なんかは盛り上がります。
石松は次郎長の代参として金毘羅詣でをした帰り都田(みやこだ)の常吉家によったところ御幸山鎌太郎(みゆきやまかまたろう)
からの預り金を、常吉の兄、吉兵衛に一晩貸すことになる。
その返済を迫ったところ吉兵衛兄弟らによって1860年6月1日夜閻魔堂(浜松市北区道本)近くで殺されました。
石松が助けを求めて知り合いの所に行く場面がいい。
目が片方で、大酒のみ、喧嘩好きなどはあとから人気者と仕立てたらしい。
次は小國神社にやって来ました。驚くほど広大なのでびっくりしました。
この駐車場から遥か奥に本殿が少し見えます。
茶店が何軒かありました。
1450年の長い歴史がありますがぜんぜん知らなかったとタクシーの運転手さんに言ったらお正月なんかはすごい人だよとの事。
地方、地方には有名な神社仏閣が沢山あるんですね。
本殿
参道には老杉が繁り、静かな池があり「古代の森」といった感じです。
町内に戻りました。
あっちこっちに城下町にみられる民家があります。
毎年8月夏の夜には夕暮れから9時ごろまで和紙張りの行灯をともしふれあいの輪をひろげる「森ほたる」
パンフレットで見ると暗くなるとこの古い倉庫も魅惑的に見えます。
何処に行ってもシャッター通りはありますね。
森町に車でいくのでしたら新東名の遠州森町「スマートIC]が便利です。
時間があれば歴史の散歩道が整備され、桜の咲く頃楽しく歩けそうです。